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□★心音アクセラレータ
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「んん……」

聞き慣れない目覚ましの音に目を覚ます。右手で寝惚け眼をこすりながら布団から這い出ると、上部のスイッチを押して音を止めた。時刻は七時、彼女の普段の起床時刻までまだ二、三時間はある。大きな欠伸を一つして身を起こすと、瞳には見覚えのない部屋が映っていた。

「……え?」

困惑して頭を押さえ、昨晩の出来事を思い出そうとする。しかし記憶の中からぽっかりと抜け落ちてしまっているようで全く思い出すことが出来ない。取り敢えずもう一眠りしようと布団にもぐると、見覚えのある顔が目に飛び込んできた。

「……っ!?」

目の前で気持ちよさそうに目を瞑り、規則正しく呼吸を繰り返す青年に思わず全身をこわばらせる。高塔シノブはそこでやっと目を覚ますと思わず息を飲んだ。
さらさらの黒髪に日本人とは明らかに異なるすっと通った鼻筋――同僚の青年ギルバート・マクレインの顔をまじまじと見つめる。観察するように視線を注いでいると、ギルバートはそれを感じたのか眉間に皺を寄せて寝返りを打った。丁度彼女に背を向けるような体勢になると再び寝息を立て始めた。
シノブは我に返って布団から脱出すると、きょろきょろと周囲を見渡す。男性にしては綺麗に整頓された部屋にテーブルの上の灰皿、そして机の上に置かれた小さな写真立て、すべてが彼女に現在地を教えていた。シノブは額に手を当てて必死に思い出そうとする。
昨晩、いつもより遅い時刻に任務を終えた自分は、確かラウンジで遅い夕食を摂り――そこまでは思い出せるのだが先が出てこない。ラウンジで何が起こったのかも分からない。現在の彼女に情報処理能力は皆無だった。過去を思い出せないどころか現在になってやっと激しい頭痛に襲われていることに気付いたくらいだ。

「うぅ……どうしてこんなことに……」

ズキズキと疼く額を手で押さえてシノブはポツリと洩らす。背後から聞こえた布擦れの音に振り向くと、丁度ギルバートが目を覚ましてベッドから身を起こしたところだった。

「……」

思わず無言で見つめあう。静寂を破ったのはギルバートの方だった。

「お早う、隊長……よく、眠れたか」

どこかぎこちなさを含んだ言葉に、シノブは頷く。

「ああ……」

再びの静寂。シノブは視線を伏せると、服の裾をきゅっと掴んだ。

「……あれ、私いつの間に着替えて……」

自らの服を見ると、いつ普段着から着替えたのか大きめのスウェットに変わっていた。服を変えたことはここに来た経緯よろしく記憶にはない。不思議そうに裾を広げて首をかしげるシノブを見て、ギルバートは困惑したような表情を浮かべていた。

「あれ、ちょっと待てこの状況って……」

シノブはハッと顔を上げてギルバートを見遣る。
深夜、ベッドに二人で就寝、着た覚えのないスウェット――これらを繋げて考えると――シノブは耳まで真っ赤になって怒鳴った。

「さ、サイテーだぞ、気を失った相手にそんなことをするなんて……」

強気な風に言いつつも声が震える。普段そのような類の話題を口にもしないし耳にもしない彼女からすればとても恥ずかしいのだろう。ギルバートはぽかんとしたように彼女の話を聞いていた。

「わ、私はその……そういうことは初めてだったんだぞ!?だから……その……せめて意識のある時に……」

頬を赤く染めながら小さな声で言うシノブに、ギルバートは口を挟んだ。

「おい、隊長……何か誤解しているらしいが、俺はそんなこと一切してないからな」

「……へ?」

シノブは呟くことをやめてギルバートを凝視する。少し恥ずかしかったのか帽子の鍔で目元を隠すと、ギルバートはシノブに昨夜のことを話し始めた。

「昨日の夜、お前が任務から帰ってきた後にラウンジに行っただろ?」

シノブは首肯する。

「ああ、そこまでは憶えてるんだがその先が……」

眉間に皺を寄せるシノブを見遣り、やはり覚えていなかったのかと内心落ち込む。ギルバートは言葉を続けた。

「ラウンジで悪いことにハルさんが酔っぱらってたんだ。それで横に座ったお前に酒を無理矢理飲ませようとして揉み合いになって、お前の服に全部それがかかった。で、仕方なくその場に居合わせた千ヶ峰少佐がハルさんを自室に、俺がお前に着替えとシャワーを貸してやったってことだ」

思いもしなかった展開に、シノブは目を見開く。しかしすぐに腕を組んで考え込むようなそぶりを見せると、ギルバートに向き直った。

「私が着替えた経緯はわかった。だが、どうしてお前の部屋で寝ていたんだ?それとどうして私の部屋に連れていかなかったんだ?」

疑問を次々に投げつけられ、ギルバートは狼狽えた。わざとらしく咳払いを一つしてから経緯を話し始める。

「お前の部屋はエレベーターから結構距離があるし、シャワーを貸した後返す予定だったからな」

「じゃあ、予定が狂ったのはどうしてだ?」

答えるや否や次の質問が突き刺さる。疑いのまなざしで見つめてくるシノブに困りながらギルバートは続けた。

「シャワーを貸して着替えて出てきたお前が眠い眠いと喚いてな……仮眠を勧めてベッドに寝かせようとしたんだ」

言葉が一度途切れ、息継ぎの音が耳に届く。その音は溜息のようにも聞こえた。

「だけど、お前がつかんで離さなかったんだよ、一人で寝れない、って」

視線をシノブから逸らして言うと、ギルバートは胸の前で腕を組んで黙り込んだ。シノブは合点がいったようにポンと手を叩く。

「それもそうだな!私はいつも何かに抱き着いていないと寝れないからな……」

うんうんと一人で納得してシノブは満足げに微笑む。誤解が解けた様子を見てギルバートはそっと胸をなでおろした。
昨晩彼女に抱き着かれる形で寝ることになり、最初の内は胸の高鳴りが騒がしくて眠ることなど無理だと思った。しかし抱き着いている張本人の安心しきった寝顔と規則正しく繰り返される呼吸に、不思議と心が落ち着きゆっくりと眠りに落ちて行った。妹を寝かしつける兄とはこのような心境なのか、と今になっては思う。やましいことなど何一つ起こっていない。
シノブはほう、と息を吐くと自らの発言を思い返し、耳まで赤面して弁明を始めた。

「あ、あの、だな!私はやましいことが起こったと思ったから訊いたのであって、そんなことをしたいなんて願望は微塵もないんだぞ!」

急に焦りだす彼女をギルバートはどこか余裕がある顔で見つめる。彼の態度も相まってかシノブは更に言葉を並べた。

「一般の人間が見たらこう思うだろうな、っていう予測からで、興味があるから知ってるとかそういうことではない。その、ええと……だから……」

言葉に詰まり、下を向く。ギルバートは彼女に歩み寄ると目線を同じ高さに持って行った。至近距離で交錯する視線に、シノブは更に顔を赤らめる。

「で、隊長は俺に何されたと思ってるんだ?」

意地悪く訊き返すギルバートに、シノブは何も言うことが出来ずただただ狼狽する。ギルバートは口角を上げると、シノブの耳元で囁いた。

「俺にそういうこと、されたいのかよ――隊長」

甘く囁かれる声に、シノブはぎゅっと目を瞑る。跳ね上がる心臓を何とか抑えようと努力するも、自我の抵抗は無駄に終わった。

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