Barcarole of Prisoners

□赦すということ
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「クラーゴンに……勇者を襲わせたな。あの子どもの手柄でそれも水の泡……ふ。報いは返ってくるものだな。情けは人の為ならずというが……情だけではない。報いもまた必ず返ってくるのだ……誰かを苦しめたら、今度は自分が苦しむ。今の私は……今まで苦しめてきた人の分の苦しみを、負っているだけ……私はそれだけの事をしてきたのだ……」

胸がざわめく。これは、心配。何の心配? ああ、そうだ。存外激しい戦闘をしたから。贈り物が壊れていないか、心配になったのだ。

それは今、彼女の耳元で輝いている。夕闇の石。夜を映す鉱石だ。彼女の故郷、ユグノアでしか取れない珍しいもの。

胸が苦しくなって、ホメロスはそっと己の胸元を押さえた。

「会いたい……エレナに、会いたい……私は……」

ホメロスはうたた寝をしているエレナの身体をそっと抱き上げ、抱きしめ、その髪に鼻をうずめた。

「私を呼ぶその声を、聞きたかったのだ……」

少しずつ還ってくる、あの日の自分。彼女を愛し、愛でていた自分。言葉にならない焦燥感は少しずつ形を取り戻しても、直ぐにあやふやになって消えてしまう。残るのは、埋まらない胸の隙間だけ。ぽっかりと穴が空いたような、その感覚だけ。

「ずっと、ずっと共に。共に生きよう……」

ほんの少し前の自分なのに。自分ではないようで。
ホメロスは少し怖くなっていた。そのうち、彼女にとんでもないことをしてしまうのではないか。昔1度冒した過ちをまた冒すのではないかと。

口付けたくなる気持ちを、ホメロスは彼女の身体を抱きしめることでやりすごした。まだだ。今はまだ。だから。

「ああ、指輪を貰ったのに……私は一体、それをどこへ。どこかへ落としてきてしまったのか…? あんなに大切なものを」

ピアノの音が聞こえた気がした。それは過去の音だ。今聞いた訳では無い。あの日、聴いた音だった。
その音を聴くと、心が安らいだ。
焦燥感ばかりが駆りたてる心が、その音を聴いているときだけは穏やかに凪いでいた。
それを、思い出した。

「決定打が足りない。これはそのあとの話だ……私が彼女と向き合う上で、思い出さなければならないのは……おそらくあの夜のこと。王の生誕祭の日のことだ……あの日を思い出さねば、きっと元には戻れない……あれが原点なのだ。原点なしに、物語は紡げぬ」

ホメロスはそっと、自分の隣に彼女を横たえた。

「おやすみ……エレナ。……ダメだ、やはりダメだ。名を呼ぶのは……変に期待させても気の毒だ。きちんと思い出すまでは線を引くべきだな、やはり。でなければ、」

この焦る心そのままに、また貴方を傷つける気がする。だから。

彼女の穏やかな寝息に耳を傾けつつ、そっと星色の髪に鼻を埋めて、彼女の、不思議と懐かしい香りを胸いっぱいに吸い込みながら……ホメロスは、次第に眠りについた。






目を覚ますと、布団にいた。

「あら、私……いつ布団に入ったっけ?」

昨晩の記憶はほとんどなかった。あら。どうしてたんだっけ。

「ああ、おはようございます、姫。よく眠れましたか?」
「ええ…昨晩はぐっすり。おかげで記憶が無いの」
「そうですか……朝食を貰ってきました。食べましょう」
「ええ。ありがとう」

ホメロスからカットしたパンを受け取る。

「もう大丈夫そう?」
「ええ……大丈夫でしょう。あらかた思い出したので。ここであったこと、感じたことは…」
「そう……」
「姫。あの…」
「ん?」
「姫に聞いていいのかわからないのですが……姫にその耳飾りを贈った夜、貴方から指輪を貰ったことを思い出したのです。私はそれを、どこへやってしまったのでしょう……心当たり、ございませんか?」
「そう。指輪のこと、思い出してくれたの」
「それだけなんですけどね。その事実だけ……せっかく頂いたのに。なくしたなんて……ふ。つくづくどうしようもない」
「そんなことないわ。私が、預かってたの……だから、なくしたのではないわ。貴方がなくしたわけじゃない。思い出したのなら……受け取って、くれる?」
「ええ」

私は袋から指輪を取り出してホメロスに手渡した。

「ああ、懐かしい……貴方の自信作でしたね」
「今ならもっと強力なのを作れるわ。作り直してもいいぐらい」
「いえ、これがいいのです……この指輪が。ああ、なんでしょう、この気持ちは……姫。ありがとうございます。」
「いえいえ。貴方のだから、それ。元々ね」
「良かった。失くしたのではなくて」

ホメロスはそう言って嬉しそうに笑った。

ああ、笑ってる。ホメロスが、生きて笑ってる。あの頃みたいに、憔悴した表情はそこにはなく……穏やかに、笑っている。

「姫? どうしました。お腹でも痛いんです?」
「なんでもない。なんでもないの、ごめんなさい……」

優しい顔。あの天空魔城直前、私に笑いかけてくれていた、あの優しい顔を、ホメロスはしている。

記憶はない。貴方はまだ、私のこと、本当にほんのちょっと思い出しただけ……それでも。そんな笑顔を、貴方が私に向けてくれる。それがたまらなく嬉しくて、幸せで……貴方を困らせると知りながら、私はまた泣いてしまう。

「姫は泣き虫ですね……泣き虫で、寂しがり屋さん。まるでうさぎだ……」
「寂しすぎると、死んじゃうのよ、うさぎは」
「ええ……ならば死んでしまわないように、傍に居なくては、ね」
「ホメロス…!」
「構いませんよ……誰もいませんし。貴方は私を覚えている。求めてしまうのは仕方ない……ごめんなさい、姫。私が貴方を苦しめているんです、分かってますから……だからいいんですよ、姫。もっとワガママ言ってください……貴方まで、心が壊れてしまいますよ。そんな事になったら、私は……だから」
「ホメロス。貴方が好きなの。愛しているの。あなたが居なくちゃ…私生きていけないの。私には貴方だけ。貴方しかいないの……」

ホメロスは返事こそしなかったけれど、優しく私を抱き寄せて、髪を撫でて……私の言葉を全部、受け止めてくれた。






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