Sweet dreams-DGS

□黒馬に乗った死神
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まだ幼い少女、ミレイ・シュヴェルツは、倫敦の少し裏道に入ったひっそりとした場所にある酒屋で働いていた。
入荷した酒が入った箱を店に運ぶために何往復もしているところ、とある人物を見かけた。





「あ……っ、」





それは、ミレイと数えられるほどしか年の差がない英国紳士。
その紳士はミレイが何年にも渡って恋をしていた男性だが、想いを伝えられていないまま今に至る。
話しかけようと踏み出そうとしたが、その足は止まった。

――初恋の男性の隣に、女性がいる。


想い人もその隣の女性も、嫌味を感じさせないほどに幸せそうな顔をしていた。
二人がどのような関係か、聞かずともわかる。

いや、もう見たくなかった。





「っ……!早く、運ばなきゃ…………いつもの、お客様が」





見た光景を払拭するように、酒の入った箱を持ち上げ駆け足で店まで運ぶ。
何かを忘れようとがむしゃらに動くのは効くのか、普段時間がかかる搬入作業が軽々と進み、終わった際に店長に驚かれるほどだった。

裏の倉庫に運んだ後、カウンターの中にある椅子に座って一息ついていた。
その一息もため息であったが。





「今日は早いねぇ。やる気が出る出来事でもあったかい?」
「……そう、ですね」
「あ、ちょっとここ離れるから、シュヴェルツさんここ頼むよ」
「は、はい。かしこまりました」





店長は倉庫のほうに行くと、その裏口から倫敦の街へと出て行った。

店長が去ってしまい、お客もいない店の中一人さっきの店長の言葉について考えていた。
"やる気が出る"――違うとも言い切れなかった。
悪い意味で、原動力になったのは確かだ。

……初恋の、人だったのにな。





「…………」
「……さん、」
「……」
「…お…さん、お嬢さん」
「……!!あ……」





意識が違う世界へ飛んでいたようだ。
店のカウンターに座っていると、私を呼ぶ声が何回も。

しかもその声の主を見上げれば、ここの店では一番の顧客だった。





「ば、バンジークス卿……!す、すみません、貴方様が来ていらしたのに……」
「いや……それは構わぬ。それよりお嬢さん、いつも笑顔の貴方が……珍しいな」
「……」
「……私に話せるのなら、聞いてさしあげよう。ここの酒は毎度裏切らないからな」





バロック・バンジークス卿。
我が酒屋で毎回ワインを買いに来てくれる、最高級の顧客だ。
彼曰く、倫敦の裏道にあってこっそり買いに来れるのと、純粋にここで仕入れるワインが好きとのこと。

たぶん彼は、私より一回り以上は上の年齢のはずだ。
そんな彼にこんなことを話すなんて…と恥ずかしくてたまらなかったが、絞り出すように話していった。





「……こんな、くだらない話にお付き合いくださって……申し訳ありません。あ、いつものワイン届いてますよ」
「ああ。……」





倉庫に行って、先ほどがむしゃらに運んだ箱からバンジークス卿お気に入りのワインを取り出し、カウンターに置いた。
だが彼は、すぐに帰ることはなくそこに留まり続けていた。





「……ずっと、想いを秘めていたのか」
「!……ええ、私なんかが伝えたところで……きっと、何も」
「貴方のようなお嬢さんが、そういうことを言うでない」
「……あっ、ありがとう、ございます」
「……貴方さえよければ」
「……?」





カウンターから身を乗り出していた気がした。
でも自分から動いた記憶は全く無く、気がつけば顎を引かれ、バンジークス卿との距離が縮まっている。
彼の翠色の瞳を、こんなに長々と見つめたのは初めてだ。





「そのような輩のこと、私が忘れさせてやる」
「!……あ、……」





流れるように口づけをされ、また考える暇を与えさせないほどに啄む。
唯一頭を過ったのは、初めての口づけだということ。

その相手がバンジークス卿だということが、一層夢のように思われた。





「ん、っ」
「……」
「……あ、あの、バンジークス卿……」
「私の名前は、バロックだ」
「!」
「距離が近いのに、ファミリーネームで呼ばれるのは好みではない」
「……バロック、さま……?」
「……ふっ、貴方は相変わらずだ」





くすりと笑われたが、何が面白いのか私にはわからなかった。
だが今までにない優しい顔をしているのがわかり、気持ちがほぐれた。





「でも、バロックさま……貴方様は、お客様、ですよね……?」
「私は貴方をただのお嬢さんとは思っていないが」
「……へっ?」
「くく、このワインを飲むといつも貴方のことを思い出す」
「そ、そんな……恥ずかしいです」
「それほど私の心を惑わしているのだ。喜んで受け取ればいい」





そんなこと言われると困ってしまう。

確かに私も、大事な顧客として一目置いていた。
でもそれはバンジークス卿が顧客である以上に一目置く立場にあるからだ、と私は思っている。
彼にとって私なんて、ただの倫敦の小市民……。





「また何度もここに私は訪れる。……その時までに。あんな男など忘れておくことだ」
「!……それは、」
「あの男、よくこの付近に来るようだな。……貴方が目で追っていたのもよく見ていた」
「!そ、そこまで……」
「わかったであろう?それでは、また……」





バンジークス卿の発する言葉にいちいち驚いていると、手を取られ指先に口づけをされていた。
結局一連の出来事を理解したのは振り返ってからで、しばらく固まっていた。

私は、黒い馬に乗った死神に魅入られたのかもしれない。



〜終〜

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