他殿

□夫婦共に見る行末
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それは、ただ何気ないある日のことだった。

「…っう…」

「…?…っおい…」

(気持ち悪い…)

吐き気と共に視界が舞う。
家康様の焦ったような表情が見えた気がしたけれど、私にはそれを気遣う余裕は無かった。

「っけほ…う…」

厠まで耐え切れなかったそれは地面に吐き出され、ずんと体が重くなる。
膝から力が抜けて座り込んだ私を家康様は部屋の前で立ち尽くすように見ていた。

「やっとですか。」

そしてたまたま通りかかった忠勝様に担がれて、あれよという間に褥に横にさせられた私は今、薬師である半蔵さんの診察を受けていた。

「やっと、とは…?」

「赤子の事に決まっているではありませんか。夜な夜な励んだ甲斐がありましたね。」

「…?!」

「ふふっ…ふふふ…ああ面白い。」

きっと赤くなっているだろう私の顔を見て、噴き出した半蔵さんはひどく楽しそうだ。

(そんな言われるほど沢山は…って、そうじゃなくてっ…)

「おや、何かいやらしい事でも考えましたか?顔が先程よりも赤くなりましたが…」

「な、何も思っていません…!」

「ふふっ…はぁ、からかうのはこれくらいにしておきましょう。さて…主にはどちらから話をしましょうか。」

「あ…」

からかわれていたせいで、大事なことを置きっぱなしにしてしまっていた私は、半蔵さんの言葉を聞いて漸く事の重大さに気づく。
先程は当たり前のように言われて驚いたり喜ぶ暇もなかったけれど、一年半以上もの間待ち望んだ子なのだ。

(子どもが出来た時ってあんな感じになるんだ…)

思えばお母さんも弥彦が出来た時、すごくしんどそうだった記憶がある。
幼い頃のうっすらとした記憶だっただけに、自分がそうなった時は全く気付かなかったけれど。

「赤子が…」

まだ膨らんでもいないお腹をさすりながら、信じられない気持ちとは裏腹にじわじわと喜びが生まれる。

「あの…私から、家康様に話をさせてください。」

「そうですか?あの黒狸の驚いた顔を見たかったのですが…残念です。」

本当に残念そうに眉を下げた半蔵さんだったけれど、それは一瞬だけで次の瞬間には楽しげに微笑むだけ。
少しして半蔵さんが部屋から出ていった後、掛布を口元まで引っ張りあげながら漸く実感が湧いてくる。
正直に言うと今すぐにでも家康様の元へ走っていきたいくらい嬉しい。
でも半蔵さんから安静にするよう言われてしまったし今は言うことを聞いておいた方が良さそうだ。

(家康様と…私の……。家康様、どんな顔をするだろう…)

最近あまり眠れていなかったせいか私の体は正直で、原因が分かって安心したようだった。
まだ体はだるいし気分が良くなった訳ではないけれど、束の間の休息を取るように私の瞼は少しずつ重くなっていった。


「家康様、名無しさんです。」

「入れば。」

夕餉は自室で摂らせて頂いたあと、少し時間を開けてから家康様の部屋を訪ねる。
いつものように返事をいただいて、跳ねる胸を押さえつつ襖を開けた。

「なんの用?」

「少しお話がありまして…」

家康様の一言にちょっとだけだけれど…何かが引っかかる。

(昼間の時の事…何も言わないんだ…)

そう言えばあの時も忠勝様が通りかかったから良かったものの、家康様はただ立ち尽くすだけで何も言わなかった。
私が休んでいる時も…夕餉の時も…一度も来てくださらなかった。
仕事が忙しいのは重々承知だし、勿論私が我儘を言える立場ではないのも理解しているつもりだけれど…。

こんな時ですら私の事を心配していない様子の家康様に、なんだか寂しいと感じてしまう。

「…何考え込んでんの?言いたいことがあるなら言えよ。」

「いえ…あの、家康様。私…」

でも今はこの子のことについて報告するのが一番だ。
爆発しそうな胸を落ち着けるために深呼吸を繰り返し、口を開く。

「家康様の子を…身篭りました。」
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