Mihasi*Abe

□気持ちいいこと
1ページ/1ページ

「おまえに気持ちよさを教えてやるよ」

三橋はキョトンとした顔をして、ヘルメットを脱いだっけ。
あいつがファウル二回の後、三振してしょげてベンチに戻ってきた練習試合でのことだった。額の汗をぬぐいながらあいつはこっちを見返した。案の定腑に落ちてない顔をしている。
「ピッチャーとして、勝ちたいだろ?」

バッターとして負けても。

あいつはようやく意味がわかったのか、コクコクとうなずいた。

「オレ、投げる よっ」
「おお」


オレはあの時、肩に力が入ってきてしまった三橋を、少しでもリラックスさせようとしてそういったんだ。結果は見事な完封試合に終わった。だいぶ厳しいと思っていただけに、この結果にはオレも驚いた。

ま、試合中は夢中で、アウトとること以外は考えられなかったんだけど。
三橋はその日、帰りの電車のなかでも鼻歌なんか歌っちゃってゴキゲンだった。沖や田島に褒められて、顔を赤くして笑っていた。駅について、一度学校に帰って、それぞれが解散した瞬間も、意気揚々と自転車をこいでいった。
また、明日な。そういったオレの言葉には、フヒッと極上の笑みを返して。


ちょっと浮かれすぎてるか?
少し、心配になったけれど、まあいいだろう。オレはオレで軽快に自転車をこいで帰った。

それから、この「キモチイイコト」はオレらの秘密の合言葉になった。捕手が投手にしてやれること。それが、ストライク。
「な?」
守りが終わってベンチに戻るとき、オレが三橋に視線を送ると、あいつは笑みをかみ殺したような表情で、ちょっと地面を見つめながら走った。どうよ、オレのしてやれること。
三橋を楽にさせてやりてぇ。きっと捕手だからこそやってやれる。オレはそう思ってけっこう得意になっていた。

「もらってばかりじゃ、イヤだな」
三橋があるとき心配そうにいったのにも、なにいってんだコイツ、くらいで深くなんて考えなかった。いいじゃん、オレも楽しいんだぜ。そういって笑ってみせたのに、相手は不満そうな顔をしていた。
オレは気がつかなかったんだ。三橋によかれと思ってやっていることが、だんだんこいつを不安にさせていたなんて。

だから、オレが思わず漏らした気持ちいい、という言葉にこいつは過剰なまでに反応した。

「ホント!?本当なの阿部君!!」

それからこいつはなにを勘違いしたのか、いままでのぶんを返すとばかりに勇んでオレのところにやってくるようになった。

「……三橋」
「なに?」
偶然、誰もいないグラウンドの端のベンチで、三橋はオレの背中にびったりとくっついて、この入道雲がそびえる暑い空の下で、腕をオレの腰のあたりにまわしている。
「おまえ、だいぶまえから気がついてるんだろう?これは意味が違うって」
「……」
返事がない。
「あのさ、オレ、別にプラマイゼロとか、もらったぶんだけ返さなきゃいけないとか、そういう考えないから。っていうか、量で測れるもんじゃないんだからさ、気持ちよさとか充実感なんて。おまえはマウンドに立って投げてるだけで十分オレも満足なんだよ。わかってんだろ?」
「わかってるよ」
背中に顔をつけてくぐもった返事するから、背骨のあたりがじんわり熱くなった。
「それはもうわかったけど、でも」

だからって、やめなくてもいいんでしょ?

「オレから、阿部君に、あげるんだ…」
「ばっかじゃねぇの」

オレは熱くなった顔をみられないように、あいつを背中につけたまま、その手をほどこうとつかんだ。ぎゅうううっと相手もしめつけてくる。
「こら、放せっていってんだろ!?」
オレはもがいた。古ぼけたベンチがぎしぎしと音を上げる。
「みーはーしー」
嫌だ、もがくと身体のなかが熱くなってくるから。
「学校だっていってんだろ…!なあ、おい」

パッ、と手が外された。唐突だったので、オレはちょっとまえにつんのめる。
「あのなぁ!」
振りかえって睨もうとすると、三橋の茶色い瞳にぶつかった。まっすぐとこっちをみてくる瞳。口元に浮かんでいる笑みは、嬉しそうで穏やかで、あのよくみせるどこかひきつったものじゃない。それから三橋はズイッと腕で身体をベンチの上にすべらしてオレに一歩近寄った。
「ね、いって…」
「なにを?」
「いって」
「なにをですか?」
オレが眉間にしわを寄らしてフイっと横をむくと、しつこくそれを追ってきた。
「いってください」
丁寧語なんか使っちゃってるけど、勝手に耳元に口なんか寄せて、完全に余裕でいやがる。
「いいません」
「ダメ」
「ダメとかいってら」
「意地悪…」
そら、そうでしょう。
「…意地悪 だから 意地悪 するよ」
「あ?」
とたんに背中から首筋にかけて痺れるような感覚が走った。
「ふっ」
「きもち い?」
三橋がやわらかくオレの首を指先で撫でる。
「まさか」
鳥肌立てながらいうなんて、我ながらどうしようもないな。
「意地悪」
三橋は拗ねたようにわざとらしく唇をとがらせると、もう一度繰り返した。
「ねえ、いって」

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ