散花

□優しい嘘
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それは本当に偶然なことで何故今更それを思い出したのか本当に不思議なことだった。







「明日は四月一日……」

定時を少し過ぎた刻限。今日の分の仕事を終わらせ、使った資料などの後片付けをしていた菖蒲は壁にかけられた暦が目に入り一人呟いた。

「明日がどうかしましたか?」

片付けを手伝っていた柚梨がそれを拾い問い掛けられた。声に出してしまったことを悔やみながら、菖蒲は何でもないように軽く首を振る。

「いえ、ただ郷里の風習を思い出しただけです」

「?どのような風習なんですか?」

柚梨は菖蒲のいた世界に興味があるようで、向こうの事を話すと喜び、少年のように目を輝かせいつもの三割増しでにこにことする。霄には止められているのだが、柚梨のことは好きだし、どんな些細な事でも喜んでくれるので時々話している。

「簡単に言いますと嘘をついてもいい日です」

エイプリルフールのことを簡単に説明すると柚梨はくるんと首を傾げた。

「嘘をですか?」

「はい、でも人を傷つける嘘は駄目ですよ」

閃いたように目を開きぱあっと明るい顔をした柚梨はぽんと手を打った。

「なるほど、嘘で人を驚かせたり笑わせるお祭りなんですね」

自分より一回りは年上の男性に可愛いと思うのは些か失礼とは思いながら無邪気と言える姿に微笑むが少し困った顔を返す。

「多分、そうだと思います」

菖蒲の返しに今度は本当に首を傾げる。

「多分?先程、郷里の風習だと……」

菖蒲はまた少し困った顔をすると柚梨に背を向けて片付けの手を再開させた。

「風習と言っても私がいた場所にはあまり馴染みがなかったのであくまでも知識程度です」

過去を振り返っても、良い思い出を見つける方が大変でおよそその歳の人が経験するであろう事は菖蒲とは縁遠いものだった。

「……では、やってみましょう」

「ふへ?」

思いがけない言葉に菖蒲は間の抜けた声を出す。最初は直そうとも思ったが柚梨から『可愛いからそのままでいてほしい』と言われ今はあまり気にしていない。
振り返ってみれば柚梨は今日一番の素敵笑顔を浮かべていた。

「明日は頑張ってたくさん嘘をつきましょうね」

嘘をついてもいい日であって、嘘をつかなければいけない日ではないのだがるんるんと愉しげにしている柚梨に菖蒲は告げることが出来なかった。











    翌朝    

菖蒲はいつもの通り、誰よりも早く出仕すると、室内の掃除をしながら今日の仕事を優先度が高いものから順に並べ、料紙を足し、先の割れた筆を替え綺麗に並べ、墨を磨る。
一段落着くとよく知る足音が近付いてきた。顔を上げると扉の向こうから柚梨が顔を覗かせた。

「おはようございます。景侍郎様」

笑顔で礼をとると柚梨もにっこりと笑顔を返してくれる。

「こんばんは。菖蒲さん」

物凄く嬉しそうに笑っている柚梨に菖蒲は目を点にする。

「あ、あの、景侍郎様?」

何があったのか。仕事のし過ぎで遂におかしくなってしまったのか?いや、まさかそんな筈はない。きっと聞き間違いに決まっていると菖蒲は自分に言い聞かせるが次の柚梨の発言にそれも崩れさる。

「また、遅く来て仕事をしなかったんですか?」

綺麗に調えられた室内を見回し、自分の机上に積まれた書簡を叩きながら眉をひそめ悪戯をした幼子に言い聞かせるような言い方に菖蒲はどうしたものかとうろたえる。

「あ、えっ、その」

「もっと頑張らないと、また鳳珠に褒められますよ」

自分を褒める鳳珠の姿を想像してその気持ち悪さに菖蒲は全身に鳥肌を立てたが、同時に柚梨のおかしな言動の理由に気がついた。にこにこと楽しそうに嬉しそうに浮かべる笑顔。ああ、自分は一生この笑顔には敵わないと思いながら菖蒲は柚梨に歩み寄る。

「あの、景侍郎様」

「どうしました?」

優しく、柔らかな、温かい嘘。虚言にすら人柄は滲み出るものなのか。皆が彼のようであれば争いなど消えてなくなる気がした。
菖蒲は穏やかに微笑むと嬉しそうに綻ばせな口で言った。

「今日はとても素敵な……いえ、あまり素敵ではない思い出になりそうです」

それを聴いて柚梨は嬉しそうに大きく一つ頷いた。

「そうですか、それは非常に残念です」

今日一日この状態が続く予感がしながらも、菖蒲はゆっくり、優しく流れるこの時を大切にしたかった。

「さぁ、今日も頑張らずにいきましょう」

「はい」

出仕して来た鳳珠があまりにも楽しそうな二人のやり取りにつっこむことが出来ず、激しい疎外感に苛まれやけくそのように仕事を片付けるまで後数刻。





















残酷な真実を優しい嘘で包み込むのは罪になるのでしょうか?





 
 

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