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□entreaty 1
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「っっ!!」
がばっと、夢から醒めたばかりの上体を勢いよく起こした。
肩でする息が荒い。
心臓が激しい音を立てているのが分かる。
それは今まさに口からでも飛び出さんばかりの勢いだ。
体中にべっとりと湧き出した汗の所為で着ていたワイシャツが気持ち悪いくらいに体に纏わり付いている。
荒い息を一度止め、ゆっくりと吐き出す。
そして、苦虫を潰した様な顔で辺りを見回した。
―――…夢、か……
そう思ったことで幾許か息が整い、気持ちも落ち着いてきた。
だが、心臓の鼓動だけが落ち着きを取り戻さない。
ちっ。
夢にしてはいやに現実味のある夢だった。
あの場に居た虚ろな自分の五感と、彼に触れることのできなかったこの手の感覚。
今でもありありと思い出せる。
ちらと、夢の中で彼の腕を掴もうとした左手に視線を向けると、その左手は今も尚、固く握り締められていた。
ぎりぎりと骨が軋む音と、手の平の薄い皮がぶちっと切れる音が聞こえた気がした。
その手を開こうとしたのだが変に力が入り、筋肉が緊張してしまっている為開くことができない。
眉間に皺を寄せながら右手で指を一本ずつ解き、左手を無理矢理開かせる。
手の平を見遣れば、やはり先程の音は空耳ではなかったらしく、赤い血が滲み出ていた。
眉間の皺が更に深くなる。
滲み出た血をシーツに擦り付け、妙に重たく感じる体をベッドから下ろす。
後でこの部屋の洗い物を取りに来る人狼が、先程擦り付けた血を見て煩いぐらいに心配してくるだろう。
それを適当に鼻血が出たとでも言って誤魔化そうなどと思いながら、デスクの上に置いてある予備の包帯で消毒もせずに傷口を隠してしまう。
血の匂いに敏感なあの二人をこれで騙せるとは思っていないのだけれど。
まぁ、特には隠し、騙し通す気もないのだけれど。
適当に白のワイシャツとジーパンをクロゼットから取り出し、この体中に纏わりつく汗を洗い流しに行こうと、ゆっくりと部屋を出た。
途端。
「―――スマイル」
名を呼ばれた。
はっとして振り返った先に居たのは、全身を黒の服で覆っている…
「ユーリ」
不思議そうな顔で此方を見詰める彼の姿が、夢の中の彼と重なった。
触れる前に消えていった、彼の姿と。
何故か、彼からすぐに視線をずらしてしまう。
見ていられなかった。
彼は訝しく思っただろう。
空気で分かる。
伊達に永い時を共に過ごしてきた訳ではないから。
だが、彼はそのことを覚えてはいないのだけれど……。
コツ。と、彼の履いているヒールが高いブーツの床に当たる音が少しずつ近付いてくる。
ああ、怒っている。
わかってはいるが、顔を上げられない。
動かない。
……恐いから。
あの夢が。
本当に彼があの夢の様に、現実でも消えてしまいそうで…恐いから。
そんな迷妄と、笑うだろうか。
だが、恐いんだ。
現に以前、起きてしまったから……。