続いてる夢

□大馬鹿野郎の恋A(完結)
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おれは完全に名無しさんの機嫌を損ねちまったらしい。あれ以降、全く取り付く島もない。

「はぁ…。」
これがいわゆる失恋か、などと思いながら、ジョッキを口に運ぶと、

「どうしたマルコ。辛気臭せぇ顔しやがって。」
と、向かいに座っていた親父が声をかけてきた。一瞬適当に誤魔化しちまおうとか思ったものの、それもどうかと思いなおした。

「あー…。女にふられちまった。」
そう言うと、親父は片眉をあげた。オレからこんな発言を聞くとは思ってなかったらしい。
だが、

「てめぇは今までさんざんいろんな女を泣かしてきたんだ。逆に一回くらいふられとかねぇと、世の中不公平じゃねぇか。」
と言って、ニヤリと笑った。

「…。痛いとこをつくよい。」
そう言うと、親父はグラグラと笑って

「に、しても、おまえをふるなんざぁ大した女じゃねぇか。」
と言ってジョッキをあおる。

「あー、まぁ、な。」
正直、オレは相手の名前まで出す気はなかった。それを感じとったのか、或いは、オレが相手について詳しいことを話さないことがかえってその女が身近な存在であることを示唆しちまったのかわからねぇが、鋭い親父のことだ。きっと何かを感じたのだろう。それ以上相手のことを聞き出そうとはせず、何か考えるように遠くを見ると、さっき並々と注いだはずのジョッキを空にして徐に話し出した。

「いつも勝気な女がひでぇ顔してやがるから、何があったんだと聞いたことがあったなぁ。」

「…。」

「そしたら、男にふられたって話し出したんだが、それまでよっぽどため込んでやがったのか、堰切ったように泣き出しやがった。周りに心配させねぇように空元気振りまきやがって、鼻ったれのくせに。」
無言で聞くオレの存在なんかねぇみたいに親父は話を続ける。

「自分と別れた瞬間から、陸で女をひっかけまくってる。つきあってた最後の方も明らかに自分への関心が薄れてるのがわかってたから覚悟はしてたが、実際にそれを目の当たりにするとつれぇってな。やっぱり男は自分みてぇな色気が微塵もねぇ女より、ああいう華がある、きれいな人がいいんだろう。でも、だったら告白した時にすぐにふって欲しかった、ってな。」
そこで親父は持っていたジョッキを横に置くと、直接酒瓶に手を伸ばした。

「だから言ってやったんだ『おまえの価値がわからねぇような男はすっぱり忘れちまえ。見てくれだけの色気が女の価値じゃねぇ。悔しかったら、人間として男も女もたらしこめるくらい、いい女になれ。余計なことを考えねぇで、そのままのおまえを大事にしてりゃ、そういう女になれる』ってな。」
親父はそこで一息つくと、オレをちらっと見た。

「10年くれぇ前の話だ。」

「っ!」

「オレの膝でさんざん泣いて、気持ちを切り替えたそいつは、そりゃあいい女になった。オレの自慢の娘だ。」
この船に乗るナース以外の女は限られている。そして、10年も前から乗ってるとなるとますます対象は絞られる。いや、そもそもこの話の内容からして、名無しさん以外にあり得ねぇ。

「なぁ。マルコ。」
一見静かに語り続けているようで、明らかに鋭くなった目つきにオレは緊張で胃が締め付けられるのを感じた。

「その女を慰めつつも、オレはその相手に無性に腹が立ってなぁ。ぶん殴って根性叩きなおしてやるから連れてこいって言ったんだが…。そいつが、自分に魅力がなかっただけだ。それに、オレにそんなことされちゃぁますます惨めになるからやめてくれって頼むから、オレは渋々拳を収めたんだ。」
そう言うと、親父は握りしめた自分の大きな拳を見下ろす。

「だがな、次にあいつを泣かした奴は容赦しねぇ。敵だろうが海軍だろうが…。或いは、そいつがオレの息子なら半殺しにした上に勘当だ。例えそれが…隊長であってもなぁ。」
オレは自分の背中を冷や汗が流れるのを感じた。
親父はそれ以上は何も言わず、酒瓶の酒をあおっては遠い海を眺めていた。
一方のオレは、最初こそは親父の怒りにビビっていはいたものの、たった今聞かされた事実を冷静に振り返って、言葉を失っていた。あの名無しさんが親父の膝で号泣していたのだ。そして、やっぱりオレが一人の女に拘束されることに嫌気がさしていたことも、陸で女遊びをすることを優先したこともあいつはわかっていた。それなのに、そんなオレを責めるでもなく、自分に魅力がなかったからだと人知れず泣いていた。あの頃のあいつはオレより数倍大人だった。そして、あの頃のオレも、そんなことを知らずに「オレの女にならねぇか?」なんて聞いたオレも、今頃になってやっと事実を知ったオレもあいつの足元にも及ばない大馬鹿野郎だ。

「なぁ、親父。」
オレはさっきから全く口をつけていないジョッキを見つめながら口を開いた。

「ふられちまったが、やっぱりその女以外に考えられねぇ。」

「…。」

「昔からいい女だったんだ。でも、オレは何もわかっちゃいなかった。この歳になってやっとわかった。わかったらもう、あいつ以外に欲しいもんはねぇ。」
親父は無言のまま、酒瓶に口をつける。

「親父の言う通り、いろんな女を泣かせたが、こんなことを思ったのは初めてだ。」

「そうか。」

「泣かせたことを後悔するのも初めてだ。」
オレはすっかり温くなったビールを飲み干した。

「今さらみっともねぇとも思う。でも、恥とかプライドとかそういうもんも、あいつの前ではどうでもいいよい。」
親父は大きく息を吐きだすと、

「最終的には男と女の話だ。当事者同士が好きにすりゃぁいい。外野がとやかく言うことじゃねぇ。」
と言って空になった酒瓶を置いた。

「結局は自己責任だ。過去から学んで幸せになるか…同じ過ちを犯して不幸になるか…。いい大人なんだ。てめぇで決めろ。」

「ああ。」

「てめぇが惚れた女だ。きっとその女も馬鹿じゃねぇ。誰が本当に自分を大事にしてくれるのかくれぇ、わかるだろう。」

「…。」
この10年で変わったオレを名無しさんは信じてくれるだろうか。
オレはジョッキを置くと、立ちあがった。船長室を出ようとしたところで、

「アホンダラが。10年もかかりやがって。」
という親父の声が聞こえた。
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