Barcarole of Prisoners
□あな愛し
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ホメロスは夢を見ていた。
黒と赤が混ざって自分の記憶を穢す。
響いてくるのは突き刺さり消えない悪魔の声。
『ダガ、人々ハグレイグシカ見ナイ。オマエハ影ダ。一生』
『壊セ。ナラバ壊シテシマエ。光ヲ闇デ覆ウノダ』
「私は、影……」
なんにも残っていないのだ、そもそも。膨れ上がった闇と一緒に何もかもなくしてしまった。今の自分には何も残っていない。英雄の影にすら、なれないのである。
「壊す……何を?」
キラリと視界で何かが光る。透明な玉。滴だ。
この輝きは……どこで見たのか。
見覚えのある輝きだった。
ああ、夜闇を照らす光。夜を映す石の輝き。
「姫、」
煌めきと共に星色が散らばる。
ふわりと揺れた星色の髪。
その髪からちょこんと出た小さな耳に、その輝きがある。
「私が、貴方に贈ったもの」
"そういえば、お前"
"ん?"
"何故、無事だったんだろうな。海に落ちたんだろう?しかもあんな真ん中で"
"あのね、人魚に会ったの。その人魚が助けてくれたみたい"
"そうか……なるほどな"
彼女と自分が会話をしている。今と同じように、自分は白いローブを、彼女も似たようなローブを被って。
「海に、落ちた……この前思い出した記憶か。"私から、エレナを奪うものは許さない"」
赤黒い靄が視界を遮る。現れたのは、道化のような格好をした自分が、女性の首を絞める光景。
「ああ、知っている、この夢は、何度も見た悪夢……」
彼女は。この女性は、もしかしなくても。
「姫…!」
ニタリと、自分が笑う。ホメロスはその瞬間全身が凍りついたようになって、微動だに出来なくなった。
ああ、知っている。前にもこんなことがあった。あれが自分の姿なのかと、恐れおののいたものだ……。
"私がわからないの?"
彼女の声が響く。
"ホメロス"
彼女の手から光がこぼれた瞬間、目の前で自分は倒れた。
"ホメロス…!まさか貴方、本当に闇の眷属に…?"
「闇の、眷属」
ホメロスの頭にはあの異形の姿が浮かんだ。
オロオロする彼女の元に闘技場のチャンピオンがやってきた。彼が倒れた自分を担いで連れていく。
「ああ、そうだ。目が覚めたら……ベッドだった」
"大事な人なんです……ありがとう"
彼女の声が響く。
「大事な人……姫。それは私にとっても、」
貴方は、世界の何より大切な人。
ホメロスはぎゅっと胸元を握りしめた。
分かるのに。それは痛いほど、苦しいほどわかるのに。1番根本の部分があやふやで形にならない。そこだけぽっかりと穴が空いていて、酷くうつろだ。
それが妙に、自分を苛立たせた。腹が立った。
「なぜ、なぜそんな大事な人を、私は忘れてしまったのだ…!」
答えを急いてはいけない。答えばかり求めたら、また失敗する。そんなことはわかっている。でも。
もどかしくてじれったくて。ホメロスは地団駄を踏みたい気分になっていた。
「何を忘れても、覚えていないといけない人を、何故……」
"ホメロス"
そう言って自分を呼ぶ彼女は、今より少し若い。
"ホメロス"
夜色のドレス。純白の翼。
"ホメロス"
胸を打つような、凛とした声。蒼炎の双眸。
"お願い。1人にしないで"
泣き声が響く。年甲斐もなく、ワンワンと彼女の泣き声が響く。
それと共に、あの時考え事が蘇ってくる。
「賽は投げられた。私に、戻る道はない」
あの方の望む未来のために、進むだけ
そう、未来。君と生きる、未来へ
「貴方と、生きる未来……」
"彼女はいつだってそうだ
嬉しければ笑い、悲しければ泣く
その心を、偽ることはしない
私とは違う
私とは、違うところで、生きている"
あの日の自分が、自分に語り掛けてくる。
"ならば共にだなどと、本当は不可能なのだろう。
私はそちらへ行けないし、彼女がこちらへは来られない。
なのに彼女は泣くのだ。
一人にしないでと、泣くのだ。
私を一人にしないでと。"
「寂しいと、死んでしまうからな。彼女は寂しがり屋だから……」
きっとそれだけでは無い。まだ何かあるはずだ。
生来の性格だけでああはならない。
あんなに自分に依存してしまったのは……必ず、自分に非がある。それは何か。それを思い出さなくてはいけない。
"方法は、なくはないのだ。
彼女と同じ世界で、生きる彼奴ならば、或いは……。
だが今更、どうしてそんなことが出来よう?
無責任に放り投げて、押し付けることなど、今更出来はしない。
彼女はそれを許さないだろう。
貴方でなければダメだと言うだろう。
そして私もまた、その光景を、見てはいられないだろう……私にも、彼女が必要だからだ。私を、愛すると言った、彼女が"
「そこまで分かっていて、なぜ。何故彼女を悲しませるようなことを、私は……」
戻ることだってできたはずだ。助けを求めることだって。暗黒の道を切り捨てることだって。だが自分はそれをしなかった。重いそれを捨てることもせず、共に闇へと沈むことを選んだ。なぜか。
そうだ。闇の世界に居てしまったら、共にはあれぬと、分かっていたくせに。
どうしてそこから、私は出ようとしなかったのだろう……?
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