Barcarole of Prisoners
□あな愛し
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私もまた、あの時のことを思い返していた。グロッタを出たあとは、ユグノア城跡で姉様の御霊に会って……デルカダールに戻って、ホメロスの私室で、一緒に眠った。
ホメロスはすっかり寝入ってしまっている。
その顔に苦悶の表情は浮かんでいない。笑っている訳でもないが、苦しんでいないのであれば気にしなくて大丈夫だろう。
「ホメロス」
そうだ。このホメロスはあの人ではない。でも……
「私はホメロスが好き。ホメロス以外なんてないの。だって貴方もホメロスよ。私を忘れたって、あの時と違う道を歩いたって、ホメロスよ。魂は覚えているはずよ……だからこんなにも」
あなたが愛おしくて、恋しくて。
「ホメロス……早く貴方と、身体も心も重ねたいよ……」
わかっている。そんなことはまだまだ。ともすれば16年後かもしれないことぐらい。
それでも願うぐらいいいはずだ。だってあんなにも愛されていた。それがいきなりゼロになったのだ。虚しくも寂しくもなる。当たり前だ。仕方ない。
「貴方は、いつも私を甘やかしていたから……」
"我ながら甘いな……甘すぎる。本当に。甘やかしすぎだ"
"ホメロスはずーっと、私に甘い"
"本当に。呆れる"
"自分でしょ? 他人事みたいに言ってさあ"
"フ……だが、それでいい。それでいいのだ。それぐらい……それぐらいよかろう。それぐらい。そんなことぐらい、些細なことだ……"
貴方の鼓動を聴きながら眠りに落ちた、あの夜。
これはもう、消えてしまった事実。悠久の時の彼方に消えてしまった事実。もう二度と戻らない時間だ。
あの方が良かっただなんて、思ってはいけない。だって大勢死んだ。大樹が落ちて、世界は亡びかけた。この人はそれに加担して、魔軍司令になって、世界を滅ぼしかけた魔王の右腕として、更なる罪を重ねた。
今ここにいる貴方は、あの貴方よりは、幾分罪は軽いはずだ。大樹は落ちていない。罰も受けている。記憶喪失という罰を。国外追放という罰を。
償えるはずだ、ならば。生きていればやり直せるはずだ。戻れなくても、これからを変えることは出来るはずだ。だから。
「そうは言ったって、大樹直前まで……貴方は私を覚えていたのだから。」
1度死んでしまって、忘れただけなのだから。あの日の2人にはいつか戻れるはずだ。時渡り直後の、あの二人には、いつか。
……もう少し前に戻りたかった。もし、もし、あの人に抱かれてる途中だったりしたら。どうなったのかしら?なんて。
「だって事後だったもの。完全に」
後処理は済んでいた。恐らくホメロスが眠る前にしたのだろう。誰に何を言い返していたのだろう。
髪に指を通したら、驚いてこちらを振り返った黄金色の瞳。
"あんまり目覚めぬから、昨晩やり過ぎたかと心配した"
そんなことを真顔で言って。やり過ぎたかと心配するぐらいなのだから、さぞかし激しく抱かれたのだろう。大樹の前にそんなことがあったろうか。もう思い出せない。セックスなんてそれぐらい何回もしてきたし……思い出すのは、あの森で魔軍司令の彼と何度も交わった記憶ばかりで。
昔のことをあまり思い出せないのは私も同じだった。初めてした時のことなんて、本当に記憶が消えかかっている。
「乱暴、されたっけ」
まだ何も知らなかった頃。20歳。家族も国も一気になくして、途方に暮れていた頃。デルカダールにやってきたばかりの頃。
「ホメロス」
あの頃に、戻ったと思えばいい。
そうだ。やりなおすためなのだから。
「ホメロス……」
私は夢見のサークレットを身につけて眠った。
さあ、今宵はどの貴方が逢いに来てくれるのかしら。
そう、密かに期待をかけて。
目を覚ませば、当然のように彼女は同じ布団にいる。
「姫………」
頭にあのサークレットが載っているという事は、彼女は夢で会うことを期待して眠ったのだろう。一体誰に。少なくとも、目の前にいる自分ではない。
それは悠久の時の彼方に消えてしまったという、自分なのだろうか。
どんな自分なのだろう。非常に気になる。
ホメロスはそっと己の額と彼女の額を当てて瞳を閉じた。そんなことをしても、彼女の夢が見られるはずはなく。
かと言って聞くのもはばかられた。いや、そもそも聞いてはいけないだろう、そんなことを。他人の目を気にせず誰にも邪魔されないのが夢路というもの。それに縋っているのだから、そんなことを聞くのは野暮だし彼女の夢路の妨げになる。
そう思ったホメロスは一足先に起きて準備を始めた。鏡台の前で長い髪を梳き前髪を整える。
「ホメロス」
彼女が自分の名前を呼んだ。
「はい。何でしょう」
「ひどいわ。先に起きて」
「え?」
「置いていかないで」
「置いていってなど……」
ホメロスがベッドの近くまで歩み寄ると、エレナは身体を起こして両手を広げた。子供が抱っこをせがむみたいに。
「まったく……甘えん坊なお姫様だな」
「ホメロス……今日も、生きてる」
「ええ……今日も生きてますよ。貴方の隣で」
「っ……!」
ホメロスはエレナを抱き上げてぎゅっとした。
「不安にさせてるのは、私なんですよね、すみません……大丈夫ですから。信じられないかもしれませんが……私を、信じて下さい」
「信じてる。貴方だけを、この世界の誰より」
「姫……」
小さなからだを抱きしめつつ、ホメロスはエレナの髪を撫でた。
「その信頼を裏切らぬよう……精一杯、尽くします」
「ああ、そんな風に気負わないで頂戴……ごめんなさいね、ホメロス。焦らせているのは私もおなじ……焦っても、いいことなんてないのにね」
「貴方は覚えていますから。仕方ありませんよ。姫。よかったら一つだけ聞かせてくれませんか」
「なあに?」
「私は……貴方を、抱いていましたか?」
突然の質問にエレナは顔を赤くした。
「っ……!だ、抱いてたって言ったらどうするのよ!?」
「どうもしませんが……いや、その……これは憶測、なのですが」
「ええ」
「私はかなり……貴方を愛でていたのではないかと思って。口付けを交し身体を交わし愛を囁き……違います?」
「ち、違わない!!」
エレナは恥ずかしくなってきてホメロスの腕から逃れようとするが、ホメロスはそれを許さない。
「ああ、やはりそうなんですか……それは、1人だけ覚えてるなんて……辛すぎる。私なら耐えられない…」
「ホメロス……」
「気持ちばかりが前にゆく。初めからそうですが……ダメだと、わかって、いるのに」
「ホメロス」
黄金色の瞳が、蒼炎の双眸を覗き込む。
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