長い夢「何度でも恋に落ちる」
□ Happy Birthday
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ノックの音がする前から、もう誰がドアの前に立っているのかマルコはわかっていた。どうせ返事をしなくたって勝手にドアを開けるだろうと思ったら、案の定、思った通りの人物がひょこっと顔を出した。
「マルコ?」
「なんだい?」
マルコは振り返りもせず、机の上の書類をめくりながら生返事をする、ふりをする。ポーカーフェイスのまま、名無しさんの来訪を何とも思っていないふりをしながら、内心喜んでいたのだ。
「ねぇ。」
どうせ本でも取りに来たんだろうと思っていた名無しさんが机の横まで来て声をかけたので、マルコは
「ん?」
と顔を上げた。
「お願いがあるんだけど。」
ニッコリと笑って自分を見下ろす名無しさんに、マルコは一瞬固まる。こんな風に素直に「お願い」なんて言われるのは初めてだと思った。が、何となく条件反射ですぐに
「…嫌だよい。」
と返事を返してしまった。
「…。」
名無しさんの口がへの字に曲がる。
「おまえの『お願い』なんて、ろくなことがなさそうだよい。」
名無しさんがムッと不満気に唇を尖らせたのを見て、マルコはこのまま「じゃ、もういい。」と言って部屋を出てしまうのではないか思い、慌てて
「あー、取り敢えず、聞くだけ聞いてやるよい。」
と言った。それでも完全に機嫌を損ねて部屋を出てしまうのではないかとマルコは不安だったが、名無しさんは気を取り直して話し出した。
「あのさ。私、明日誕生日なんだよね。」
「…そうかのかい?」
マルコは驚いて目を見開く。男所帯だし、そもそも海賊船だし。モビーにおいて幼稚園のように毎月誰かのお誕生会をするようなことはない。とは言え、親父や隊長、一部の古株連中の誕生日をそれとなく祝うことはあった。誰かが酒の席で「今日はオレの誕生日だ!」なんて言い出せば、当然みんなでお祝いになったりもした。だが、少なくともマルコの覚えている範囲では名無しさんの誕生日を祝っているのは見たことがなかった。
「おまえの誕生日なんて、今まであんまり聞いたことねぇな。」
「うん。特に言わなかっただけ。一応自分の生まれた日は知ってるよ。」
「そうかい。」
そもそも自分が何月何日に生まれたのかもわからない、という境遇の奴らもそれなりにいるものの、どうやら名無しさんはそうではなかったらしい。
「で?」
一体どんな無理難題を言ってくるのだろう、と思いながらも、マルコは名無しさんの「お願い」に興味があった。
「マルコの背中に乗せて欲しいの。」
ニッと笑って言った名無しさんに、マルコはまた目を丸くする。
「…またオレの腕立てを手伝いてぇってのかい?」
「…違うよ。空飛んでって言ってるの。」
「は?」
何となく、何か高価な物を買えとかトイレ掃除を免除しろとか、そういった類の「お願い」を想定していたマルコは、全く違う次元の「お願い」に間抜けな声を上げた。
「ほら、前遭難した時にマルコに乗って帰ってきたでしょ?あれ、すっごく楽しかったからさ。」
ニコニコ笑顔で言った名無しさんに、マルコは一瞬呆気にとられたが、自分にしか叶えられない無邪気なお願いに緩みそうになった顔を引き締める。そんなこと、誕生日じゃなくったっていつでも頼まれてやるよい、と言いたいのが正直なところだったが、素直にそんなことを言えるわけのないマルコはちょっと考えてから、
「明日の誕生日に飛びてぇってのかい?」
と名無しさんに聞いた。それに対して名無しさんはニコニコ顔のまま頷く。
「…。嫌だよい。」
じっと名無しさんの顔を見てからマルコがそう言うと、名無しさんのニコニコ顔は一気に落胆したものに変わった。
「明日は隊長会議やらなんやらで忙しいんだよい。」
「いいじゃん、ちょっとくらい。別に何時間も飛んで欲しいわけじゃないし。」
「それに、海しかねぇとこを飛んで何が楽しんだよい。」
「マルコはいつも飛んでるからそうかもしれないけど、私は海だけでも楽しいの。」
「もう誕生日が来て嬉しい歳でもなんでもねぇだろい。」
「む。」
不満気に名無しさんがマルコを見るが、マルコは「もう話は終わりだ」と言わんばかりに机に向き直ると、続けていた作業に戻る。
「ケチ。」
「ケチで結構。」
バタンとドアの閉まる音を聞いてから、マルコは持っていた書類を置いた。すぐ横にあった海図を手に取って確認すると、ニヤッと笑った。