短編小説
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「付き合おうよ。ね?」
明らかに軟派な喋り方の男。でも、格好いいやらなんやらと、色々な噂が絶えない、そんなクラスメイトに転校して一週間で告白されているのは普通でむしろちょっと地味な男だ。
「なんで…?」
人生何があるかわからない。
よく聞く言葉だったけれど、こんなにひしひしと実感したのは初めてだった地味な男は、自分よりも背の高い男の顔を恐る恐る見上げた。
下から見ても、整っている顔をしている。
他のクラスメイトが、この男に対してはどことなく態度が違ったのも、この整った顔のせいなのか、と伊那斗は自分の状況を忘れ考えていた。
「えっと、佐伯君…だよね?」
「名前まだ覚えていないんだー?俺は佐伯 日路(さえき ひろ)。覚えた?樋山伊那斗(ひやま いなと)クン。」
「あ、はい」
のらりくらりと喋りながらも、佐伯は少しずつ伊那斗を閉じ込めるように迫っていた。
そんな佐伯が両手を壁につけ、自分がその間にいると気付いたときには、いつの間にか背中が壁と合併条約を結びそうになっていた。
逃げられない。
伊那斗は内心冷や汗をじっとりと掻いていた。そして、とどめと言わんばかりに佐伯が唇を伊那斗の耳元に寄せ、「で?」と口を弓のように形作った。
二人の間の距離が、限りなく0になる。
「は、え?何がですか?」
途端に伊那斗の心臓跳ね上がった。慌てて逃げようと試みたが、伊那斗に残された道はやはり壁と一つになることだけしかない。
「だから、付き合ってくれるのか、くれないのか。どっち?」
「あ」
さっきの自己紹介と顔が近付いたという衝撃ですっかり忘れていた伊那斗は、餌を待つひな鳥のように口をあけ、間抜けた顔で見守るような佐伯の笑顔を見上げた。
「えっと、その。あー…、」
答えようとした伊那斗だったが、結局なんて言っていいのかわからなくなり、唇を噛んだままゆっくりと頭が沈んでいく。
すると佐伯はぱっと身を離し、大きな瞳と薄い唇を三日月のように細めて、どんどん沈んでいく伊那斗の肩に軽やかに手を置いた。
「もしかして、付き合うの初めて?じゃあ俺とお試しで一週間付き合おうよ」
肩に置かれた手が、やけに重い。
首をかしげながら佐伯の顔をうかがうと、さも名案かのように笑顔を向けられる。
一体何がどうなってじゃあに繋がるのか問い質したくなったが、伊那斗は瞬きをして見つめ返すことしかできない。
そんな伊那斗の瞳まで飲み込んだ、ね?と有無を言わさぬ三日月スマイルに圧倒されて、いつの間にか口は「はい」と答えてしまっていた。
教室に伊那斗の小さな返事が響く。
「やった。じゃ、帰ろう?」
佐伯はきゅっ、と目もとをさらに細め、流れるように伊那斗の肩を抱いた。
伊那斗は引き摺られる様に教室の出口へと向かう。
自分より背の高い佐伯の腕の重さに汗をかきながら、こんなことになるなら女の子と付き合いたかったなぁ、と暢気に考えていた。