奥州

□愛しき想いを託す文
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「母上ー!」

「ふふ、どうしたの?」

庭先から走り来る我が子と朗らかに笑う愛する人の姿を、こうして穏やかな気持ちで見られるのはどれだけ幸運な事だろう。

白石城主となり政宗様の元を離れ…名無しさんとの祝言を迎えた日から数年。
変わりゆく情勢の中元気な赤子を産み落としてくれた名無しさんは変わらず俺を側で支えてくれている。

六つになった我が子の名は朔太郎と言った。
人として、男として。
そして武士として強くあれと厳しくしてきた事もあるが、名無しさんに似た素直で可愛らしい子だ。

一人息子なせいか名無しさんも朔太郎に甘い所があるらしい。
楽しげに抱きついてきた朔太郎に驚きながらも嬉しそうに笑う姿は母の顔だが、正直な所面白くないのも事実。

(年端もいかない我が子に嫉妬とは…俺も心が狭いな。)

名無しさんが淹れてくれたお茶を啜りつつも俺は苦笑した。
二人は俺がそんなことを思っているとも知らず内緒話をする様に耳を傾け笑い合っている。

執務室から見える二人の姿を微笑ましくおもいながら、俺はまた筆をとるのだった。



「…何だか不思議な気分です。」

「ああ、そうだな。」

数日後の夜、湯浴みから帰ってきた名無しさんを褥に促しながら自身も褥に入るとすぐ、名無しさんが口を開いた。

その褥は幾分か広く、昨夜まで居たはずの子の姿は無い。

そう、朔太郎は何を思ったのか急に独り立ちすると言って部屋を別々にしたのだ。
流石に心配だからと隣の部屋にしたのだが、久しぶりの二人きりの時間。
腕の中にいるにも関わらずそれ以上の事は出来ず、今更ながら朔太郎を隣の部屋へと促した事を後悔していたのも事実だった。

「朔太郎も成長したんですね。つい最近まで寂しいと泣いていたのに。」

「ああ。それもお前が俺の居ない間も朔太郎と向き合ってきてくれたお陰だよ。」

「そんな事を言って…小十郎様が朔太郎の事を大事にされている事、知っていますから。」

勿論朔太郎を心の底から愛しているのには変わりはない。
言葉も上手く話せなかった我が子が今こうして大人になろうとしているのだ、嬉しくないわけが無かった。
名無しさんは小さく笑いながらぎゅっと俺にしがみつく。

「今日は随分と積極的だな、名無しさんさん?」

「もう…意地悪しないでください…」

「そんな顔をしてよくそんな事を言えたものだ。」

微かに頬を赤らめた名無しさんに見上げられ、名無しさんの前ではすぐに崩壊してしまう理性を保つ事に必死だというのに彼女は気付いて居るのだろうか。

「…今度、暇をとって朔太郎と共に旅行にでも行こうか。」

「え……本当ですか?」

「ああ。ここ最近は城を開ける事も多かったから。朔太郎も喜ぶだろう。」

「嬉しいです…。でも、無理はしないでくださいね?」

「うん、わかってる。もし俺がまた無理をしていると思ったら言ってくれるか?」

「ふふ、はい。これも妻の務め…ですから。」

「俺のお嫁さんはよく出来てるな。」

「もう…あんまり褒められると困ります…。」

「本当の事だろう?」

「っ…ありがとうございます…。」

(全く…いつまで経っても可愛いな。)

先程以上に真っ赤になった顔を埋める名無しさんは出会った頃と変わらず初心で可愛い。
危うく緩みそうになった顔は隠して、二人だけのひと時を楽しむ。

そうしているうちに名無しさんから寝息が聞こえはじめ、俺も誘われるように眠りについた。


「…ん?」

ふと、違う抱き心地に違和感を覚え瞼を開ける。
もうすぐ冬が来るというのに褥の中は暖かく、柔らかな日差しが意識を現実に引き戻していた。

「ふふっ…」

「……ん?名無しさん?」

何故か少し離れた場所にいる名無しさんの笑い声に視線を下げる。
あまりにも暖かな熱はどうやら我が子のものらしかった。

「全く…成長しないな。」

「びっくりしましたね。」

夜のうちに寝惚けていたのか…はたまた寂しくなったのか。
俺の腕にしがみつきながら起きる気配もなく寝息を立てる朔太郎は俺にとあるお方の姿を思い出させる。

名無しさんはといえば苦笑しながらも何処と無く嬉しそうに頬を緩ませ朔太郎の頭を撫でた。

「親の元を離れるのはまだ先みたいだな…」

「ふふ、可愛らしいじゃないですか。」

母親の顔で微笑む名無しさんに笑みを返す。
父上母上と慕う我が子を可愛らしいと感じつつも、多少思う所があった俺は名無しさんに気付かれないよう溜息を零した。

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