僕のヒーローアカデミア

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着信を告げる端末に一気に意識が浮上した。
素早く画面を確認し、表示された名前が「母さん」であったので、多少気落ちと安堵を織り混ぜながら、みょうじは端末をタップする。

「はいもしもし」
「あ、なまえ?どうせ今の今まで寝てたんでしょう。寝溜めは身体によくないんだからね」

通話早々説教染みた台詞が飛んできてやや渋い顔で「あーうん」と気のない返事をした。なんやかんやと説教を続ける母親の声に覚醒しきらない頭で生返事をしながら欠伸を溢し明るい空に目を細める。

「……もう10時かァ」
「そ。もう10時よ」

デジタル時計の時刻を確認し、随分と長い時間寝入っていた事にうっすら嫌気が差した。貴重な休日をなんだか少し無駄にした気分だ。

「それよりちょっとお願いがあるんだけど」
「お願い?」

のそのそとベットから起き上がり、通話をスピーカーモードに移行する。
寝巻き代わりのTシャツとジャージを脱ぎ捨てタンスから取り出したデニムに足を通した。「実はね」と前置きする母親に「うん」と相槌を打ちながら首を回す。

「昨日お祖父ちゃんから届いた野菜、勝己君家に届けてほしいの。お母さん持って出るの忘れちゃって」
「………………」

グキ、と妙な音が首筋から鳴った。痛む筋を押さえながら確認と否定を込めて「何て?」と聞き直す。しかし母親はそんな事お構いなしに自分の用件を進めていった。

「光己ちゃんにはなまえが届けに行くって言ってあるから」
「いや、そんな勝手に」
「お昼ご馳走してくれるそうよ。良かったわねー。それじゃ、光己ちゃん達によろしく〜」
「ちょ、待っ、」

止める間もなく切れた通話に暫し固まる。セットしていない髪(そもそも普段からろくすっぽ手入れなんかしないが)を乱暴に掻きむしり、両膝を折り曲げて項垂れた。

「……最っ悪だ」

げんなりとした気分で顔を覆い、そのままうんうんと唸る。僅かな間を置いて大きく溜め息を吐いてから足取り重くみょうじは部屋を出て顔を洗うべく階下へと降りていった。途中通り過ぎる玄関の前にデカデカと存在を主張する段ボールいっぱいに入った野菜を見て余計に気分が落ち込んだのは言うまでもない。

・・・

「戸締まりよーし、鍵よーし、気分ロー、………………行くかァ」

施錠したばかりの家の鍵をポケットに捩じ込み、足元に置いた段ボール箱を持ち上げる。重い足取りで踵を返し、溜め息をついてからみょうじはトボトボと歩き出した。
みょうじの家と爆豪の家はそれ程遠くはないが然程近くもない微妙な距離にある。自転車で行く程ではないが歩いていくには少し遠い、とかその程度の距離だ。
みょうじの学校は雄英高校とは反対方向にあり、故に通学路が爆豪と重なる事もない。会おうと思わなければ会う事はない。そんな風にたかを括っていた罰だろうか。段ボールいっぱいに入った野菜を持ちながらみょうじは困った様に苦笑する。今日は休日。昨日体育祭であれだけ派手に立ち回っていた爆豪が出掛けているとは思えなかった。鉢合わせたら何と声を掛ければいいか。あまり妙案は浮かばない。これはやはり顔を見る前に野菜だけ置いて帰るべきだろうかと頭の中で思案しながら、辿り着いた爆豪宅のインターホンを押した。まだ暑い盛りではないが、夏の訪れはもう間近なのではないだろうか。じんわりと浮かぶ汗に辟易しながら、開いたドアに目を向ける。ドアノブに手を掛けて不機嫌丸出しの顔をしている爆豪勝己その人に、みょうじは己の不運さを呪った。

「いやー、……えー、昨日ぶり?」
「帰れ」

みょうじの姿を見るなり更に顔をしかめた爆豪は有無を言わせず扉を閉めた。
あれは相当怒っている時の反応だ。しかし配達は完遂しなければならない。家に持ち帰って帰宅した母親に怒られるのはごめんだし、ここまで持ってきたのにまた持ち帰るのも気が進まない。というか面倒くさい。
野菜の入った段ボールを片手で支え、もう一度インターホンを鳴らす。5秒と経たずに玄関のドアが開き、中から爆豪の母親が顔を出した。
 
「ごめんねなまえちゃん。ウチの馬鹿息子が」
「誰が馬鹿だ糞ババア」
「さぁさぁ上がって上がって!お昼食べてってね!」
「お、お邪魔しまーす」

勢いよく殴られた爆豪が頭を押さえながら呻くのを困った顔で見やりながら靴を脱ぐ。
爆豪の母親は既にリビングの中へと消えており、後に残っているのはみょうじと爆豪の二人きりだ。チラリと爆豪を伺い見れば、目をいつも以上に三角にして、チッと盛大な舌打ちを零している。

「・・・あー、なんかごめんな」
「あ"?」
「いや、来るのにも間が悪かったかなーって」
「・・・俺に会いづれぇ理由でもあったんかよ」
「ん?・・・あー、いや、そりゃまぁ。体育祭、来るなって言われてたのに観に行ったし」
「・・・」
「・・・一位おめでとうとか言った方がいい?」
「殺すぞ」
「だよネー」

さて、体育祭に行った事自体はそうまで怒っていないようだ、と爆豪の態度から推察できた。では家を訪ねて開口一番「帰れ」等と鬼の形相で言う程、彼は何に苛ついていたのか。「貸せ」と乱雑に奪われた段ボールを運び歩いていく爆豪の背を眺めながらみょうじは考える。
爆豪のクラスメイトに接触した事だろうか、会場で爆豪と目が合った瞬間逃げ出した事だろうか。
経験上、本人に聞いてもはぐらかされるのが関の山なので、自分でヒントを見つけ考えるしかないのだが、何せ今回は心当たりが多すぎる。
うーん、と口腔で唸ってから、一つずつ可能性を潰していく事にした。

「・・・あのさ」
「あ"?」
「体育祭見て回ってたら勝己のクラスメイト、かな?に会ったんだけど、もしかして何か言われた?」
「・・・別に言われてねぇよ」
「あー、そう?」

嘘だな、とみょうじは笑顔の下で思った。が、ここで下手に追求するのは悪手だ。

「なんか皆いい人そうだったねぇ。赤髪の硬化の“個性”の子とか、仲良いの?」
「あ"?良かねぇわ」
「・・・名前なんだっけ?」
「切島だろ」
「やっぱ仲良いじゃん」
「良くねぇって言ったろがブス」

顎をシャクる爆豪にみょうじはやれやれと肩を竦めて両手が塞がっている爆豪の代わりにリビングのドアを開けた。認めた相手以外名前を覚えない爆豪が名前をはっきり覚えているだけ凄いと思うし、体育祭でも何かとチームを組んでいたので仲が悪いわけではないと思うのだが、本人が否定している以上、追及するのはやめておこう。キレられる要素をこれ以上増やすのも面倒だ。「遅ぇんだよ」と文句を言う爆豪に軽く謝ってからキッチンに立つ爆豪の母親の様子を伺った。 

「何か手伝う事ありますか?」
「いいのよ、なまえちゃん。出来たら呼ぶから勝己の相手してやって!勝己の奴、なまえちゃんが知らない男の子と体育祭観に来てたのがよっぽど気に入らなかったみたいでうるさいのなんの」
「え?」
「違ぇわババア何抜かしとんだ死ね」
「それにほら。体育祭で決勝戦に出てた子いたでしょ。轟君だっけ?」
「え、あ、あー。エンデヴァーの息子さんなんですよね。見に来てましたね、エンデヴァー」
「そうそう。それでほら、なまえちゃんはエンデヴァーのファンでしょ?だから轟君の事も好きになっちゃうんじゃないかって、それで体育祭観に来てほしく無かったのもあるみたいでねー」
「え?」
「んな訳あるか黙れババア。てめぇもこっち見んな」

テーブルに段ボールを置いた勝己は目にも止まらぬ早さでみょうじの顔を自分から遠ざけた。掌で必要以上に捻られた首がぐぎぎと悲鳴を上げる。

「いだだだだ、ちょ、勝己。首、首もげる!」
「いっそもげろ」
「酷くない!?」

ワイワイぎゃいぎゃいと端から見れば微笑ましいやり取りを繰り広げる二人に爆豪の母親は小さく笑みを溢した。
「相変わらず仲良しねー」なんて呟きながら料理を開始した母親に爆豪が大きく舌打ちをする。

「良かねぇわ」
「そーですよ、光己さん。勝己は私の事なんてアウトオブ眼中ですから」
「あ"?」
「え?」

眼光鋭く睨み付けてくる爆豪にみょうじは心底意外そうな顔で瞠目した。何でそんな傷付いた顔してんの?と思っていたら、顔に出ていたのか爆豪に勢いよく頭を叩かれた。

「〜っに、すんだよ勝己ッ」
「おめぇが気色悪ぃ顔すっからだろが」
「だってそりゃあ、」
「あ"?」
「…いや、だって」

不機嫌丸出しで睨み付けてくる爆豪にみょうじは口を噤んだ。
今ここで反感を買おうものならあの発火しかけている右手に顔を抉られるに違いない。
ふい、と目を逸らせば、爆豪からは舌打ちが飛んだ。

「何だよ。言いてぇ事があんなら言えや」
「何でもないよ」

何でもはないが、でも、とみょうじは頭の中で爆豪に言葉を返した。
だって勝己は“あの”爆豪勝己なのだ。何でも人より出来て、負けず嫌いで、自分に妥協を許さない。常に天辺にあって、常に天辺を見ている様な男が、自分の様なただの幼馴染を対等だと思っている筈がない。昔から後ろから追っ掛けるのがデフォだったのだから、あれ、いや、違うな。
みょうじがふと思い出したのは小さい頃、探検だとかヒーローごっこだとかで外に遊びに行く度に自分の手を引っ張ってくれた爆豪の後ろ姿だった。
あぁ、そうか。とみょうじは言葉に詰まった。昔から自分は彼を追い掛ける事すらしていなかったのだ。
ふっと、顔を上げれば余程酷い顔をしていたのだろう。目の合った爆豪が先程のみょうじと同じように瞠目していた。

「……勝己、」
「あ?」
「ごめん」

眼中に無いわけではなかった。いつも他所を向いていたみょうじを引っ張ってくれていたのは爆豪だった。だから迷いもしなかった。だから困りもしなかった。だから、前に前に引っ張っていってくれる彼を、前しか見ていないと誤認した。

「…ごめん」

ちゃんと見ていてくれていたのに、自分はなんて不幸者なのだろうか。困った顔をするみょうじに、爆豪は暫し黙って舌打ちを溢した。

「別に気にしてねぇわ」

そんな事を言いながら、ガリガリと後ろ頭を掻いて素知らぬ顔で踵を返す。開いたままのドアを潜った爆豪は一度止まって後ろを振り返ると、みょうじの目を見た。

「何突っ立ってんだ。はよ来い」
「……、うん」

困った顔で笑いながらみょうじは爆豪の母親に頭を下げ、自室に上がっていった爆豪の後を追った。階段を上がる爆豪の後ろ姿を見つめ、自分も一歩足を踏み出す。

「…並ぶにしても、まだまだ遠いなぁ」

目を細めて嘆息混じりにみょうじは呟いた。スタートラインにすら立っていなかった事を、漸く自覚したのだからそれも仕方のない事だ。
トツトツと階段を踏み締め、先に消えてしまった爆豪の背を思い出しながら、みょうじは大きく溜め息を吐く。その顔には笑みが浮かんでおり、気怠い目には僅かな光が灯っていた。

「ま、こっからが本番だよね」

何といっても伸び盛りの高校生なのだと、体育祭のおりに焔が言っていた言葉を心の中で反芻し、登りきった階段の上で小さく拳を握る。
爆豪の部屋のドアを開けた瞬間、「遅ぇ」と文句を言われて苦笑いするのは、それから数分後の事だった。


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