華憑きは歌う

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それはまるで昨日のことのように思い出す。
突然の叫び声、外からチラつく明かりと様々な影、今まで聞いたことのなかった父親の怒号、母親の必死なお経、燃え上がる本殿、倒れて動かなくなった大切な2つの屍と、真っ赤に染まる己と辺り一面の血の海…
辺りが静まり返り、薄っすらと朝日が昇ってくるのと同時に、あたしは眩しすぎる信じ難いその現実に涙をこぼした。


―…
「…、…い!葵ってば!」
『うぁはぃっ?!』
突然現実に引き戻された感覚で、あたしは辺りを見回しながら奇声を発した。
すると正面には呆れ顔の友達が、紙パックのジュース片手にあたしの顔の前で手を振っていた。
「またあんたはぼーっとして」
『はははっごめん』
「何?何か考え事?愚痴くらいなら聞いてあげるけど?」
そう言いながらジュースを飲むのは同じクラスの駒野奈津子、通称なっちゃん。
あたしがこの烏野高校に転校してきてから仲良くなった新しい友達である。
事が事だっただけに、あたしの傷は深いものだったけれど、なっちゃんはそういう所は突き止めてきたりせず、一人でいたあたしに高校生活で友達の居ない青春送るつもり?と、暗い沼にいたあたしの手を引いてくれた。
それがきっかけで、まだひと月くらいとはいえ、そう思えるくらい有難くて大切な友達である。
「そういえばこっちには慣れた?」
なっちゃんの言うこっちとは、この烏町のことである。
市内からは山を幾つか超え、とてもではないが町と言うにはあまりにも殺風景、でも必要最低限の店は揃っているし、電車も一応通っているので時間は掛かるものの市内に出掛けるのもそこまで不便ではない。
隣町からこの高校に通う生徒も少なくなく、県の中では田舎にある割にはそこそこ人気のある高校だ。
『昨日の夜中にトイレに行こうと思ったら、庭に猪がいたことには驚いたかな』
「まぁ、これだけ山に囲まれてるし、あんたの家って畑あるんでしょ?猪の一匹や二匹くらいそりゃ降りてくるわね」
『色んな意味で新鮮だったよ』
そう言いながらあたしはお弁当の最後の一口を食べた。
時計に目をやればあっという間に昼休みも終わりに近づいていた。
『次って体育だったよね?』
「うん、着替えに行かなきゃだし早くそれ片付けなー」
なっちゃんはそう言いながら立ち上がり、自分の席に荷物を取りに行き、あたしは両手を合わせて「ご馳走さまでした」と小さく呟き、お弁当を片付けながら立ち上がった。
ドンッ
『ひゃっ』
「ぅわっ」
慌てていたための周囲への配慮ミス。あたしが立ち上がりながら横にずれると、後ろから丁度誰かが歩いてきていたらしくぶつかってしまった。
反射的に机に捕まったので、なんとか前のめりにこけることは免れた。
「わっ、ごご、ごめんね!」
突然の謝罪に振り返ると、そこには両手を顔の前で合わせて必死に謝ってくるクラスメイトが立っていた。
確か、名前は山口君…だったかな?どちらと言えば目立つタイプではなく、でも律儀で親切なイメージがある。
『あたしこそ急に立ち上がったからごめんね』
「ううん、俺も急いでたもんだかr…」

「山口」

山口君がそう言いかけているとそれを遮る声に思わず振り返った。
教室の入り口、ドアレーンすれすれまでの長身で金色の髪に眼鏡、不愛想というか仏頂面というか関わり合えなさそうだなと、転校初日に印象強く残っていた“月島蛍”。
蛍という綺麗な名前は、彼の容姿にもぴったりだった。
彼はギロリと一瞬こちらに視線やったが、直ぐに山口君へと視線を戻した。
「何してんの?先行くよ?」
そう言うなりそのままこちらに背を向け、廊下へと出て行ってしまった。
「あっ!ツッキー待ってよ!ぁ、えとっ、浅田さんほんとにごめんね!それじゃあ!」
山口君は去り際にもう一度小さくお辞儀をして、慌てて月島君の後を追うように走っていった。
一見不釣り合いに見えるあの2人だが、いつ見ても大体一緒によく行動をしているのを見ると友達なんだろう。
まだこっちにきて日も浅いし、クラス全員のことを把握しきれてもいない。幸い新学期になってそこまで月日が経っているわけでもなかったから、出遅れたような感覚はなかったけど、それでも地元の子でこの学校に通う子は7割近くいるらしい。
なっちゃんは残りの3割の方らしく、町は一つ隣に住んでいるので電車通学組である。
「あんたまだ片付けてなかったの?置いていくわよ?」
先ほどの誰かさんと似たようなセリフを言いながら呆れつつも、隣まできてくれたなっちゃんに謝って急いで準備をした。

廊下をすたすたと早足で歩く月島に、後ろから慌ただしくやってきた山口はやっと追いつき、「ごめんねツッキー」とへらへら笑いながら謝っていた。
「急いでたら浅田さんにぶつかっちゃってさ」
「周り見て行動しないからデショ」
「うん、そうなんだけど…」
そう言い山口は顔を少し赤らめながら、教室の方をチラチラと気にしていた。
「何?」
「えっ?!い、いやっなんでもないよっ!」
誤魔化そうとする山口だったが、月島は大方検討がついていた。
先ほど教室の入り口に立っているだけでも伝わってきた。
たまらない程の蜜のような甘い香り、思わず駆け寄って抱きしめたくなるような、自分の物にして、めちゃくちゃにしてしまいたくなるような感覚と誘惑に、思い知らされる己の中の本能に虫唾が走る。
「山口…前にも言ったと思うけど、あまり関わるなよ」
「わ、分かってるよ!」
慌てふためく山口のそれは本音、俺たちとは違う別種の甘い果実、しかし今の平穏や均衡を崩すのに十分な毒だ。

5限目、体育は女子がハードル走、男子は高跳びと同じグラウンドを使っていた。
準備体操も終わり、あたしはなっちゃんと列に並んで順番待ちをしていた。
「ご飯食べた後に走らせるとかありえないんだけど」
『横腹らへん痛くなっちゃうよねー』
「普通に走るだけならまだしも、ハードルをわざわざ跳んで何の意味があるのかしら」
なっちゃんはそう言い溜息を吐き、あたしもははっと苦笑すると、一部の女子がざわざわしていた。
「今の見た?月島君あんな高いの軽々と飛んでたんだけど!」
「だってあの身長じゃん?リーチありすぎだよ」
「月島君って不愛想だけど、遠くで見る分には目の保養よね〜」
女子高生らしいきゃっきゃとした話題に、あたしも視線を今話題になっている本人へと向ける。
今しがた跳び終えたのか、マットから降りて眼鏡をかけ直しながら列へ戻っていく姿は悠々としており、高跳びの棒の位置へ眼を向ければ確かに彼の伸長をも超える高さだった。
『あんなにひょろいのに意外だな〜…やっぱり男子は筋肉の付き方が違うんだね』
「葵っ!順番回ってきたよ!」
なっちゃんの声にハッと視線をそちらへ向けると、前走者の子がもうスタートしていて、なっちゃんもスタート位置について準備していた。
慌ててスタート位置まで行き、前走者の子が走り終わったのを見計らって、クラスの女子が掛け声をする。
「よーい、どん!」
合図に合わせてあたしとなっちゃんは同時にスタートした。
最初こそ同じタイミングで跳んでいたものの、運動神経の良いなっちゃんはさっきまでの文句はどこへやら、どんどんあたしから離れていくのが視界の端で見えた。
あたし自身も運動は得意な方だが、それでも追いつくのは難しい。それにハードル走だし跳ぶときのフォームも綺麗に跳べるように意識したい。
…なんて考えながら終盤に差し掛かった時、ラストのハードルに向かう瞬間ハードルの向こう側に視えた“ソレ”にあたしは目を見開いた。
地面から生える何本もの血の気のない腕…。
全速力で走っているため止まることも出来ないし、避けるにもハードルはすぐ目前まで迫っている。
それに何より体がそちらへ引き寄せられるようにいうことをきいてくれない。
ガシャァンッ
『い゛っっ…』
あたしは結局止まり切れず、飛ぶことも出来ず、ハードルに思いっきり突っ込む形になってしまい、ハードルが足に絡まりながら地面へと派手にこけてしまった。
クスクスクスと、嬉しそうに笑う声が遠くの方で聞こえた気がした。
「葵!大丈夫?!」
既にゴールしていたなっちゃんが血相を変えてあたしの方へと駆け寄ってきてくれ、その後から先生も駆け寄ってきていた。
さっきまで腕が生えていた地面は何事もなかったかのように、綺麗さっぱりなくなっており、あたしはというと両足がズル剥け状態になっていた。
「浅田さん…あら大変!すぐに保健室へいってきなさいな」
『あ、はい…すみまsっいたっ』
へらりと笑いながら立ち上がろうとしたが、こけた時にぐねってしまったのか、右の足首が酷く痛んで立ち上がれない。
「足ぐねっちゃったの?」
『うん、そうみたい…』
「仕方ないわね…先生、あたし付き添ってきます」
「そうしてあげて頂戴。はい、他の皆さんは続きを始めますよ!」
なんとかなっちゃんの肩を借り、あたしはひょこひょこと保健室へ向かった。
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