短い夢@

□忙しい人
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名無しさんがいろいろ我慢していることはわかっていた。しばらく全く相手をしてやれていないことも、オレの置かれている状況を理解してそれに対して不満を言わないようにしてくれていることも。それなのに、自分の苛立ちを名無しさんにぶつけちまったことを後悔していた。初日のナースの護衛を終えると、二日目丸一日と三日目の午前中に何とか用事をすべて済ませて、オレは名無しさんが見たいと言っていた三日目の花火の時間を確保した。

「…で、肝心の名無しさんがいねぇんじゃあ、意味がねぇよい…。」
いつも島に寄れば名無しさんは必ず上陸して宿を取っていた。もし、都合が合えばここにいるからと、いつもオレに自分の泊まる場所を教えてくれていたのだが、今回はどこにいるのか全くわからねぇ。上陸直前に名無しさんが何かを言おうとしていたのに、それに耳を傾けなかった自分を後悔しながらも、あいつの行きそうな場所は大体わかるだろうと高をくくっていたのに、今回は全く見つけることができない。街で出くわした仲間に声をかけてみても、「見てません」という返事しか返ってこなかった。

「船に戻ってビブルカードを取ってくるしかねぇか…。」
花火大会まであまり時間もねぇから、できれば船には戻りたくはなかったが、もうそんなことも言ってられない。不死鳥になって探し回ると目立つし、どうしようもねぇと思ったところで、船の方向から歩いてくるビスタを見つけた。

「ビスタ!」
手を振ると、こっちに気が付いてビスタが振り向いた。

「おい!名無しさんを見なかったかい?」
駆け寄ってそう聞くと、ビスタがオレを睨んだ。

「…昨日会ったが。」
不機嫌そうにそう答えたビスタに違和感を覚えつつも、

「今日は見てねぇのか?」
と聞くと、ビスタは鋭い目つきでオレを見たまま無言だ。

「…どうした?」
まるで喧嘩を売られているような気分になったオレがそう聞くと、

「…名無しさんの所在を聞いてどうする?」
と低い声でビスタが返した。

「…なんでおまえにそんなことを言われなきゃなんねぇんだよい。」
あいつは一番隊の隊員だし、そもそもオレの女だ。なんでビスタがこんなことを言うのかさっぱり理解できねぇ。そう思ったオレは、次のビスタのセリフに首を傾げた。

「別れたんだろう?」

「は?」

「名無しさんとは別れたんじゃないのか?」

「…初耳だよい。」
何でいきなりそんなことを言われるのかさっぱり理解できずにそう答えると、ビスタは怪訝そうに眉をひそめた。

「構ってほしいならもっと暇な奴とつきあえ、と言われてふられたと聞いたが。」

「は?誰からだよい?」

「本人だ。」

「え?!」

「忙しいのに一緒に花火を見たいとわがままを言ったらふられた、と。謝ろうとしたがそれもできなかったと言っていた。」
オレは言葉が出なかった。絶句するオレに、ビスタが続けた。

「他の奴とつきあえ、なんて言われたらそう思うだろうな。」

「あ…。」

「きっと上陸もしないで一人で泣いてたんだろう。泣きはらした目で船に残っていたから事情を聴いたらそう説明された。」

「っ…。」
自分自身がそのセリフを言い放った時のことを思い出す。そして、その後親父の部屋から出てきたオレに何かを言おうとしいてたのは、謝罪だったのだと思い返してオレは、頭を抱えた。

「そんなつもりは…。」
そうは言ったものの、確かに、そう解釈されてもおかしくねぇ。状況を理解して困惑するオレの横でしばらく無言だったビスタが口を開いた。

「打ち上げ花火を見たことがないらしい。」

「え?」

「マストに上がればモビーからもきれいに見えると言ったら、そうしてみると言っていた。」

「っ!」
船にいる。そう理解したオレが、顔を上げると、まっすぐにオレを見据えたビスタが言った。

「おまえが忙しいのは誰でも知っている。だが、全部おまえが抱える必要はない。大事な女を泣かせるくらいなら、もう少し周りをうまく使え。」

「…すまねぇ。」

「早く行け。」
オレはビスタの横を駆け抜けると、モビーに向かった。

モビーに着いた頃にはもう周りは薄暗くなっていた。
マストの上に人影が見えたような気がして、不死鳥になろうとした瞬間、視界の端に明るい光が見えて、ドーンと花火の音が響いた。変身して上空からモビーを見下ろすと、マストから垂直に突き出した柱に腰かける小さな背中が見えた。再び目の前に大きな花火があがると、名無しさんが顔を上げた。

「わぁ。」
と言う小さな声が聞こえる。
オレはその横に静かに降り立つと、変身を解いた。驚いた名無しさんが座ったまま横を向いてオレを見上げた。だが、すぐに視線をオレから逸らすとうつむいてしまった。
オレは無言で名無しさんの隣に座った。
また、大きな花火があがるが、名無しさんはうつむいたまま顔を上げない。
そっと名無しさんの肩に手を回すと、その体がビクッと震えた。

「別れてねぇよい。」
そう言うと、完全に下を向いていた顔が少し上に上がった。

「ひでぇことを言っちまって悪かった。おまえをふったつもりもなければ、別れる気もねぇ。」
ゆっくりと、名無しさんが顔を上げてオレを見た。まだ少し腫れぼったい瞼が痛々しい。

「それとも、オレがふられちまったのかい?」
そう言うと、名無しさんが慌てて首を横に振った。

「オレと一緒に花火を見てくれるかい?」
名無しさんの唇がへの字に曲がったかと思うと、ぎゅとつぶった目から涙がぼろぼろとこぼれてきた。

「マルコっ。」
伸びてきた両腕がオレの首に回ると同時に、その体を受け止めて思いっきり抱きしめる。

「すまねぇ。」
もう一度謝ると、オレの腕の中で名無しさんが首を振る。

「わ、わがまま、言って…ごめんなさい。」

「いいんだよい。おまえがずっと我慢してくれてたことはわかってたんだ。オレが大人気なかったよい。」
そうは言ったが、名無しさんはまるで自分に非があるとでもいうかのように首を振り続ける。

「悪かった。頼むから、オレより暇な奴のとこなんかに行くなよい。」
ポンポンと頭を撫でると、ゆっくりと名無しさんがオレを見上げた。

「行かないよ。」
その答えに満足したオレが笑うと、名無しさんも微笑みながらオレの頬をそっと撫でる。目の前の唇にそっとキスをしたところで、ひと際大きな音が響いた。

「すごい音。」
驚いて名無しさんが花火会場の方を振り向いたところで、もう一発、特大の花火が上がった。

「うわぁ!」

「すげぇな。」
空一面に広がった花火の先が、パラパラと心地よい音を立てながら枝分かれしていく。

「すごい…。」
ふと視線を名無しさんの顔に戻せば、目をキラキラ輝かせて花火に見入っていた。

「すごいねっ!マルコ!」
無邪気な笑顔をオレに向けて興奮する名無しさんにオレも笑みがこぼれる。そういやぁ、花火を見るのは初めてだって言ってたことを思い出す。失いそうになっていたこいつを取り戻したことはもちろんだが、こんなに嬉しそうにはしゃぐ笑顔を見逃さなかったことに心底感謝した。

「こっちこいよい。」
オレはマストにもたれると、自分の足の間に名無しさんを座らせた。後ろから抱え込むように抱きしめると、名無しさんが首だけオレに向けて、嬉しそうに微笑みながら、オレの腕に手を添えた。

「すっごく贅沢。」

「これで酒とつまみがあれば完璧かい?」

「ううん。今のままで完璧。」

「そうかい。」
再びあがった花火に目を輝かせる名無しさんの頬にそっとキスをしながら、今度ビスタにいい酒を買おうと思った。
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