短編

□帰れない二人は
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崑崙に雨が降った。


とはいえ、普段雲の上にある仙人界はいつも晴れ。
たまに人間界の天気が悪い時に、崑崙にかかった雲から間違えたように雨の雫が舞うだけ。


太公望と紫燕は、既に雨水を吸って乾いた岩の上に腰掛けていた。


他愛のない話を繰り返していた。
言葉は所在なさげに吐き出されては、仙人界の清らかな空気と混じりあっていく。

思ったよりも空気が冷えて、二人の声は震えていた。


会話は尽きかけていた。
既に出涸らしのような内容の話ししか出てこない。
それでも、黙っていると何かに押し潰されそうな気がして。
惰性で薄められた話ですら尊く感じる。


一瞬訪れた静寂。

太公望が紫燕を見遣った。

何かを言いかけて、遠くに見えていた誰かの洞府の門前の灯りが消えた。

仙人界に夜が訪れる。


夜は家に帰るものだ。
でも、二人には帰る場所がない。


お互い殷王国に点在する羌族の出身で、
お互い故郷を滅ぼされて崑崙へ来た。
師父は元始天尊と共通している。
彼の洞府内に、二人の寝床も用意されている。

それでも、二人はそこを帰る場所とは思えないでいた。


仙人界には、人間界と違う時間が流れている。
不老長寿の性質を持つ仙道は、寿命が無く老いも遅い。
普通の人間とは、与えられた時間が違う。
だから特に仙人の時間は早急に過ぎていく。
道士も修行を重ね、仙人界の空気に慣れ、それに近づいていく。

しかし二人はいつまでも慣れることが出来ずにいた。

だから二人は崑崙でも異質な部類に入っていた。
いつまでも下界気分の抜けない二人は、自然と惹かれ合い、いつしか頻繁に会うようになっていた。

お互いの一番心地よい時間だった。


辺りは次第に暗くなっていく。
仙人界は、日没の美しさにおいて人間界に劣っていると紫燕は思っていた。

二人は並んで何処ともなく宙を見ている。
冷えた空気が頬を撫でた。

新月の夜。
地球の影を写した月と、いくつかの星だけが二人を見ている。


「……今日は、釣り、いいの?」
「ん…そうだのう。」

結んだ手と手のぬくもりに浸るように、太公望は目を閉じていた。

「今は…いいかのう。」


太公望は独り言のように呟く。
紫燕もそれを受けて口を閉ざした。


静寂が心地よかった。
俗世に疎まれ、そのざわめきから離れてなお、仙人の世界に馴染みきれない二人だけの空間。
それが2人の宝物だった。

仙人達の早急な時間から外れ、永遠のように続く時間に浸る。

時は、ゆっくりと、穏やかな川のように流れていく。

仙人界で、どれだけの者がこの時間を共有出来るだろうか。

二人は、静かに浸る。
闇に融け、夜と交じわるように、静かに、密かに。


宵が更けていく。

人間界でも太陽が沈んだらしい。
世界は夜の闇に包まれる。

月明かりのない夜は、星のささやかな明かりしか頼るものがない。


そんな覚束無い夜も、お互いがいれば怖いものなどなかった。



自分を押し潰しそうな運命でさえ……。





夜半を過ぎ、星は夜空でのその役目を終えて地球の反対側へ帰ろうとしている。

帰れない二人を残して。






公開:2019/04/19

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