短い夢@

□試し試され最終的に
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女部屋をノックすると、ちょっと間をおいてから静かにドアが開いた。名無しさんが顔を出すと、

「誰…?」
と言ったが、オレだとわかると目を大きく見開いて固まった。

「ちょっと、いいかい?」
一瞬名無しさんの顔が強張ったが、無言でうなずくと、女部屋から出てきた。とりあえず、静かに話ができる場所に向かおうと、甲板で人気のない方へ歩いていくと、名無しさんは黙ってオレについてきた。
オレは海を背にして名無しさんに向き合うと、口を開いた。

「すまなかった。」
もしかしたら、名無しさんはオレが謝ることを全く想定していたなかったのかもしれない。驚いたように顔を上げると、目を丸くしてオレを見た。

「本来なら、おまえが余計な心配しねぇで帆の修理に専念できるように、気持ちよく十六番隊に…貸し出してやらなきゃならなかった。」
敢えて「貸し出す」という言葉を使う。

「あの状況なら、一番隊の業務の優先順位を下げてでも、帆を完成させる方に尽力するのが正解だ。先に…先にオレに一言言って欲しかった、ってのが正直なところだが、だからと言ってあんな言い方をする必要はなかった。オレの器が小さすぎた。」

「勝手に行動して…ごめんなさい。」
俯いたまま名無しさんが小さな声で謝った。

「いや。あの状況で1秒でも無駄にしたくなかったおまえの気持ちもわかるよい。」
オレはそう言うと、大きく息を吸い込んでから続けた。

「十六番隊に異動してぇか?」

「え?」
バッと顔を上げた名無しさんがまっすぐにオレを見た。

「これからも帆の修理は発生する。もし、おまえが十六番隊に行きてぇなら、イゾウも歓迎すると言っている。」
もし、十六番隊に行きたいのなら、それが言いやすいように誘導してやろう、というのがオレの目論見だった。オレの個人的な感情でこれ以上こいつを傷つけたり縛り付けたりしたくなかった。
再びうつむいてしまった名無しさんが、

「…それは、隊長命令なの?」
と聞いてきた。

「いや。おまえの好きなようにしてもらって構わねぇよい。」
隊長命令で縛り付けることもできる。でも、それはしたくない。あくまで名無しさんの意思を尊重したい。そう思っているのだが、名無しさんは

「マルコは…。マルコはどうしてほしいの?」
とオレの意思を確認しようとする。

「オレがどうしてぇかはいいんだよい。」

「十六番隊に異動してほしいの?」

「…別にそういうわけじゃ…。」

「マルコが…。マルコが、十六番隊に行った方がいいって言うなら、そうする。」

「…おまえはどうしたいんだよい。」

「私は…。」
俯いたまま、名無しさんは黙ってしまった。おれは名無しさんに近づくと、そっとその頭に触れた。

「決められねぇのかい?それとも、何かに遠慮してんのかい?気にしねぇでいいから、おまえがしたいようにしてくれよい。」
ゆっくりと、名無しさんが顔を上げた。

「マルコの…マルコの迷惑にならないなら、一番隊にいたい。」
今にも泣きそうな顔をしてオレをまっすぐに見る名無しさんに、オレは言葉が出なかった。オレはそのままもう一歩名無しさんに近づくと、名無しさんをぎゅっと抱きしめた。

「迷惑なわけねぇだろい。」
名無しさんは抵抗することなくオレの腕の中に収まっていた。オレのこの行為を仲間としてのものと受け止めているのか、男としてのものと受け止めたうえで抵抗しねぇのかオレにはわからなかった。

「オレは…。」
腕を解いて名無しさんを解放すると大きく深呼吸してから、オレは腹をくくった。

「オレは、自分が思っていた以上に嫉妬深いみてぇだ。」
名無しさんは無言で顔をあげた。

「サッチがおまえが男を買ったと勘違いしてたろい?」
いきなり全然違う話題になったからか、名無しさんが首を傾げた。

「オレも同じ勘違いをしてたんだよい。」

「え?」

「『オレで試してみねぇかい』っておまえを誘った時も、勘違いしたままだった。」

「…え?えぇ?」

「幸いおまえがベッドにうつ伏せに寝て、寝違えた首の話をしたときにその勘違いに気が付いたけどねぃ。」
オレが笑いながらそう言うと、徐々に事実を理解した名無しさんは驚いているのか口を開けたまま何も言えないでいた。

「それまで、おまえのことを特に意識したことはなかった。可愛い妹分だと思っているはずだった。でも、おまえがどこの馬の骨ともわからねぇイケメンとやらを買ったらしいと思った瞬間…。」
視線を床から名無しさんに移すと、名無しさんはさっきと同じようにオレをじっと見ていた。

「ムカついたよい。」
思わずハハっと乾いた笑い声が漏れる。

「今回の件も、きっとおまえ以外の隊員がオレに何も言わねぇで十六番隊を手伝っていても特になんとも思わなかったんじゃねぇかと思う。大したことじゃねぇんだ。でも、おまえがオレに何も言わなかったことが、オレの知らねぇところでイゾウと話をつけてたことにムカついてたんだと後で冷静になって気が付いたよい。」
ポカンとオレの話を聞いている名無しさんがオレの告白をどう感じたのか全くわからなかった。だが、無表情でじっとオレを見るその顔が急に下を向いてしまった。

「…幻滅したかい?」
どんな否定の言葉を言われても仕方ねぇと覚悟を決めたはずだった。だが、見えない名無しさんの表情に不安が募る。

「びっくり…びっくりしたけど…。」
俯いたままの名無しさんから小さな声が聞こえた。

「でも、嬉しい。」
そう言ったかと思うと名無しさんは顔を上げた。その顔は、はにかむように微笑んでいた。今度は、オレがポカンと口を開けて何も言えなくなる番だった。「嬉しい」と言ったその言葉の意味を自分の都合の良い方に理解しようとしつつも、「ちょっと待て」と冷静になるように呼び掛ける自分もいる。次に発するべき言葉も全く思い浮かばなくて、取り敢えず開けていた口を閉じたところで、自分の左手に何かが触れた。

(…?)
ゆっくりと左下を見ると、名無しさんの手がオレの左手を握っていた。

「女扱いしてないから、マッサージしてくれるのかと思ってた。」
オレは名無しさんの手を握り返すと、

「…女扱いしねぇどころか、下心しかなかったんだよい。」
と白状すると、名無しさんはクスクスと笑いだした。

「笑いすぎだよい。」

「だって、嬉しいんだもん。」

「いや。馬鹿にしてるだろい。」

「そんなことないよ。」
そう言いながらまだまだ笑い続ける名無しさんと繋いでいた手を引っ張っると、空いていた右手で名無しさんの体を抱き寄せた。

「今回の一番の功労者は満場一致でおまえだ。おまえがいねぇからって十六番隊の奴らが文句を言ってたよい。早く行って、顔出してやれ。」
そう言うと、名無しさんは顔を上げた。

「みんなと飲んで、妬いたりしない?」
ニッと笑ったその唇にそっと自分の唇を重ねた。

「もう妬く必要はねぇってわかったからねぃ。」
オレの返事に名無しさんはにっこりと笑うと、

「じゃ、みんなと飲んでくる。でも…。」
と言いながら、上目遣いにオレを見た。

「今日はすっごく疲れてるから、後でマッサージ、よろしくね。」
そう言ってオレの頬をそっと撫でると、名無しさんはするりとオレの腕から抜け出した。呆気にとられるオレに背を向けると

「一番隊の方にも顔出すから!」
と言って、走り去ってしまった。

「全身くまなく揉んでやるから任せとけよい。」
すでに視界から消えていた背中にそう言うと、オレも一番隊の輪に戻ることにした。
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