他殿

□一生の選択肢
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私には、想い人がいる。


「あ!名無しさんー!こっち来て!」

…与七くんではなく。

「草餅…作ってくる。」

景継くんでもなく。

「あー…よっちゃん邪魔。」

…景家さんでもない。

「あれ、楽しそうだね。」

……謙信様でも。


私の想い人。

それはーー。

「殿!何をしていらっしゃるんですか!まだまだ終わってない事が沢山あるでしょう!」

直江兼続様…あなたです。



京からはるばるこの地へやって来たのは半年ほど前だっただろうか。
初めて顔を合わせたのは、甲斐へ行く道中の山道だった。
あの時は恐怖と緊張で、自分の行く先を案じることで精一杯で。

二度と会わない人達だと思っていたのだ。
けれど、謙信様に助けてもらって…春日山城で日々を過ごしているうちに、他の方には湧かない感情に気付いてしまった。

優しくて、厳しくて…けれど彼からは当主への、春日山城の皆への愛情が溢れている。
私を見る目が優しく細められた時。
謙信様に向けられる厳しい顔。呆れた顔。敬う姿勢。
兼続様の色んな表情を見てきた。

その度に彼の事を好きな気持ちが募り、でも言葉には出来なくて。

だって、兼続様は私の事をそういう風には見ていないから。

「名無しさん。」

「っ…はい!」

物思いに耽っていた私に兼続様が声を掛ける。
はっとして顔を上げると普段と同じ凛とした顔があった。

「景家と共に遣いを頼みたいのですが。」

「わか…」

「え。無理。」

兼続様の言葉に返事をする前に、景家さんが嫌そうに眉を寄せる。
二の句を告げなくなった口を開いたまま景家さんと兼続様を交互に見つめると、兼続様の眉がつり上がった。

「何か理由でも?」

「謙信さまに呼ばれてる。終わったら鍛錬だし兼続さまが付いていけば?」

「えっ…」

思いもよらぬ言葉に驚嘆を残し、隣の景家さんを見上げる。
私をちらりと見た景家さんは私の心を見透かすようにニヤリと笑った。

(ば…ばれてる…?)

兼続様への想いは誰にも気づかれずに私だけの心の内に秘めておこうと決めていたのに。
謀ったかのように三日月の形に細められた瞳には私の気持ちを見透かす確信的な何かがあった。

「あ、あの!遣いでしたら私一人でも…」

「…はぁ、良いでしょう。」

「え…?」

「ほら、行きますよ。」

「は、はい!」

「いってら。」

思いもよらぬ兼続様の言葉に心が浮き足立つ。
思わず頷いたけれど、私にとって兼続様との二人きりの逢瀬と同じ事だった。

兼続様の後ろ姿を追いかけながらふと後ろを振り返ると楽しげにひらひらと手を振りながら私達を見送る景家さんは、謙信様に呼ばれていると言っていたのにごろんとそこに寝転がり、遣いを断った理由までも嘘だったのだと分かって。
じわじわと熱くなる頬を両手で隠して、早く来なさいと聞こえる声に従いその場をあとにしたのだった。



兼続様はお優しい人だと思う。
普段謙信様を咎める厳しい声と表情だけを見ていれば怖い人なのだと勘違いしても仕方ない事なのだけれど。

「名無しさん、其方は往来が激しいからこちらを通りなさい。」

「名無しさん、荷物は私が持ちましょう。寄越しなさい。」

だってほら、こんなにも私に気をかけてくださるお方なのだ。
名無しさん、と自身の名を呼ばれるだけでも胸が沸き立つのに、当たり前のように紡がれる優しさは私の心をぎゅうっと締め付ける。

歩幅の違いすら分からぬほどゆっくり歩き、はぐれないよう時折振り返る表情は…。

(私だけのもの…って、自惚れてもいいですか…?)

荷物を持つ手のひらが私に向けられれば良いのに。
心配そうに振り返るそのお顔が私だけに向けられれば良いのに。

そんな、はしたない心の穢れを知ったら、兼続様は私の事をどう思うんだろう。
二人きりの短い逢瀬は城門の前で終わりを告げる。

いつもと変わらない顔で言った感謝の言葉は、私の中でだけ特別な言葉に変わるのだった。
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