日和

□僕と上司と結婚指輪
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僕が就職した会社の上司はアホだった。
なんでも社長である蘇我馬子の親族だそうで、出世街道に乗ってはいるのだが、なんというか発想が常人離れしている上に、行動がこれまた変人スレスレボーダーライン、ときどきそのライン逸しちゃってる、ああ、ダメだこの人アホだ…ということが多く、どうにも他人からは理解されにくい人物だった。僕もこの人はアホだと思った。第一印象からそう決めていた。でも、ただのアホでもないと思う。なんというか、この人は、人が普通に出来ない事を普通にやってのけるのだ。近い将来、この人はこの会社からいなくなるだろうと思う。この人らしい会社を作って、きっと飛び立ってしまう。なんだかそう思うと、僕は奇妙でやるせない気持ちになるのだった。
 最初の頃こそ叱られ通しだった仕事にも慣れ、入社半年目のある飲み会で、僕はこの上司と二人きりになった。なぜ二人きりかというと、理由は簡単で上司が悪酔いしてへべれけになったのを押しつけられたからだ。なんでこんなもんを…と泣きそうになったがしかたない。メンツのなかで独り者は僕だけだったから。
「酔ったあの人を担ぎこんだら、明日カミさんになんていわれるかわからないから…」
悪いな、小野。そういって課長は逃げていってしまった。他の者もだいたいそんなことをいいながら散ってゆく。別にこの上司はみんなから毛嫌いされているというほどではないのだが、どうにも面倒臭い性格をしているし、それが酒のせいで威力をましてきているもんだからみんな触らぬ神にたたりなしというわけで足早に宵闇に消えてしまったのだ。

「妹子ー、いまの日本の政治についてどう思う!!!」
「いまは日本の将来について想いを馳せているような余裕はありませんよ。あんたが背中で重いし、酒臭くてどうにも生暖かい息がかかるし…ああもう臭っ!……どうしてニンニクばかり食べたんです」
「だって風邪にはニンニクがよく効くんだもの」
「あんた風邪なんてひいてなかったろう!!やめてくださいよ…ただ単に好きなだけなんでしょ、あんたわかってるんですか?事務の女の子が頼んだペペロンチーノにはいっているニンニクのスライスまでとりあげて食べたんですよ。彼女のスパゲッティに、あんたが使ったままのフォークを突っ込んだもんだから残りを食べなくなっちゃったじゃないですか」
「なに!なんてもったいない食べ方をする子だ。まったく最近の若いものは…」
「まず人のパスタに直フォークを突っ込んだことを考えろ!!!!!!」
「あんまり憶えてない…」
「この酔いどれイモ虫が!!!!」
「ひどっ!?」
「あのペペロンチーノはもったいないので僕が食べました。感謝してください」
「そうか、じゃあ、私がおまえにごちそうしたということになるのかな」
「ならねーよ!!」
ああ、もういやだ、このオヤジどこかに置き去りにしてやりたい。ふとみるとちょうどいい具合に電柱脇にゴミ捨て場がある。
「太子ー、この辺でいいですか?」
僕はこの上司の名前を呼んだ。
「ううん?もう妹子んちに着いたの?ってここ生ゴミ廃棄スペースなんじゃないの?」
「ちょうどいいかと思って」
「いいわけないだろ、私にだって人権ってものがあるんだぞ、そう簡単に廃棄されてたまるか、ちくしょう、こうなったらおまえも道連れだ!!!」
「うわーーーー、嘘ですよ、冗談ですって、だから人をゴミのなかに押し倒すな、ヤダ、臭くなる、どけぇぇぇぇ」
「あっ、ワンちゃん!へい、お手」
「やめろ!深夜にゴミをあさっているような生活力逞しい都会の野犬に手をだすな!!!」
「ギャーーーー、耳かまれたーーー」


疲れた。果てしなく疲れた。
こんなに疲れたのに、体中嫌な匂いがついてしまったので家に着くなりシャワーを浴びることにした。もちろん太子も。二人して生ゴミ臭いなんて最悪だ。
 だいぶ酔っていたから、気をつかう精神力も残っておらず、玄関におろしたら即眠りそうになった太子を連れて一緒にふろ場にゆく。どうあっても太子にも身体を洗ってもらいたい。フラフラしながら太子は身体を洗い、シャンプーは面倒臭がったので僕が半ギレになりながら頭を洗ってあげた。
 風呂から出て、タオルで頭をごしごしとこすってやる。すると気持ちよさそうなため息をもらしたので、妙な気分になって僕は手を止めた。そしてバスタオルをボスリと太子の手に押しつけると、
「あとは自分でやってください」
といって自分の身体を適当に拭いて、逃げるように台所までゆく。水道をひねって水を飲んだ。太子はまだ身体を拭いているようだ。
 僕は水をもう一杯飲む。なんだか飲んでもどんどん身体のなかで蒸発してしまうような変な感じだ。おそらく飲みすぎたんだろう。明日が休みの日でよかった。それでも頭の半分はきちんと冷静に働いているので、太子の家族にもこのことをちゃんと連絡しなくちゃ、と気をまわすことができた。
「太子、太子の家の電話番号教えてください」
「へ、なんで?」
「今日、僕のところに泊まるって奥さんに連絡しないと心配されるでしょう」
「あー、奥さんねぇ…」
なぜだかだらんと腕を下ろして宙をみつめる瞳はどこかうつろだ。それから彼はため息をついた。
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