日和

□悪霊と闘う妹子殿
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それはまだ春も浅い頃。ここ斑鳩の里でも連日花見の話題が絶えないが、仕事を一区切りした小野妹子もまた、筆を置いてくつろいでいた同僚とこれから始まる桜の話をしていた。
「あとどれくらいしたらつぼみが開きますかね」
まだ朝廷に来たばかりの初々しい地方豪族の青年が妹子ににこにこと話しかけてくる。この青年の実直で清々しいところが妹子は気にいっていた。
(僕も初めてここにきた頃は、こんな感じだったのになぁ)
青年の、仕事でちょっと疲れた顔をしながらも憧れの場所で働いているという謙虚な情熱を肌で感じながら妹子は二杯目のお茶を注いだ。
「はい、どうぞ」
「これは、ありがとうございます」
少しはにかんで先輩からお茶を頂く後輩に妹子は笑みを送り、心のなかでこう祈った。

(おまえはしっかり生きていくんだぞ!)

「……妹子殿?」
突然険しくなった彼の表情をみて、後輩が心配そうに声をかける。
「どうかされましたか…?」


と、二人の耳に、どこからともなく低い囁き声が聞こえてきた。


……おまえ、いまツナ食べたいって思ったろう……

はっ、と後輩が辺りをみやる。しかし、自分たち以外人の気配はない。だが、もう一度、耳にはっきりと残る声が聞こえた。

……おまえ、いま猛烈にツナ、食べたいんだろう……

バッ、と妹子が立ちあがった。どうされました!?という後輩の声に答えることもなく、妹子は天井めがけてまだ熱い茶が入っている湯呑を投げつける。

「マンボーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

湯のみが天井を突き破ると、耳をふさぎたくなるような痛ましい悲鳴がふってきた。しかし、妹子は動じることもなく、それをハッと鼻で笑うと、思いしったかこのアワビが、と切って捨てるような口調でいい、それからしばし天井の様子をうかがう。なにかが動く気配は、ない。茶色い木目がどこか神秘的な模様を描き出しているほかは、さっき開けられた穴ぼこ以外これといって変哲もない天井に戻ってしまった。いまの声はなんだったのだろう……というか妹子先輩怖かった…、そう思いながら固まっている後輩に気がついて妹子は照れ隠しのようにクスッと笑った。
「ごめんね、驚かしてしまって」
「いいえ!」
後輩は怖いのでとりあえず首をフルフルとふった。そして彼は声をひそめて妹子にこういう。
「………あっ、あの、いまのが妹子殿にとり憑いている悪霊なのですか?」
「悪霊…」
ああ、と妹子は素早く合点する。それは朝廷勤めをしている者のなかでも階が低めの、というか天皇、摂政、そして蘇我氏とは普段会う機会が少ない者たちのあいだで広まっている噂のことだろう。

小野妹子には悪霊が憑いている。

それ故に彼は時折、空に向かって弓矢を射ったり、川のなかになにかを突き落したり、どでかい斧を振り回したり、スルメと沢庵をふりかざしたりするのだと。

だからそんな妹子殿をみても驚いてはいけない。後輩たちへの面倒見もよく、気さくで優しい妹子殿がそんな風にトチ狂われている時は、ひとえに悪霊を追い払っているからなのである、と。

妹子自身はこの噂を初めて聞かされた時、あっけにとられてしまったが、しかし待てよと考え直して、それ以来噂を特に否定しなかった。

(このほうが無難そうだ)

そう判断したからである。

こうすれば、自分のイメージを守れるのはもちろんのこと、ひいてはあの馬鹿のイメージも守れる。

「妹子殿…あまりに悪霊が激しく襲ってくるようなら、祈祷でもしてはいかがですか。私、知りあいにお祓いをしてもらって無事不治の病を治した者がおりますゆえ、ご紹介いたしましょうか」
青年の真剣な口調に妹子はお礼をいった。
「心配をさせてしまって申し訳ない……私の悪霊は強力なのでなかなか祓えないのだけど、天皇が勧めてくださった祈祷師にみてもらっているんだ」
「そうですか、天皇の…でしたらその祈祷師が一番でございますよね!なんといったって天皇ご推薦なのですからね!!」
すごい、この人、天皇からも配慮をされている人なんだ…!という尊敬&憧れオーラが後輩の顔にみなぎった。そんな後輩の輝きをみて妹子の身体になんだか居心地の悪い汗が出てくる。
「と、とにかく僕の心配はしないで、君は君の仕事に励んでくれたまえ!」
シュピパッと手をあげて妹子は早々にその場を後にした。そんな後ろ姿でさえも、純真な後輩の目にはカッコよく映る。

この日、午後の仕事も問題なく終えて、やっと一人暮らしの小野邸に帰ってきた妹子がみたものは、昼間の腹いせにと部屋中にばらまかれていたむき出しのカレールウだった。怒りにまかせて手で割って散らばせたようで、あちこちに細かい欠片があって迂闊にふんず蹴ると畳にすりこまれてしまう。しかも寝室に撒かれているものだから布団はとりにいけないわ、というか今晩どこで寝よう。

「あんのフジツボヤローーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」

青白い月明かりのもと、空に吸い込まれるように響いた妹子の声を聞いた者は、夜を渡る風とそれになびく木々だけであった。


***********
朝廷にはいったばかりの、意欲と希望に燃えていた妹子を何百人という役人たちのあいだから見つけ出した太子はフォーリンラブ。以来ちょっかいをしにくる。が、見事にウザがられる(酷)
妹子は太子の気持ちを知らない(嫌がらせだと信じている)
太子は自分の気持ちを知らない(とってもニブイ)

妹子は徐々に太子になじんでしまえばいいvv

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