小説

□桃色
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夕餉までの暇に会いに来た恋人と遅めのお茶にしていると、不意に思いついたかのような声があがった。


「ねえ鷹司。『遊仙窟』ってなあに?」

「っ!?」


けほ、と噎せそうになるのを堪えて湯呑みを置くと、向かいに座っていた雛菊が慌てて駆け寄ってくる。


「大丈夫?ごめんね、私がいきなり話しかけたから…」

(違えけど!何だってそんな、急に…っ)


さすさすと背を滑る小さな手に不思議と落ち着きを取り戻しつつ、純粋な恋人に何やら吹き込んだ人物を見当づける。


「どうしてそれが気になるんだ?」


(…てか何で俺が知ってることになってんだよ)

一先ず話を聞こうと顔を覗き込むと、雛菊がきゅっと唇を噛みしめた。


「漢文、苦手意識が強くて。だから自分でも何か読んでみようと思って色々おすすめいただいたんだけど、緒形さんが遊仙窟は特に難しいから鷹司に聞くといいって ー 」


(やはり緒形か)

にこにこと話す姿が容易に浮かんでため息がでる。

(くそ…っ!余計なことを)


言いづらい上に知って欲しくもない

いやむしろ知らないでいて欲しい。


それに、教えたらどうなる?


『鷹司も男の人だし、仕方ないよ』


苦笑を浮かべられ、困ったようにこちらを ー

(あああ!させるかっ)




なんとも恐ろしい想像に、これは阻止しなければと直感する





「あれは難しくて、俺も最後まで読めてねえんだ」

「えっ、鷹司が…?」

「ああ。漢文学に親しみたいなら、もっと内容に入りこめるやつがいい」

「そっか…、うん。そうだよね」


こくりと頭が縦に動くのを見て、助かったと胸を撫で下ろした。

(俺からもどれか薦めるか)

すっかり冷めてしまったお茶に手を伸ばして書棚を思い浮かべていると、雛菊も元の席へ戻っていく。


「鷹司」

「ん?」

「私、もっと勉強頑張るよ。だからいつか一緒に読んでくれる…?」


(いやもう忘れてくれ!頼むから!!)

脳内に忽然と舞う『絶望』。

きらきらとやる気に満ちた眼差しの、なんと残酷なことだろう


「…おう。いつか、な」

「うん!」


(腹くくるしかねえのかよ)

希望に輝く瞳に映るのが、今は堪らなく居たたまれなくさせる。

(まあ俺に聞いてきただけよかったってことに、な)


「ただし他の奴には内緒だからな?」

「言わないよ。安心して」


(………)

ー それは、俺が読めないと言ったことに対してだろうか?

微妙に噛み合う返答に一瞬ぎくりと身体が強張った。


(いやまあ…そういうことにしておこう)

願わくば記憶から消し去ってほしいとこだが、それは追々考えればよし。

(他の奴らにも釘刺しとくべきだな)


密かにひとつ息を吐きだして。

きょとんと見上げる雛菊に身を乗り出すと、やんわり唇を塞いだ






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