01.小さな幸せ






ㅤクローンというのは、知識としては充分に理解していたし、さまざまなドラマや映画、小説でもその名を轟かせている。
ㅤしかし、それはあくまでも物語や迷信といった類いのものであって、現実とはかき離れた空想、のはずだった。

「………は?」

ㅤ池袋で知らない人間など居ない。
ㅤ神出鬼没で計画的なうえに、外道とまで言われる情報屋、折原臨也は企みや、自身の気持ちを表に出すことはない。
ㅤ仕事上、さまざまな顔を持つうえに、言葉巧みに人を紛らすには、信じこませるための相当な語彙力と、他人に思考を悟らせない表情のテクニックも必要になるからだ。
ㅤそういう意味でも、臨也の笑みを崩すことは、平和島静雄でなければあり得ないことであったが、彼は珍しく目を見張り、目の前の光景に驚きを隠せずにいた。
ㅤ呆気にとられたような声を漏らすのも無理はない。なぜなら、臨也の目の前には、身長はやや小さめであったが、臨也と全く同じ顔をした人物が、マンションに届いたからだ。
ㅤ大量のうどんを平和島静雄に贈ったことならある。勿論嫌がらせであるが。
ㅤしかし、人間が届くことなどあるのか、と明らかに異常なその光景に、ヤクザ絡みや粟楠会など、自分の手で最悪を招いてきた臨也であっても、理解が遅れてしまっていた。
ㅤ差出人を見て、すぐにネブラの人間だというのが解ったが、説明書を見て、届いたのが人間であるという誤認が覆されることになった。

「こいつ、クローンか」

ㅤそれだけでも驚く内容ではあったが、如何わしいプログラムや、チップも埋め込まれていることが見て取れ、限りなく人間に近く造られていることが解った。
ㅤしかし、問題は何故、自分と同じ顔をしたクローンが作られたのか。

───クローンが造られた、というだけならまだ解る。ネブラのすることだ。また何か研究を重ねながら、実験ついでに贈ってきたんだろう。

「だからといって、何で俺と同じ顔をしたやつなのさ」

ㅤ新羅に聞くべきかとも思ったが、新羅から連絡がない以上、彼が何か知っているかは五分五分だった。
ㅤ納得したわけではない。しかし、状況を飲み込んだ臨也は、説明書にはある名前の記載を見て、贈られてきたクローンの名前が「サイケ」であることを知る。
ㅤ同時に、大きな段ボールが倒れていて、贈られてきたクローンが居ないことに気付いた。

「は!?ちょっと、あいつどこに行ったんだ!?」

ㅤ身長がやや低めといえど、クローンの存在が当たり前になっていない世の中で、ましてや公共の場で自分と同じ顔が何かしでかすものなら、自分の名前に傷がつく。
ㅤ外に出られては不味いと思った臨也は咄嗟に振り返り、マンションのドアを見るが、鍵は閉まったままで、外には出ていないことを確認すると安堵に肩を竦める。
ㅤすると、いつも仕事をしている机のパソコンを置いていた付近から「臨也」という声がする。
ㅤ皮肉なことに、声も自分と同じ声質に声量。同族嫌悪なせいか、それは酷く吐き気を催すものに感じた。

「何してるんだい、勝手に動き回られると俺が困るじゃないか」

「臨也っていうの?俺と同じ顔してるね」

「お前が俺と同じ顔をしているんだよ」

ㅤ仕事絡みで送られてきた書類に「臨也様」という文字を見たのか、目の前にいる男の名前が、臨也であることを知ったのだろう。
ㅤサイケが特に何かしたわけではない。しかし、学習能力は臨也のクローンであるがゆえに低いものには不思議と感じなかった。
ㅤだからといって、クローンがオリジナルより上であるはずがない。
ㅤ自分に似ているのはお前なのだと返す言葉に込めながら、嫌気が刺す思いに眉を潜め、送られてきた仕事の書類を見て頭を悩める。
ㅤ仕事でこれから何度も池袋に足を踏み入れることになるが、自分と同じ顔をしたサイケを連れていくことになると、目立つ上に、仕事もやりづらくなるのは目に見えていた。
ㅤだからといってここに閉じ込めて置くと、何をされるかわかったものではない。
ㅤ臨也の仕事中、勝手にマンションを出られて外に行かれることの方が重大に感じるほどだ。

「池袋に行けば、あの化け物に会うのは時間の問題だしねえ」

ㅤ新羅に預けるかと思った矢先─────、

「ねえ、俺外に行きたい!」

「ダメに決まってるだろ」

ㅤ爆弾発言だった。先程まで絶対に外には出せないと肝に命じていた臨也だ。許してくれるはずもない。当然ながら返答は即答のものだった。
ㅤハッキリと拒否したのだから、諦めるかと思ったが、不幸にもサイケは何度も臨也の服を引っ張っては、外に行きたい、と騒ぐ。
ㅤ一人で行こうと思えば行けるものの、臨也を連れていこうとするのは、やはり外に出た経験がなく、不安に感じている部分もあるからだろう。
ㅤだからといって、クローンでましてや自分の顔を出歩かせることなど許せるものではない。

「何を言っても、俺は外には行かない」

「どうして?臨也は外が嫌いなの?」

「うるさいな、ダメなものはダメだって言ってるだろ」

ㅤ聞き分けのない子供の駄々を聞いているようで、臨也も苛立っていたのだろう。袖を掴むサイケの手を振り払い、ソファへと腰を下ろす。
ㅤ無音になった空気に、ようやく諦めて静かになったかと思ったが、嗚呼を漏らすか細い声を耳にして、思わず目を瞠る。

「っ、なんで……っ、なんでえ!!」

「!? え、ちょっと待ってよ」

ㅤ絶望や悲しみに泣く人間を見たことは五万とある。しかし、自分と全く同じ顔をした人間に泣かれたことなど、当然ながら一度もない。
ㅤ自分の顔が目元を真っ赤に染め、大粒の涙を流し、大声で泣いているのを見て、平然になどなれなかった。それがプライドの高く、ひねくれた臨也ならば尚更だろう。

「わ、わかった!連れていくから!」

ㅤいつまでも自分の顔が泣いているのを見ているのは気分のいいものではない。泣き止ませるためにはこれしかなかった。

「……ほんと?いいの?」

「ああ……その代わり、俺から絶対に離れないこと。いいね?守れるなら、連れていってもいいよ」

「うん!!」

ㅤ迷いのない返事と、嬉しそうに目をキラキラと輝かせて見つめるサイケに、思わず臨也は苦笑する。自分と同じ顔でありながら、したことのない表情を平気で浮かべるクローンに、くらりと目眩を感じるのだった。





























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