短い夢@

□守らねぇ
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名無しさんのことを知ったのは、サッチから話を聞いたのが最初だった。もちろん、新入りは全員把握している。誰がどこの隊の所属になるのかを振り分けるのもオレの仕事だから、この船で知らねぇ奴はいねぇ。とは言え、この大所帯で全員について詳しく覚えているのは無理だ。大抵すぐに他に入った似たような奴と混同しちまったり、「そんな奴がいたなぁ」くらいの印象になっちまう。
だが、名無しさんに関しては数少ない女だったことと、珍しくその「女」に対してサッチが女扱いできねぇと話していたこともあって、記憶に残っていた。サッチから聞いた話によると、オヤジに多大な恩があるとかで、白ひげ海賊団の戦力になりたいと本当に命を差し出しても惜しくないくらいの勢いで稽古に励んでいるとのことだった。だから、サッチも最初こそ「女」として接していたものの、名無しさんがいかに真剣なのかを理解して特別扱いを一切やめた。いや、むしろ、ある意味特別だった。ヘタをしたら男の隊員に対してより厳しいんじゃねぇかってくらい、鍛えてやっていた。それでも、訓練以外の時間には、まるで妹のようにかわいがっている様子をよくみかけたし、当の名無しさんも、戦いから離れりゃ控えめな、可愛らしい感じの女だったからまさかそんな逞しい奴だとは思えないギャップにオレも驚いたもんだった。
そんな勢いでサッチにしごかれていたこともあって、しばらくして名無しさんは四番隊にとっては大事な戦力となった。とは言え、どんなに志が高くったって、どんなに努力をしたって、どうしても天性のもんがある程度ないと生き残れねぇのがこの海だ。そう言う意味では、サッチのしごきについていけただけでなく、結果も残しているこのお嬢さんには、オレも一目置いていた。




そんな名無しさんが甲板の隅で泣いているのを見かけたのは本当に偶然だった。長時間の打ち合わせから解放されて、独りで一息入れてぇと人気のない甲板に移動した時だった。船の縁に寄り掛かって海を眺める名無しさんが、目元を拭ったのだ。一瞬、跳ねた海水が顔にかかったのかと思ったが、何度も目を擦ったり、鼻をすする様子から泣いているのだと確信した。声をかけようかと迷ったが、名無しさんは大きく深呼吸をすると、すべてを振り切るように顔を上げて頬をパンパンと両手で叩いたのを見て、オレは何も見なかったことにした。それに、名無しさんのことだ。きっと、稽古で負けて悔しい思いをしたとか、サッチに厳しいことを言われたとか、そういうことだろうと思った。それなら、その悔しさをばねにまた頑張るんだろう。だったら、オレが声をかけてもしょうがねぇ、と思ったんだ。

だが、どうやらそういう理由で泣いていたわけではなさそうだと知ったのは、たまたまサッチと昼飯を食った時だった。それまでいつものようにくだらねぇ話をしながら飯を食っていたサッチが、何かに気が付いたのかちょっと離れた方を見て渋い顔をしたもんだから、オレがどうしたのかと聞くと

「…名無しさんがな…。ふられちゃったのよ、彼氏に。」
と言ってため息をついた。

「…相手は…どっか別の隊の奴だったか?」
名無しさんに彼氏がいることは知っていた。それこそ以前サッチが話していたからだ。確か四番隊どうしのつきあいではなかったということだけは覚えていた。

「そ。まぁ、オレが気に掛けるようなことでもねぇんだけどよ、他の女がいいってふられたって言うからちょっと心配でな。」

「…落ち込んでんのか?名無しさんは。」
オレがそう聞くと、サッチは顔をしかめて、

「表面上はそうは見えねぇけどよ。それがまた健気で見てらんねぇのよ。なにしろ、『おまえみたいに強い女にはオレがいなくても大丈夫だろ』って言われてふられたらしいからな。で、ほら。」
と言うと、頬杖をついたまま、親指で食堂の隅の方を指さした。

「あのいかにもか弱そうな、可愛い感じのナースとつきあいだしたってわけ。ったく、何もここでいちゃつかなくてもよくねぇか?」
サッチが指さした方を見れば、そこには仲睦まじげに一緒に座る男女。女はナースの制服を着ている。ナースたちとオレらの昼飯の時間はずらしているはずなのに、ここにいるからやけに目立つ。オレはそのままぐるっと食堂を見渡した。すると、そんな二人とは少し離れたところで四番隊の仲間たちと一緒に昼飯を食う名無しさんが座っていた。

「なるほどな。」

「ったく、そんな女がいいならなんでそもそも最初から名無しさんとつきあったんだよ。食い散らかしやがって、ムカつくぜ。」
そう忌々しそうなサッチの発言を聞いて、その名無しさんをふった男は、きっと名無しさんを外見で選んだんだろうと思った。オレだって、サッチからいろいろと話を聞くまでは名無しさんがそんな芯の強い女だとは思わなかったからだ。

「ま、いいんじゃねぇか?そんな男にゃ名無しさんはもったいねぇよい。」
オレがそう言いながらグラスの水を飲み干すと、サッチはちょっと驚いた顔をした後、

「ま、おまえの言うとおりかもしれねぇな。」
と言った。
こんな話を聞いちまったことと、理由ははっきりしねぇが泣いているのを見ちまったこともあって、その後もオレは名無しさんのことが気になっていた。その数日後、それとなくサッチに名無しさんの様子を聞くと、「気を紛らわせてぇのか吹っ切れたのかはわからねぇが、今まで以上に稽古に励んでる」と言われて、なんとも名無しさんらしいと思った。
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