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□うたたねに
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徒然草第四十三段を読む度に、彼女は座る柳蓮二を思い浮かべた。今なまえの後ろ、背中合わせで彼は座っている。すっかり秋の空も深まり鮮やかな橙色仁染まる空を視界の端に捉えながら、二人は図書室に篭っていた。
柳蓮二の手には五輪書、みょうじなまえの手には徒然草。新書の入荷まであと四日ほどかかるようで、この室内の本をあらかた読んでしまった二人は仕方なしに気に入っている本を読み返しているのだが、もうそれも回数では2桁を超えた。柳は五輪書を何十回も読んでいるからそろそろ諳んじることができるかもしれない。なまえもまた気に入った段に関してつらつらと原文ままに諳んじることができるほどになっていた。そのお気に入りの段の一つが第四十三段である。内容をざっくり説明するならば、徒然草の著者 兼好が美しい庭のある邸でこれまた美しい青年が本を読んでいる姿に風情を感じるというものである。この美しい青年こそがなんとも柳蓮二を連想させた。彼のその落ち着いた物腰と、確かに見目麗しいと言っても過言ではない容姿、そして本を読む姿がなんとなくそれに重なるのだ。
なまえはくすりと笑った。柳が美しく木々も手入れされ花もたいそう目立つものではなく控えめなものが並ぶ庭の奥、ひっそりとした邸で縁側に腰掛けて少しゆったりとした様子で本を読む姿はなるほど風情があるといえる。私もまた兼好と似た気持ちになるのも仕方の無いことだ。

「何が面白い。」

気付いた柳がこちらを振り返った。それに合わせてなまえも彼を振り向けば、彼に本を見せてにやりと笑みを浮かべる。ただの徒然草だろうと首をかしげる柳に彼女は第四十三段を開いて見せた。

「この美しく青年が柳に似ていると思うの。」
「…ああ、なるほど。」

ほんの少しの目の動きの後、彼はひとつ頷いて少しだけ嬉しそうに口角を上げた。本当に読んだのかと疑いたくなるほどだが、まあ彼は速読で知られているから恐らくしっかりと内容も咀嚼して理解しているのだろう。

「容姿の優れている人は本を読んでいるだけでも画になる。」
「フッ、嫉妬か?」
「嫉妬とまで言わないけど羨ましいとは思う。」
「お前も十分に容姿は優れているだろう。飾り立てられた他の生徒達よりも、俺はお前の素のままの素朴さの方が好きだ。」
「素朴って言われても褒められてる気分にはならないんだけど。」
「要はお前はスッピンでも充分綺麗だということだ。直球でいうと逆に傷つけるかと思ったんだが。」
「…そりゃあどうも。」

ばつが悪くなって徒然草に顔を埋める。目の前に広がる第四十三段の文の連なりはやはり柳を連想させた。なまえはそっと目を閉じて鮮明に想像する。和服に身を包んだ柳の姿、趣ある庭の中花を愛で空を見上げ時折吹く風にあはれを感じる姿、着物から覗く柳の……。こちらに気付いて笑い掛け、手を差しのべる柳………。


はっと我に返って本から顔を上げた。半分寝ていたようで、読んでいたページに少しだけシワがよっていた。
ページをちょっとだけ伸ばしてそのシワをとってから、また一ページ、一ページと読み進めていく。泡沫の夢の中で見た柳の姿が脳裏をちらつくから途端にページをめくる手が止まりそうになる。だいたいなんだ、彼はただの読書仲間でしかない。それが大好きな徒然草に登場する見目麗しい青年にどこか似ているからという理由で心動かされるなんて。闇雲にページをめくっては関係の無い段を頭に叩き込んでいく。徒然草の中にはいくつか美しい庭についての描写がある。それは邸宅や庭がそこに住む人の人柄を表すことがあるだとか単に兼好がこれこれこういう庭はとてもよろしいだのこれは悪いだのというとりとめのないものであるがその描写は洗練されていて文字をなぞるだけでその情景が頭に浮かぶようである。ああ、素晴らしい庭だと想像上の庭園に感動していればその中にもまた柳が現れる。花鳥風月を愛でる柳の姿に胸が高鳴る。きっと素晴らしい歌も詠むだろう。そういえば彼は茶も嗜むと聞いた。

「また寝たのかと思ったぞ。」
「…さっき寝てたの知ってたの」
「いとらうたげなる寝顔だった」
「や、やめて」
「嘘は言っていないぞ。」
「そうじゃなくて」
「あどけない寝顔だった」
「柳、」
「うたたねに 恋しき人を見てしより 夢てふものは たのみそめてき 」
「………は」

柳は余裕のある様子でサラリと言ってのける。先日読んだ古今和歌集にたしか載っていた歌であったが詠人が思い出せない。なまえの困惑した表情を読み取った柳は小野小町の歌だと付け加えた。小野小町といえば端的にいえば恋を想う歌が多いことで有名である。

「解釈はお前に委ねよう。」
「え、ちょっと」
「俺はそろそろ帰る。お前は。」
「帰る。意味教えてよ。」
「さあ、どうしようかな。」

文庫本を鞄にしまいこんで、柳が席を立つ。慌ててその後ろをついてくる彼女に柳は密かな優越感とくすぐったさを覚えて顔を綻ばせた。らうたげなり。その単語をもう一度胸中で呟く。
なまえは柳にひっついて教えて教えてと強請る。その真意を知って彼女が顔を真っ赤にするのは図書室を出てまもなく。距離にしてあと、十七歩。










(不意にうたた寝をした時に見た夢の中で好きな人を見てしまって、それからというもの夢という頼りないものを頼りにしてしまう みたいな訳。柳もうたた寝してました。)



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