世界の変貌のその後の話

※相変わらずシリアスまっしぐら














吸血鬼に生まれ変わったことを後悔していないのかと、よく聞かれる。






それは黒子からだったり、黄瀬からだったり、紫原からだったり、緑間からだったり、青峰からだったり。








そして――征からだったり、する。








それに対するオレの答えは決まってる。「後悔なんかしてない。これっぽっちも、悔やんじゃいない」――言い淀むことも迷うことも無く、オレは誰からの質問であろうと、しっかりと目を見て、断言出来る。それが紛う事無い、オレの本心だから。みんなも、それは分かってくれていると思う。





それでもそんな質問が何度となく繰り返されるのは、きっと、オレ自身が不甲斐ないからなんだろう。






















洋館から十キロ程離れた場所にある街。月もすっかり高くなった深夜帯、オレは征と共にそこを訪れていた。






場所は月の光も僅かにしか届かない路地裏。オレと征と、もう一人、征が適当に見繕ってきた十代後半ぐらいの女の子も一緒だ。その子を合わせて、合計三人で路地裏に居る。女の子の目は虚ろで、何も映していない。虚脱した女の子はオレの腕の中で、微かな呼気を漏らすだけでピクリとも動かない。






勿論オレ達は、様子がおかしい女の子を介抱しているわけでは無い。そもそもこの子がこんな状態になってるのはオレ達の――オレの、せいだ。





「躊躇うな、光樹。そのまま首筋に牙を立てろ。後は本能に従えばいい」





征に言われ、オレの視線は女の子の青白い項へ注がれる。今まで生きてきて、女の子の項をこんな至近距離で凝視することなんて皆無だったから、未だ耐性がつかない。…耐性がつくつかない以前の問題が、オレにはあるわけだが。



口内に溜まっていた唾をゴクリと飲み込む。それなのに喉は潤うどころか渇くばかり。まるで口内の水分が根刮ぎ奪われていったかのような、そんな枯渇。







――そうだ。オレは、この渇きを癒すために、今こうしているんだ。







女の子の項へ顔を近付け、口を開ける。牙を露出させ、ゆっくりと項へ突き立てた。後はこのまま、皮膚を食い破ればいいだけだ。たったそれだけで、この渇きは癒される。






さぁやれ、降旗光樹。何も躊躇うことなんて無い。これは当然のことだ。吸血鬼として当たり前の行為だ。血を吸えない吸血鬼なんて馬鹿げてる。吸血鬼は吸血鬼らしくあれ。血を求めるのは吸血鬼の本能だ。征の言う通り、本能に従えば――





「っ…」





目をキツく瞑り、女の子の項から牙を外す。そのまま女の子から手を放してしまい、彼女は地面にパタリと倒れてしまった。意識が混濁してしまっているから、当然受け身なんて取れなかっただろう。





しかし、オレの中に渦巻くのは女の子をぞんざいに扱ってしまったことへの罪悪感なんかじゃなく、もっともっと別の大きなものだった。







「もう少しだったのにね」






小さく聞こえた征の声に、背筋が震える。征の声音はオレを責めるようなものでは無かったが、滲み出ている呆れがオレに罪悪感を芽生えさせていく。






コツ…コツ…と、征のブーツの音が狭い路地裏に響き渡る。その音はオレのすぐ側で止まる。叱られると思って身を固くしていると、予想に反し、征は屈み込んで女の子に手を伸ばした。




無造作な――しかし秀麗な手付きで征は女の子の身体を少し持ち上げ、項を露わにさせると、おもむろにそこに噛み付いた。ガブリと。そりゃあもう、なんの躊躇いも無く。見てるコッチが痛くなってしまうぐらい深々と、征の牙が女の子の青白い項に突き刺さる。





じゅる…じゅる…と血を吸い上げる音がオレの鼓膜を揺さぶる。それに呼応して、征の喉が上下に動く。血を吸い上げ、嚥下しているという、吸血鬼にとっては至極当然の、その行為。





本当なら、オレが征と同じことをしていなければならないのに…情けないことに、オレは、吸血行為に勤しむ征の後ろ姿を、赤い髪を、ただ眺めていることしか出来なかった。













「え、今日もダメだったんスか?」
「うん…」





所変わって、すっかり馴染んでしまった古びた洋館にて。






珍しく黒子を探しに行ってない黄瀬が入れてくれた紅茶(今日はアッサムらしい)をちびちびと啜りながら、オレは盛大に落ち込んでいた。せっかくの紅茶も、黄瀬お手製のケーキも、全く味が分からない。それらを味わう余裕が、オレからすっかり抜け落ちてしまっているからなのは明白だった。










征の力添えによって吸血鬼に生まれ変わってから、早二ヶ月。オレは未だ、吸血行為を行っていない。毎日征の引率で街に赴き、獲物まで用意してもらっておきながら、あと一歩が踏み出せない。どうしても寸前で後込みしてしまい、挫折するのがこの二ヶ月のお決まりのパターンだった。






吸血鬼だからといって毎日のように血を吸う必要は無いらしいが、オレの場合は、早く吸血鬼の本能を呼び起こすために街へ毎日足を運んでいる次第だ。言わば吸血鬼の研修のようなものだ。そして今のところ、オレはとてつもない落ちこぼれなのであった。






「吸血鬼なのに血が吸えないなんて…存在意義の全否定じゃん…」






机に突っ伏してうなだれるオレを見て、黄瀬は「んー」となんとも気のない返事で応じる。






「もと人間なんだし、仕方無いような気もするんスけどね〜」
「…ちなみに、紫原は血を吸えるようになるまでどんくらいだったの?」
「聞いた話だと、最初っからなんの躊躇いも無かったらしいッス」
「さいですか…」







まぁ、あの紫原が躊躇するようには見えないしなぁ…と、オレは何故か納得してしまった。驚きも不思議と少ない。多分、心のどこかでそう決めつけていたんだろう。










オレと紫原はもと人間。征、黄瀬、青峰、緑間は純粋な吸血鬼。黒子は、蝙蝠と吸血鬼のハーフなんだとか。オレ以外の六人がどういった経緯で出会い、同じ屋敷に住まうようになったのか、誰も教えてくれないからオレは知らない。







ただ確かなのは――六人の間には、オレなんかが決して立ち入れない、とても強い絆が結ばれているということ。







「でも、確実に成長しているよ。初めの頃は獲物に触れることすら出来なかったしね」






今までオレの隣で静かに紅茶に舌鼓を打っていた征がおもむろに讃辞を口にする。征は嘘をつかないから、本心でそう言ってくれているのだろうけど…自分が後ろめたい分、その言葉に棘が含まれているような気がしてならない。




なるべく征の方を見ないように気を付けながら、真っ白なクリームでデコレーションされたショートケーキを口に運ぶ。やっぱり味なんて分からなかった。





「けど、赤司っちも優しいッスね。毎回降旗っちに着いていってあげるなんて」
「愛しい光樹のためだ。これぐらいの労力、なんでもないよ」
「その優しさをもう少しオレにも分けてほしいんスけど」
「涼太には必要無いだろう」
「ひどいッス!」





うわあああん黒子っちー! とあからさまな泣き真似をして、黄瀬はその場を飛び出して行ってしまった。結局黒子を探しに行ってしまった黄瀬を呼び止めることも出来ず、オレは征と二人でその場に残された。






黄瀬がいなくなったことにより、沈黙が突き刺さる。場を保たせようとカップを口に運ぶ度に、ソーサーとカップが立てる金属音がいやに耳につく。いつもはこんな音、全然気になったりしないのに。



後ろめたさがそうさせるのか、どうなのか。また自分の気持ちがよく分からない。確かに、申し訳なく思ってる。オレのために、征の時間を削ってもらってるんだから。悠久の時を生きる吸血鬼とは言っても、自分のためにその時間を使うのが…当然のことなんだから。







「…光樹」
「っえ?」






呼ばれ、顔を上げる。隣の征はカップに視線を落としたままだ。ゆらゆらとカップを揺らし、波紋をジッと眺めていた。


そのままで、征は言った。






「もし光樹が望まないなら、もう血を吸うことを無理強いしない」
「…え?」





言われたことにキョトンとしてしまう。その言葉を理解するのに少々の時間を要した。




だが、理解出来ても、その真意は理解出来なかった。それが顔に如実に出ていたのか、チラッと視線を上げた征が口角を歪ませて笑った。






「光樹は、僕と共に生きていたいと…その思いだけで吸血鬼になったんだ。吸血の覚悟が備わってないのは致し方ない。確かに生きる上で吸血は欠かせない行為だが…それは今まで通り、僕が口移しで飲ませてあげればいいだけだし」
「ぶふっ!!」





オレは紅茶を吹き出した。





「汚いよ光樹」
「おっお前が変なこと言うからじゃん!」
「事実じゃないか」
「そうだけど…!」







そう。吸血行為をしていないにも関わらずオレが生き長らえているのは、言葉通り、征に口移しで血を供給させられているからだった。毎回ってわけじゃなく、一週間に一回のペースで。それが最適なバランスなんだとか(ちなみに今日はその日じゃなかった)。




生きる上で必要だってのは分かってるから、拒絶したことはない。元はと言えばオレが自分で血を吸えないのが悪いんだし。そんなオレを死なせないためにしてくれてることだってのは理解してる。けどどうしても申し訳なさが立っちゃうから、早く自分で出来るようにならなきゃって、気持ちばかりが焦るのに…。







どれだけ焦ったって、いざという時に後込みしてしまう。それはオレのどうしようもない心の弱さ。吸血鬼に生まれ変わったって、元来の臆病さは消えていなかった。







オレは、オレのままだった。







「君とキスする口実が出来るから、僕は一向に構わないんだけど?」
「でも……でも…」
「でも? なんだい?」
「……征に迷惑が掛かる」
「言っただろう? 僕は君とキス出来るから別に良いって」






血腥いばかりのキスはちょっと気が滅入るけどね、と征は笑う。言われて気付いたが、確かに征と唇を合わせるのは、オレに血を与えてくれる時がほとんどだ。それ以外でもしないわけじゃない。寧ろ赤司はいつだってオレにキスしてくる。血が絡んでいようと無かろうと。






だから本当は、口実なんていらない。それでも敢えて『口実』という言葉を使ったのは、多分、オレの選択の幅を縮めるためだろう。




吸血鬼の道に完全に足を踏み入れることを未だ恐れているオレに気を使ってくれているのが、丸分かりだ。






「…大丈夫」
「ん?」
「オレ、ちゃんと血を吸えるようになるから。だから、そんなこと言うなよ」





思わず不機嫌な物言いになってしまったことを後悔したけど…でも、発言は取り消さない。オレは、征に気遣ってほしいわけじゃない。迷惑掛けたくないっていうのは本心だけど、だからって、気遣ってほしいわけでもないんだ。



オレの言葉を聞いて、征は眉を寄せた。微笑みが消えて、真剣味に満ちた面持ちになる。






「今日までの光樹を見る限り、血を吸えるようになるにはまだまだ時間が掛かりそうだ。しかもあとどれだけの時間が必要になるのかは分からない。ならばいっそ諦めて、今の現状に甘んじてしまうのが、光樹にとって一番の良策なんじゃないか?」
「けどっ」
「それが光樹のためだ」






真摯的な物言いに、オレはぐっと押し黙る。左右色の違う瞳がオレを射抜き、オレから言葉を奪っていく。





「自分で血を吸えるようになることは、確かに吸血鬼として生きる上で必要なことだ。だが絶対じゃない。自分で血を吸えずとも、他人が与えてやればそれで事足りる。吸血鬼の本能が芽生えなくても、生きる術はある。光樹が、本能を呼び起こしたくないと潜在的に思っているのなら、僕はそれを尊重したい」
「別に、呼び起こしたくないわけじゃ…」
「でも――怖いんだろう?」






怖い――図星を突かれ、体がびくりと震える。












やっぱり…征は、気付いていたんだ。オレが怯えていることに。オレが何に一番恐怖心を抱いているのかに。















吸血鬼の道に足を踏み入れるのを恐れてしまうのは、完全に吸血鬼になってしまうのが怖いから。人間だった頃の自分を一切合切捨て去ってしまうのが怖いから。以前話に聞いた、血に狂ったとある吸血鬼のようになっちゃうんじゃないかと深読みしちゃって怖いから。加減が分からず、人間を殺してしまいそうで怖いから。







吸血鬼に生まれ変わったこと。それに対しての後悔は微塵も抱いちゃいない。それなのに恐れてしまう、吸血鬼故の本能。相反するこの気持ちを、オレは上手く隠せていると思っていたのに…。










征の目はなんでも分かる。きっとずっと、オレの板挟みにも似た葛藤に気付いていたはずだ。それでもオレをずっと街に連れ出していたのは…オレが、その恐怖心を乗り越えることを、信じてくれていた…からなのか。





「怖いなら怖いままでいい。僕は、光樹が僕の側に居てくれるならそれでいい。血を吸えない吸血鬼のままで構わない。完璧な吸血鬼にならずとも…僕は、そのままの光樹を愛している」
「征…」
「だから、泣かないでくれ、光樹」








征のしなやかな指が、いつの間にか零れていた涙を優しく掬ってくれた。その征の表情はとても優しい。いつもオレに向けてくれる…愛している相手に向ける、恋情をいっぱいに詰め込んだ顔だった。





自分が情けなくて、涙が止まらない。吸血鬼になっても、涙は変わらず流れて、しょっぱいままだった。早く止めようと瞼を擦る手を、征に掴まれてしまう。「赤くなるよ」と囁かれ、征の舌が目元を滑った。





「光樹は素直だね」
「…そんなこと、ない」
「あるさ。そうやって涙を流せるのは、この屋敷では光樹だけだろうね」






悠久の時を得られたとして、その中で失われてしまうものも確かにあるのだと言う。それは涙を流せるような純真さであったり、自身をたぎらせるような目標であったり、愛されていた記憶であったり。つまり人間ならば至極当然の事象が、吸血鬼は削がれていってしまうのだと言う。










吸血鬼の本能の覚醒――それは言い換えれば、『自覚』だ。









自分はもう人間ではなく化け物なのだという自覚。人間だった頃には決して戻れない隘路へ踏み入ったという自覚。今まで培ってきたものが無に帰したという自覚。もう二度と、人間には戻れないのだという自覚。





自覚してしまえば、脳が、体が、人間の時分を拒絶し始める。不要な要素を排除し始める。だから吸血鬼は涙を流さないし、何かに全力を尽くし、努力することもしない。それが吸血鬼にとって、不要なものだから。








「光樹が人間だった自分を捨てる覚悟が出来るまで、僕はもう吸血を強要しない。覚悟が出来ないなら出来ないままで良い。気長に行こう。どうせ…時間は無限にあるんだから」
「……ごめん、征」
「謝る必要は無い。これで何を気にすることなく、君を愛すことが出来る」







スッと顎を掬われ、そのまま唇を塞がれた。間髪入れずに侵入してきた征の舌は、さっきまで飲んでいたアッサムの味がした。オレの舌を絡め取る征の舌に応えようと意識を集中させたが、蠢かせた舌はチュッと吸われ、瞬く間に力が抜けてされるがままになった。





歯列をなぞられ、上顎を舐られ、舌を甘噛みされ、互いの吐息が混じり合い、どちらのものとも判別出来ない唾液が顎を滴り落ちていく。伝い落ちた唾液は、ローブに丸い斑点いくつも作り上げる。自然と征の背中と後頭部に回った腕は、まるで縋りついているかのようだった。





「はぁ…ぁ、ん…」
「ん…」







上がったのは、声なのか、吐息なのか。征を目一杯感じながら、満たされていく心。今まで抱いていた苦悩が、葛藤が、徐々に溶かされていくようだ。完全に…ではないけれど…。








それでもいい。オレは、まだ迷わなければならないんだから。臆病なままで、考え続けなければならない。…でも、決断の時が明確に定まっていないとはいえ…征が待ってくれると言ってくれているとはいえ…ズルズルと引き伸ばしにするのも良くないだろう。手を拱き、征の善意に甘んじ続けるのは、ただの逃避でしかない。臆病な自分から目を背けているということに他ならない。








だから、早く覚悟を決めよう。いつまでも人間だった時分に未練たらたらでいるのはお門違いだ。もうとっくに、オレは吸血鬼なんだ。人間じゃない。今のオレは、吸血鬼でありながら、人間の真似事をしているのと同じだ。本能が目覚めていないなんてのは、関係無い。オレの体は吸血鬼の体だ。もうこのまま年を取らないし、血が唯一の糧だし、一生太陽の光を浴びられない。













オレは――降旗光樹は、吸血鬼だ。
















「んぁ…はぁ…」
「…好きだ、光樹」
「…オレも、好きだよ…征」





互いに交わした告白は、互いの胸の中にストンと落ちた。欠けていたピースを嵌められたパズルのように、それだけで何もかもが満たされていくようだった。







征が好きだ。愛してる。征と離れたくない。ずっとずっと征と居たい。ずっとずっと征と生きていたい。――オレは、それが出来る。悠久の時を生きる、吸血鬼だから。







「もし覚悟が出来たなら、いつでも僕に言えば良い。その時は」





おもむろに、征はローブをはだけさせ、自分の項を月光の下に晒した。日を浴びることを知らないそこはひどく白く、吸血鬼の目線だからだろうか、とても美味しそうに見えた。…初めて項見て美味しそうとか考えちゃったよ、オレ。






そんなオレの自己嫌悪を見透かしたかのように、征の目がキラリと光る。







「僕のここに噛みつけ。せっかくだ、光樹の牙のヴァージンをもらってあげよう」
「ヴァージ…!!? へっ変な言い方するなよ、バカ!!」







…訂正。この覚悟、決めるまで相当な時間が掛かりそうだ。

















パズル
(なんなら今噛み付くか?)
(…ごめん、無理です)







本当は2012年の内に、本音を言えば赤司の誕生日にアプするつもりだったのに何もかも間に合いませんでした明けましておめでとうございます。栞葉です。

その後の二人を見たいーと仰って頂いたので、ご要望にお答えして吸血鬼な赤司と降旗です(^q^) 降くんは公式臆病者(←)なので、吸血鬼になったってそんな簡単に血なんか吸えないだろうと決め付けてこんな話になりました。お楽しみいただければ幸いです。



ただ単に自分の項晒して「ここに噛みつけ」と言う赤司様が書きたかっただけとは言わない←





栞葉 朱那

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