短編
□月見酒
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仙人界は雲の上にあるから、昼は太陽が近くて暖かく、夜は大きな月と満点の星空が楽しめる。
たまに雲が多いと雨がパラつくこともあるが、基本的に仙人界は晴れだ。
そんな美しい夜がほぼ毎晩楽しめるここ崑崙山では、仙道達が月を見ながら酒を飲む光景をよく目にする。
月夜の散歩が趣味であるわたしも、そんな小さな宴の場面を何度も見てきた。
そんな崑崙も、今夜は落ちてきそうな満月が浮かんでいる。
そして今日はなんとも珍しい人を見つけてしまった。
「こんばんは。普賢さま。」
「やぁ、いい夜だね。紫燕。」
普賢さまは、わたしの師父の弟弟子だから、師叔にあたる。
彼の物腰柔らかな態度と、全てを包み込むような優しさに惹かれ、何度かその洞府を訪れ談義を聞かせてもらった。
そんなわたしも数ヶ月前にめでたく仙人へと昇格させてもらい、普賢さま同様に弟子を設け、その育成に専念している。
「お隣失礼しますね。」
「どうぞ。」
跨っていた便利な宝貝・万能杖から、彼の洞府の門前に降り立つ。
座り込む普賢さまの横に、わたしも腰を下ろした。
「珍しいですね、普賢さまがお酒飲むなんて。苦手と仰ってましたよね?」
「…そうだね。でも、今日はそんな気分だったんだ。」
お酒を飲みたい気分か…どんな気分なんだろう。
聞きたいけど、それを聞くのは野暮な気がした。
「紫燕も飲む?」
「いえ、そんな、わたしは…。」
「これ望ちゃんがくれたんだけど、凄く貴重な仙桃から抽出したお酒なんだって。」
そんなこと言われたら気になってしまうじゃないですか。
「それに紫燕、お酒好きだったよね?」
「そうですけど…。」
そうだけど、この流れは…。
わたしはチラリと手元にあった宝貝を見遣る。
それから、普賢さまのお顔を…、
「…。」
「…いや、なんでもないです。」
そ、そんな寂しそうな顔をするなんて、確信犯なのだろうか?
わたしが頂きますと伝えると、普賢さまはにっこりと笑った。
そして、まるでこうなることが分かってたかのように、もう一つ盃を手渡してくる。
うーん、益々確信犯…。
手にした盃に、透明な液体がとくとくと注がれる。
手を引いた瞬間、漂ってくる甘く香ばしい匂い。
仙人界ではポピュラーな桃のお酒。
比較的アルコールの好きなわたしも過去に色々と飲んだ(飲まされた)ことはあったが、その中で一番と言っていいほど、香りがいい。
きっと味も相当に良いのだろう…。
でも、わたしがこれを飲んだら……。
あー、ええい、もうなんでもいいやと思い、それを口に運んだ。
口いっぱいに広がるのは、数年前に食べた"豊満"の桃に匹敵する味で。
今までの酒なんてこの酒の亜流ではないかと錯覚してしまうくらいの感動を覚える。
思わず、ぶるりと身体が震えた。
「美味しい?」
なんて聞いてくる普賢さまがいつもより妖艶に見える。
ドキドキと心臓が速くなっていく。そんなにアルコール度数も高くはなさそうなのに。
ああそうか。
酒に酔わされてるんじゃない。
普賢さまに酔わされてるんだ。
「美味しい…です。今までに飲んだどのお酒より…ずっと。」
それは、あなたが隣に居るからという要因も。
「そっか、お酒好きの紫燕にそう言って貰えたら、お酒も喜んでもっと美味しくなるかもね。」
酒瓶を持って微笑む普賢さまに、目がチカチカする。
ちょ、可愛すぎるぞ。
「そ、そうだ普賢さま。弟子のことでちょっと相談が…。」
「うん?僕でよければなんでも聞くよ。」
それからわたしは、気を紛らわせるように自身にまつわる話をした。
仙人になってから日が浅いわたしにとって、他の仙人の話はとても参考になる。
そんな雑談の切れ目、わたしは話すことに詰まってしまった。
そしてここに来た時のことを思い出す。
「…そうだ普賢さま。何を考えてたんですか?一人で晩酌してると、色々なことを考えますでしょ。」
慌てて話題を少し逸らすと、普賢さまは、そうだね、と思い出す素振りをする。
その目は、わたしにはどこか寂しげに見えた。
普賢さまは、わたしが仙人界入りした時には既に十二仙の一員だった。
彼は入山して約30年ほどでその地位に上がったという。それは過去に類を見ない程驚異的なスピードであったという。
それに関しては、誰が言ったか、何か崑崙の策略が働いているのではとの見解もある。
普賢さまの実力は確かだと思うが、わたしもそれの説を支持している。
しかし、その崑崙の何らかの策略というのも、普賢さまを高め、同時に苦しめているのではと…。
だって普賢さまの性格なら、仙人にならず道士として修行をするだろうと思うから。
だから彼はたまに、酷く切ない表情を垣間見せる。
その顔から、普賢さまは優しく微笑んだ。
「こうやってお酒を飲みながらぼんやり月でも眺めてたら、君が目の前を横切るんじゃないかなぁって、そんなこと考えてたよ。」
わたしのことを…考えていた…?
「…で、その通りになった、と?」
「ふふふ。」
彼は少し酔いが回ってきたのか、いつもは白い頬が少し紅潮している。
伏しがちのその目を縁取るまつ毛は軽く濡れ、月明かりに輝いてやけに色っぽく見えた。
思わず見とれてしまう。
「もう随分遅いね。」
「ええ…。」
わたしは再び、来る時に乗っていた宝貝を見遣る。
これで来たからにはこれで帰るのだが、しかし…、
「飲酒運転になっちゃうね?」
「運転って…これは宝貝ですけど…。」
酒を飲んだ直後に宝貝に跨り、自身の洞府へ戻るというのは、道徳的にどうか…今は良くても後世の人達がどう感じるか…ってわたし、何故今、後世の人のことを考えてるの?
「帰れないなら泊まっていきなよ。」
名案、と手を叩く普賢さま。
わたしは覚悟を決めて、彼の目を見据える。
「…わざと、ですよね?」
酒を勧めてきた普賢さまも、
敢えてそれを断らなかった私も。
「何の話かな。」
いつもの普賢さまと違うからか、その月光の照明の演出もあってか、余計にドキドキしてしまう。
月明かりには、太陽やランプの明るさとは違う独特の印象がある。
だから仙人達は、わざわざ洞府の外に出て酒を呷るのだろう。
そして私は、今夜そんな確信犯に誘われ、上手く取り込まれてしまった。
勿論、わたしも満更ではない。
あなたの寂しい気持ちを、少しでも紛らわせるなら、この身なんていくらでも…。
「本当に今日は…綺麗な月が出ているね。」
了
公開:2018/11/23