月の章
□嘘吐き
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「弦ちゃん、弦ちゃん…」
「…あ?あぁ…名無しさんか…何だよ…」
「もうそろそろ起きないと駄目だよ。」
「んー…帰ってくんの遅かったんだよなー…ふぁ…ねみー。」
翌朝、私が起きた時には弦ちゃんは任務を終えて帰ってきていた。
起こすのもかわいそうで私は薬を作ったり朝餉を作ったりしていたんだけど、日が昇ってきても起きない弦ちゃんに痺れを切らし起きるよう声をかけながら肩を揺らす。
欠伸を噛み殺しながら胡座をかいた弦ちゃんは寝癖の付いた髪を無造作に掻き回した後重い腰を上げた。
「あれ、名無しさんか?」
「…成実様…。」
昼が過ぎた頃、振り返った先にいたのは、先日も会ったばかりの成実様だった。
「今日も米沢へ?」
「今日も、って…俺がいつも居るみたいに言うなよー。」
「すみません。」
(でも実際かなりの頻度で見てる気がするけど…)
拗ねたように眉を顰める成実様に内心思っていた事は告げず軽く頭を下げると、次は思い出したようにあ、と声を上げにっこり笑顔を浮かべる。
「そうだ、俺お前に用があったんだ!お前明日の花火大会行くのか?」
「え……まぁ、そうですね。」
「そうかぁ!米沢の花火はすごいからな、なんだ?女中と行くのか?」
「あ…えっと…」
(弦ちゃんと行くって言っていいのかな…)
楽しそうに話をする成実様にどう返そうか迷っていると、ふいにその笑顔が真剣な表情になった。
「あ、もしかして弦夜とか?」
「えっ……」
心を読まれたかのように今考えていた人の名を呼ばれて、どきっとした。
それが表情にも出ていたのか、成実様の顔がみるみるうちに面白いものを見つけたとでも言いたげな表情に変わる。
「へー、ほー…あの弦夜がなぁ…こいつはいい事を聞いたな。」
「…!いや、まだ弦ちゃんと行くとは言ってな…」
「ははっ、分かった分かった!俺に任せろ!」
「え?!ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
「良いから良いから!」
抜け忍とは言え忍なのに表情に出てしまった事に心底後悔した。
そして強引に手を引かれ説明をする暇もないまま城外まで連れ出されてしまったのだった。
「好きなもん選んでいいぞ!」
「えっ…そんな、選べませんっ!」
反物屋に連れてこられた時点で少し嫌な予感はしていた。
そしてその予感は的中し、今店主が持ってきた数種類の浴衣を前に困惑する私に成実様はそう言い放つ。
(浴衣とはいえ、私には高価すぎるし…それにきっと似合わない…)
奥に飾られている煌びやかな反物とは違い、ひらひら風に靡くような柔らかさの糸を紡いでいるのであろうそれは、赤や黄色のような暖色から青や黒などの寒色まで様々だ。
可愛らしく大きな花柄のものや大人っぽいもの、思わず目を奪われる様なものばかりが揃っている。
「お前言ってる事と顔が違いすぎだろ!欲しいって顔に書いてるぞ。」
「っ…そんな事…」
「ほら、今回だけ特別だ!これ何かどうだ?」
「とても綺麗ですけど…やっぱり私には…」
「んー、じゃあさ、弦夜が好きそうなもん選べばいいんじゃないか?」
「好きそうな…もの、ですか。」
「おう。これ着ていったら弦夜喜ぶなって思うもんをさ!」
(弦ちゃんは…私が浴衣を着たら喜ぶのかな?)
成実様の言葉に躊躇していた心が少しだけ揺らいだ。
(たしかに…弦ちゃんは御粧しして来いって言ってたし…)
そう言えば昨夜はからかい混じりに彼はそう言ったのだ。
それを思えば弦ちゃんがびっくりするくらい着飾ってみたいと思ってしまう。
「あの…良いんですか…?私、あまりお金が無くて…」
「言ったろ?今回は特別だって。良いから好きなの選べって!」
「……じゃあ。」
本当は、店の人が持ち出してきた瞬間から目を奪われたものがあったのだ。
それを指差すと成実様は満足そうに笑って、すぐに勘定を済ませてしまう。
「…ありがとうございます。」
「礼は良いって。俺が言い出した事だしさ!その代わり弦夜と楽しめよ!」
「……はいっ!」
なんだかんだで私と弦ちゃんの仲を心配してくれている成実様に素直に頷いた。
私の選んだ浅葱色の浴衣は今、風呂敷に包まれて私の腕の中にある。
(弦ちゃん…似合ってるって言ってくれるかなあ…)
機嫌良さそうに鼻歌を歌う成実様の隣を歩きながら、私の頭は明日の事でいっぱいになっていた。
そんな光景を見ていた誰かがいた事に、全く気付くこともなく。
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