短い夢@

□風邪っぴき
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本当はずっとそばについていたいと思ったものの。それでは名無しさんが気になって書類を持ち込んでもはかどらないだろうと思ったし、きっとマルコに用事のある面々が入れ代わり立ち代わり医務室に来て(或いは、マルコに用事があるふりをして名無しさんの様子を見に来て)逆に名無しさんの邪魔になると思われた。それに、他の奴らが熱を出したらよほどのことがない限り薬を飲ませてそのまま放置だ。一応ナースには声をかけてあるし、何かあったら呼び鈴を鳴らせと言ってある。べったりと名無しさんの横に張り付いていたら、周りの奴らに何を言われるかわからない。そう考えたマルコは後ろ髪を引かれる想いで自室にこもっていたのだが。

(結局気になって仕事が全然はかどらねぇよい。)
心の中でそんなことを愚痴りながらマルコは部屋を出て医務室に向かった。
医務室のドアをノックするが、中から返事はない。

(寝てんのか?)

「入るよい。」
一応そう声をかけてドアを開けると、名無しさんが苦しそうに眉間に皺を寄せたまま寝ていた。

(熱があがってきたか?)
そっとマルコが名無しさんの額に手を乗せると、結構熱い。髪の毛の生え際も汗ばんでいる。

「ん…。」
名無しさんがうっすらと目を開けた。

「大丈夫か?熱が上がってきたみたいだよい。」
そう言いながらマルコは医務室専用の冷蔵庫を開けると、中から氷嚢を出してそれをタオルでくるんだ。名無しさんの横たわるベッドの横に立つと、そっと名無しさんの頭を持ち上げてその下にタオルに包んだ氷嚢を差し込んだ。

「熱、測れるかい?」
体温計を持ってベッド横のスツールに座ったマルコが名無しさんの顔を覗き込むと、名無しさんは眼を開けてゆっくりと右手を差し出した。そこにマルコが体温計を渡す。気だるそうに名無しさんが布団と着ていたシャツをはだけると、左脇に体温計を差し込む。露わになった首と鎖骨の白さにマルコは一瞬ドキッとしたが、何とかポーカーフェイスを保ったまま、側にあったタオルを手に取って立ち上がると、それを水道の水で濡らした。

「寒くはねぇかい?」
そう言いながら、濡らしたタオルで名無しさんの額の汗をぬぐう。名無しさんは気持ちよさそうに目を閉じたまま、

「うん。」
と答えた。マルコがゆっくりとタオルを名無しさんの頬から首のあたりに降ろしていく。

「それ、気持ちいい。」

「…。」
白く細い首にマルコの目が釘付けになる。

(こんなことで動揺するなんて、そんなに欲求不満なのか?それとも、弱ってる名無しさんなんて、珍しいもんを見ちまったからか?今日のオレは本当にどうにかしちまってるよい…。)
そう思いながらマルコは手を引くと、

「測れたかい?」
と名無しさんに声をかけた。
名無しさんはゆっくりと脇の下から体温計を抜き取ると、それをマルコに手渡した。

「38.7度…。結構あるな。」
それを聞いた名無しさんが不安げにマルコを見上げた。

「そんな顔すんなよい。薬が効いてきてるから熱があがってるんだ。」
名無しさんの頭に手を置きながらマルコは続けた。

「今晩ぐっすり寝たら、明日の朝には大分楽になってるはずだ。」
マルコの手に気持ちよさそうにしていた名無しさんが弱弱しく微笑むと、ついさっき無理やり押し込めたはずの「感情」がまたムラムラと沸き上がってくるのを感じたマルコは、慌てて

「ほら、しっかり寝とけよい。」
と言いながら、はだけた布団を掛けなおして立ち上がった。と、そこで、名無しさんが一瞬、口を開いて何かを言いかけた。

「ん?なんだい?」
それに気が付いたマルコがそう問いかけると、名無しさんはぐっと口をつぐんでゆるゆると首を横に振った。

「なんだい?欲しいもんがあるなら言えよい。」
名無しさんはチラリとマルコを見たが、またすぐに首を横に振ると、布団を口元まで上げてしまった。マルコは名無しさんの枕元に戻ると、その大きな手を再び名無しさんの頭に乗せた。

「どうした?」
名無しさんは布団の中からマルコを見上げると、またゆるゆると首を横に振った。

「言いたいことがあるなら言え。欲しいもんがあるなら言え。今日だけは甘えさせてやるよい。」
きっと何かを遠慮してるんだろうと察したマルコがそう言うと、名無しさんがわずかに目を見開いた。

「ほら。」
マルコが促すと名無しさんは口元まで上げていた布団を下げた。

「…もう少し…。」

「ん?」

「も、もう少し、ここに、いてよ。」

「…。」
驚いて固まるマルコから隠れるように、名無しさんは再び布団を口元まで上げた。一方のマルコは、腰が抜けたように、ストンとスツールに座ると、弧を描きそうになる口元を必死に抑えた。
そのまま二人無言のまま。
しばらく続いた沈黙に名無しさんはこんな言い方をされたら、きっと断りたくても断れないに違いない、本当は迷惑だったんじゃないかと不安になっていた。

(忙しかったら、いいよ、って言わなきゃ…。)
思い切ってそう言おうと、名無しさんが口までかかる布団を下ろして首を横に向けた瞬間だった。マルコの手がすっと伸びてきて、名無しさんの手を握った。

「忙しいオレの時間は高ぇよい、って言いたいところだが…。」
マルコはそこまで言うと、ニヤッと笑って名無しさんの手を握る手に力を入れた。

「おまえが気になって結局何にも手につかねぇ。さっさとよくなってもらわねぇと、困るよい。」
謝ろうと開きかけていた口をポカンと開けたまま、名無しさんがじっとマルコを見つめると、もともと熱で赤かった頬がさらに赤くなる。

「う、うん。」
何とか名無しさんがそう答えると、マルコは手を握ったまま、もう片方の手で名無しさんに布団を掛けなおした。握られた二人の手が布団の下に隠れる。
名無しさんはきゅっとマルコの手を握り返すと、

「ありがとね。」
と言って微笑んだ。マルコは無言のまま微笑み返すと、同じように布団の下の名無しさんの手を握り返した。
そのまま名無しさんが静かな寝息を立てるまで、マルコは名無しさんの手を握り続けていた。
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