長い夢「何度でも恋に落ちる」

□伏せていた過去
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「おまえ、有り金ほとんど本につぎ込んでねぇかい?」
私の部屋にやってきて、本を物色していたマルコがそう言った。床が抜けるかもしれないからマルコの部屋にかなりの蔵書を置いたはずなのに、私が運び込んだ本の中には今まさにマルコが読んでいるシリーズが入っていなかったのだろう。ここ最近は穏やかな航海が続いていたこともあってか、数冊掴んで行っては、数日後にまたここに来る、ということをマルコは繰り返していた。

「…全部ってわけじゃないけど?」
ベッドに座って、本を選ぶマルコの背中にそう答えると、マルコは首だけを後ろにひねってチラッと私を見た。無言だったが、「そんなことはねぇだろい」と聞こえてきそうだったから、

「古本が多いんだよね。」
と答えた。

「あ?」

「古本。新品買ってたらもたないから、大半が古本なの。」
と答えると、マルコの眉毛があがった。「なるほどねぃ」と聞こえそうだ。

「ま、どうせ戦闘ですぐに服もボロボロになっちゃうから、ナースの子たちみたいに服とか靴にお金かけてないのもあるけどね。」
そう補足すると、

「なるほどねぃ。」
と、やっと声を発した。若干馬鹿にされているような気がして、無言なままマルコの背中を睨んでいると、

「ん?」
とマルコが言った。
何だろう、と思ってマルコの手元を見ると、推理小説を並べてあったその後ろに二重に並べていた本を引っ張りだした。

(あ…。)
思わず声を出しそうになったが、私はそれを飲み込んだ。一瞬いろんな言い訳が頭に浮かんだが、何を言うのも気まずくて、私は黙ったままマルコの動きを見ていた。マルコはしばらくペラペラとその「見つけたもの」を見ていたが、パタンと「それ」を閉じると、元あった場所に戻した。そして、どうやら「それ」の隣、つまり表からは見えないところに並んでいた他の「それら」も見つけたのか、ちょっと屈んでそこにあるものを確かめているようだった。
きっとマルコの第一声は「だからおまえは学があまりねぇのかい」とか「どうりでこんな娯楽本しか読まねぇわけだ」と言った、私を馬鹿にするものだろうと思っていた。そして、そう言われたら、それは紛れもない事実だからいつものように喧嘩腰に反論はせずに「そうかもね」としれっと返そうと身構えていた。変に反論したほうがみっともないし、何しろ相手は博識なマルコだ。きっと口を開けば開くほど、墓穴を掘って馬鹿にされるのは目に見えていた。
だが、マルコのセリフは思っていたものと全然違った。

「ここから始まったにしちゃぁ、随分な語学力じゃねぇかい。…誰かに習ったのかい?」
そう言って、マルコは真面目な顔をして私を見た。いつもの人を小ばかにしたようなニヒルな笑顔はどこにもない。

「…独学…かな。」
なんだかマルコを直視できなくて、そう答えると、マルコは何か考えているようだった。

「そういやぁ…。」
何かに気が付いたように言ったマルコが気になって、私が顔をあげると、マルコはじっと私を見ていた。

「もしかして、おまえ、ここに来たときは読み書きができなかったのかい?」
核心を突かれて、私は即答できなかった。
マルコとはいつも言い争いをしたり、張り合ったりしてはいたものの、決して嫌ってはいなかった。いや、絶対に口には出さなかったが、隊長としては尊敬していた。だが、女としてそれなりに苦労していた私は、例え相手が隊長であっても、弱みは見せたくなかった。今でこそ、マルコに限らず、他の隊長や隊員に適度に弱みを見せたり、ふざけて甘えるようなことを言うこともあるが、それこそ今の地位と実力を確立したからこそのもの。白ひげ海賊団に入団した直後はどんな弱みも見せたくないと頑なだった。それは、力の話だけでなく、知識の上でもそうだった。新聞を読んだり、何かを書き留める親父や、海図を書いているマルコを見て引け目を感じた私は、最初に降り立った島でなけなしの小遣いをはたいて未就学児が使うような読み書きの基礎の本を買ったのだ。それから少しずつ、島の本屋に寄るたびにレベルアップした本を購入しては、船の雑用の合間に勉強を続けた。幸い女だったことと、まだ人数の少ない段階からここにいたことで自分の部屋を与えられたこともあって、こっそり勉強できた。そんな過去をマルコに知られることは、弱い、と馬鹿にされるよりも私にとっては屈辱的だった。目に見えて隠すことのできない「力」に関しては、努力をして実力をつけてきたことでみんなを見返してきた。いや、そうするしかなかったし、そうやってのし上がるって行く世界なのだ。だが、知識とか読み書きについては、どうしても「できなかった」事実を知られたくなかった。一瞬真っ白になってしまった頭をフル回転させて、どうやってこの場を乗り切るか考える私をよそに、マルコは私に背を向けたまま

「オレもだよい。」
と言った。

「え?」

「いや、オレもこの船に乗った時に何もできなかったのは同じだが、おまえみてぇに自分で学ぼうと思ったわけじゃねぇ。」
マルコは私に背を向けたまま、私に言っているのか、自分自身に語っているのかわからないようなトーンで続けた。

「何もできねぇオレを見て、『学べ』って親父に言われて、渋々始めたんだよい。」
そこでマルコは、フッと昔を思い出すように笑った。

「でも、読めるようになったら嬉しくて。読めるもんはなんでも読んだ。ただ、おまえみてぇに本を買わねぇで、上陸しては本屋で長時間立ち読みしてたけどな。書くのだって、海図を書きながら覚えたんだ。一人じゃ絶対に無理だったよい。」
そこまで言うと、マルコは私の方を見た。

「それなのに、おまえはこんな本とか新聞とか、海軍の機密情報を読んで、隊長会議で議事録を取れるくらいになるまで独学で学んだんだ。…すげぇよい。」
元から細い目をさらに細くして、笑顔で言ったマルコに、私は絶句した。固まる私をよそに、

「オレも、少し読めるようになった頃に読んだよい。この『うそつきノーランド』。ここまで来るのが大変だった。懐かしいよい。」
と言うと、マルコは『うそつきノーランド』が奥に並ぶ棚をチラリと見た。

「私がここに来た時には…マルコはもう海図書いたりしてたから、てっきり読み書きは昔からできるのかと思ってた。」
思わずそう感想を漏らした私に、マルコはふっと微笑んだ。

「読み書きなんか習わせてくれるような環境にいたら、この船に乗ってなかったかもしれねぇなぁ。ガキの頃からこんなところにいるような奴らは似たような境遇だろい。別に恥じることじゃねぇ。それより…。」
マルコは自分の手にしていた本をじっと見ると、

「そんな状況から本の虫になった自分自身を褒めてやっていいんじゃねぇかと思ってるよい。」
と言った。それは私にそう思え、と言っているのか、オレはそう思っている、と自分のことを話しているのかよくわからない言い方だった。いや、私の性格をよくわかっているマルコは、敢えて曖昧な言い方をしたのかもしれない。マルコは私の返事を待たずに、

「じゃ、今回はこれを借りてくよい。」
と本を数冊持った手をあげると、そのまま私の部屋を出て行った。

隊長として様々な面で尊敬していたとは言え、ああ言えばこう言ううるさい奴だと思っていた。大して努力もしないで元からのセンスだけで頭も良ければ戦いも強いのだと思っていた。全部私よりできるから、隊長だから、年上だから、いつも上から目線だと思い込んでいた。きっと私が何とか認められたいと誰にも文句を言わずに頑張ってきたことなんて、知りもしないだろうし、興味もないだろうし、知ってもなんとも思わないだろうと思っていた。
私はゆっくりとベッドから立ち上がると、本棚の奥にあった「うそつきノーランド」を引っ張り出した。

「まさかあんたがこんなもんを読んでたなんてね。」
私もそうだった。読めるようになったことが嬉しかった。だから、服も靴もアクセサリーもいらなかったんだ。本があればそれでよかった。
かなり間引かれてしまった本棚を見上げて思う。私の少ないお小遣いで買い集めた大事な本をなぜすんなりマルコに貸してやろうと思ったのか、自分でもよくわかっていなかった。あの時、親父や仲間のために医学書を買うことを優先して、自分の物を買わないマルコに何かをしてあげたいとは思った。でも、きっと、本に対する想いとか、好きなものを思いっきり読むことに飢えているマルコに気が付かないうちに共感していたのかもしれない。
嬉しそうに私の本を読むマルコを見て自分も嬉しくなったことを思い出す。その時の気持ちが、今まで以上に自分の胸の中でじんわりと暖かく広がるのを感じた。
私は「うそつきノーランド」を持ってベッドに寝っ転がると、久しぶりにその表紙を開いた。
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