甲斐

□どうなっつ
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「…幸村様?」

「っ?!」

声に驚き咄嗟に顔を上げると心配そうな名無しさんが立ち尽くしていて、直ぐ様立ち上がったものの何処か気まずい沈黙が二人を包んだ。

「あの…どうなっつ、食べませんか?」

「え……」

思いがけない言葉に言葉を無くす。しかし名無しさんはそんな俺の袖をゆっくり引いて、縁側に座らせた。

「お腹、空いていませんか?」

「いや…食べる。」

気まずい雰囲気のまま、揚げたてのどうなっつを口に運ぶ。

「…美味いな。」

名無しさんの作るものは全て、なんでも美味い。それは今日も変わりなくて思わず口が緩む。

「良かったです。…あの、幸村様私…」

「すまなかった!」

「えっ…」

驚いて目を丸くした名無しさんが俺を映した。
その表情すらも愛おしく、直ぐにでも抱き締めたい衝動に駆られる。

(うおっ、また俺はっ…)

「また、遮っちまったな…。すまねえ、お前に謝りたかったんだ。」

「…それって…」

「昨晩の事だ。俺の所為で泣かせてしまって、悪かった。」

「いえ、けして幸村様が悪い訳では無いんです。私も幸村様に酷い事を言ってしまって、すみませんでした…」

「謝らないでくれ…!俺が、その…言わなきゃならねえ事を言わなかったからいけねえんだ。」

「言わなきゃならない事、ですか?」

「…ああ、俺は…お前の事が好き過ぎてだな…そ、その…毎晩でも抱きたくなっちまって…」

「え……と…」

場所も弁えず、言わなくてはならないと思った拍子に出た言葉は、この場ではあまりにも生々しく羞恥で顔が熱くなる。
だが、目の前にいる名無しさんの顔も同様に真っ赤になっていて、恥ずかしさよりも愛しさが勝った。

側にある細い手を包むように握ると思いの外暖かい手がじんわりと熱を伝えてくる。
俺と名無しさんとの間に置かれたどうなっつ。
その距離さえもどかしく感じ、すっとそれを寄せて名無しさんとの距離を詰めた。

「幸村様、私も幸村様が好きです。だから…我慢なさらなくても大丈夫ですよ。」

未だ頬を染めながら、それでも嬉しそうに微笑む名無しさんを見て心の臓が疼く。
握っていた手を今までより強く握ると、名無しさんも応えるように握りしめてくれた。

「名無しさん、明日は出かけてみないか?御屋形様が休みをくれたんだ。」

「本当ですか?行きたいです!」

ぱっと花開くように綻ぶ名無しさんの笑顔に釘付けになる。
誘われるように名無しさんに口付けた後で、此処が外である事に気付いた。

「へえ…幸村もやるね。」

「「!!!」」

物珍しそうに俺達を見る才蔵の姿に互いが距離を取ると、才蔵の口は弧を描くように緩められる。

「お前いつからっ…」

「んー…精が出るな…って所?」

「なっ…最初からじゃねえか!」

「っくく…じゃ、ごゆっくり。」

音も無く消えた才蔵を見送ってから、再度名無しさんを見つめると、苦笑を漏らしていた名無しさんが盆を差し出した。

「ふふ、どうなっつ、食べませんか?」

「ああ。」

俺の方が年上だというのに、時には背中を押し、時には譲歩し…そうしてくれるのはいつであろうと名無しさんという存在だ。
その証拠に先程までの気まずい雰囲気は色を変えて、幸せに満ちている。

どうなっつを頬張ると、名無しさんの作る、ほんのり甘い優しい味が口の中に広がった。
とうに冷め切ってしまっているのに、変わらず美味いのはきっと…名無しさんの愛情が溢れているからなのだろう。

「本当に美味いな…。」

「ふふ、ありがとうございます。お誕生日の日は飛びっきり美味しいどうなっつを作りますね!」

「そうか、それは楽しみだ。」

嬉しそうに笑う名無しさんの表情と、昨夜の涙に濡れた顔を重ねる。
やはり俺は名無しさんの涙に弱い。そしてそれ以上に名無しさんの笑顔に惚れている。
本音を言い合う事で名無しさんの安心に繋がる…御屋形様の言っていた事はこういう事だったのだ。

歳を一つ重ねる前に大事な事をまた、名無しさんから学ぶ事が出来た。
きっとこの先、何年経ったとしても俺は色んな事を名無しさんから教えてもらうのだろう。

そんな幸せな未来を考えながら、最後のどうなっつを頬張るのだったー。




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