M短編2

□せめてあなたを抱きしめることができたら
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人懐こい笑顔に魅せられた。
それはきっと始まりに過ぎなかったのだ。

出会ってすぐ、自分とこの男は馬が合わないだろうと一線を置くことに決めた。
それはどうやら本当の意味での同僚も同様だったようで、あの男には必要以上に近寄らないようにしようと、暗黙の了解が出来上がる。
この男は予測通りの人間だった、だが時に考えも及ばないような行動も取った。
意表を衝くあの男の行動、言動全てに頭を抱える羽目になる。
同時に、自身の中で蟠りが生じるのもこの頃だった。
視線であの男を追うことが多くなり、自分以外の人物と楽しげに会話する姿に無性に腹も立った。
日ごと膨れ上がるこの感情の正体が恋なのだと、直ぐに悟った。
そんなものとは無縁な世界に身を置いていた割には早々に気付いたと、我ながら感服したほどだ。
厄介なのは、今まで必死に引いてきた一線を自身の方から取り払おうとしたことだった。
自身が置かれた状況を優先しなければならないのは解りきっていたことだ。
だが、あの男の肩を優しく抱き寄せ、耳元で愛の言葉を囁くことに焦がれてしまった。
そして、あの男に同じだけの愛情を返して欲しいと、望んでしまったのだ。
堤防が決壊するかの如く、理性の箍を越えた情欲は激しく溢れ出した。

自身の想いに正直になったと同時に、気付いたことがある。
それは目をよく凝らさなければ気付くことの出来ない小さな綻びだった。

―・・あなたの声はわたしの耳を優しく擽る。
あなたの幸福に満ちた笑みはわたしをも幸福な気分にさせる。
あなたの慈愛に満ちた指先はわたしの心を熱く灼け焦がすのだ。

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