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□見ないふりをしてあげる
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「爆豪!泊めて!」

許可も連絡もなしに、突然来たなまえ。
その顔が赤らんでいるのと、仄かに香るアルコールの匂いに、爆豪は眉を潜めた。
酒くせぇ、と文句のように呟けば、爆豪も飲む?と両手に抱えたレジ袋を掲げたなまえ。
なまえは遠慮の欠片もなく、低いローテーブルに酒の入った袋を乱雑に置き、我が物顔でクッションの上に座った。

「うぅ、苦い、やっぱビールは飲めんわ。」

毎回毎回、こりもせずになまえは飲めないビールを買う。
そして1口だけ飲んで、爆豪に押し付けるのだ。
そして、甘ったるい酒を1缶飲んで、ぽつぽつと話し始めるのだ。

「だめだったんだよ、また。」

何が、とは聞かない。

「今度こそ、大丈夫だと、思ったんだけどなぁ...。」

今度こそ、今度こそ、と何度も聞いた台詞。

「ちゃんと、好きになれると思ったのに。」

爆豪は何も言わない。
なまえも、それをわかっているし、何か言ってくれることを期待してもない。
爆豪は、なまえが誰を好きか、知っていた。
けれどそれが、叶わないことも。
そいつは、なまえを好きだが、友達としか見ていない。
なまえもそれをわかっている。
そしてその関係を壊したくないから、彼女はそいつを忘れようと、違う奴を好きになろうと、馬鹿な努力を始めた。
関係を、壊したくなくて、一歩を踏み出せない臆病者だと、なまえはいつだったか、自分を評した。
なまえは、見た目は愛嬌もあり、性格も明るいことから、そこそこにモテた。
中学、高校と恋人をつくらなかったのは、そいつを一途に見ていたからだ。
だけど、ヒーローになって、その気持ちが変わったらしい。
そいつは、絶対になまえを、恋愛対象として見てくれないと、彼女は気づき、悲しみ、諦めた。
正確に言えば、諦めようとした、だが。
爆豪は知っている。
なまえがいまだ、そいつを忘れてないことを。

「あの人ね、優しいんだよ。
私がね、好きに、なれないかも、ってね、言ったのに、それでもいいって、言ってくれた。
私だって、あの人を、好きになりたかった。
でも、私なんて、あの人には、合わない、つり合わない。
あんなに優しいのに、私、ほんと、なんで、」

好きに、なれないんだろう。

缶をテーブルの上に置き、なまえはクッションに顔を埋めた。
大抵、このまま寝て、朝は慌ててシャワーを浴びて、ばたばたと慌ただしく出ていく。
爆豪は、なまえに、何も言わない。
彼女がそれを求めてないと、知っているからだ。

だけど本当は、それだけではなかった。
彼女に、なまえに声をかけたら、言ってしまいそうで、怖かったのだ。
爆豪もまた、関係を崩したくなくて、一歩を踏み出せない、臆病者だった。

爆豪は、なまえに、言いたかった。
なんであいつがいいんだ、と。
あんなやつ、お前にはつり合わない、と。
俺じゃだめなのか、と。
だけどその言葉たちは、口から出ることはなく、ただただ彼の心の中をどろどろと濁しているだけだった。

なまえの涙が零れるたび、それを拭うことができたら、と何度も思った。
なまえがあいつを見て笑うたび、その笑顔を自分に向けて欲しい、と何度も思った。
なまえがあいつの好きなビールを、苦いと言いながら飲むたび、それをぶちまけたくなった。

なまえはすでに、眠っていた。
彼女は、爆豪の心を少しも知らなかった。
知っていたなら、きっとこんな無防備にしないのだろう、この気持ちは、なまえといる上で邪魔なのだと、爆豪は自嘲気味に笑った。
ただ、これだけは、許してほしいと、なまえの頬を、一つ撫でた。











なまえは知っていた。
彼女の想い人が、決して彼女に靡かないことを。
彼女の親友とでもいうべき人が、彼女とは違う気持ちで、彼女を見ていることを。
なまえは、知っていた。
誰を好きになれば、幸せになれるかを。
しかしなまえは、幸せになれなかった。
どうしても、忘れられなかった。
なまえは、知っていた。
自分がどれだけ馬鹿で、愚かで、最低か。
なまえは、自分が嫌いだった。
知らないふりをして、優しさにつけこんだ、自分が。
優しい爆豪の、気持ちにつけこんだ自分が。
そして、そんな自分が、幸せになる価値なんてないと、思った。
それでも、彼女は、彼に会いに行った。
矛盾していると、わかっていた。
それでも、会いたかったのだ。
なまえは、爆豪が好きだった。
だけどそれは、彼の好きとは、違かった。
爆豪は、何も言わない。
けれど、否定も、拒絶もしないのだ。
なまえは、それが嬉しくて、安心して、そしてどうしようもなく、嫌だった。
拒絶してくれれば、楽だった。
悲しいけれど、自分は最低な人間なんだと、割り切ることが、できた。
でも、爆豪はそうしなかった。
なまえは、知っていた。
彼が、爆豪がどんな気持ちで、自分を見ているかも、そしてなまえのために、その気持ちを押し殺していることも。
だから彼女は、その優しさに、甘え、つけこみ、溺れた。
もしもなまえが“良い人”であったなら、爆豪に会うことを、やめていただろう。
しかし彼女は、“良い人”ではなかった。
傷つくことが、嫌だった。
だからなまえは、気づかないふりをし続けるのだ。
優しさを受け取るために、自分が傷つかないために。
暖かい優しさがなまえの頬を包んだのを、彼女は、気づかないふりをした。

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