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□ぽかぽか。
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※彼氏彼女で生徒会役員な付き合いたてカップル






秋の陽射しは夏のそれとは打って変わって仄かな暖かさと穏やかさを残している。春眠暁を覚えず、という言葉があるがしかし秋のそれにも同じことが言える気がして、柳蓮二は前期の決算書から顔を上げた。大きな欠伸。それは彼には珍しいもので寝不足というわけではないにせよしかしなかなかどうしてこの日差しは眠気を誘うのである。柳のその様子を正面の机で眺めていた彼女は、当然ながら彼の様子に驚いて目を丸くしている。

「昨日、眠れなかったの。」
「そういうわけではない。ただ、暖かいからか少し眠気が誘われただけだ。」
「そう。…珈琲でもいれようか。」
「そうしてくれるとありがたい。」

それではと立ち上がる彼女が職員室へと足を向ける。出ていって間もなく戻ってきた彼女の手には、生徒会役員になってから何度も使った俺の黒いマグと彼女の猫の柄が入ったマグが握られており、同時に生徒会室内を香ばしい匂いが包む。一口含めばその苦味がすっと眠気に刺激を齎してくれる。彼女は少し多いほどのミルクと砂糖を注いでからやっと珈琲を口に含むのだがそれはどう見ても珈琲ではなくカフェ・オ・レというか、もはや珈琲牛乳に近い。俺に合わせて珈琲なんて注ぐからといえば、彼女はふっと笑って一緒の物が飲みたいと答えて見せた。喉を通る珈琲が体を温めていく。特に胸のあたりがぐっと熱くなるのを感じては、柳もまたふっと柔らかく微笑んで熱い珈琲をもう一口含んだ。

「もうすぐ冬が来るな。」
「うん。」
「進級試験も近いな。」
「柳なら大丈夫でしょ。」
「お前こそ。」
「高校でもまたこうして生徒会やりたいね。」
「またこうして一緒に珈琲を飲みたいものだ。…最も、お前が珈琲なんて飲めないのは承知だが。」
「馬鹿にしてるでしょ。それまでにブラック飲めるように克服しておくもん。」

甘ったるそうなカフェ・オ・レをすっと飲み干したみょうじが年齢相応の子供らしい不貞腐れた顔をするものだからおもわず笑が零れる。優等生と称された俺達が全く肩肘張らずに語り合えるこの空間に甘えきった柳蓮二がここにいて、でもそれは間もなく訪れる生徒総会を最後に任期が終わればしばしのお別れをすることになる。散らかった戸棚、いくつもの判子が連なっている物品貸出書類、生徒会室によく残る俺とみょうじのために先生方が気を利かせて買ってくれた扇風機と二枚のブランケット。そして何より好きだったのはこの部屋の匂いだった。インクやダンボールの匂いに混じって微かに香るのはフローラルな、しかしくどく無い、清涼感すらあるそれは俺を落ち着かせる。

「柳。」
「…やはりこれだったか。」

みょうじの後ろに立ち、髪の一束を掬い上げて顔をちかづける。やはり、そうだ。教室にいる間は気づくことはないがしかしこの狭い生徒会室、目の前にいられるとそれはよく分かるもので以前からどうしても気になっていたそれをゆっくりと味わうように嗅げばみょうじが身を引いて体を反転させる。見つめ合う形になって、俺の右手からはするりと髪が逃げていってしまった。

「何、どうしたの、」
「…どうということはない。ただ、お前の髪の香りが俺を誘った、と言っておこうか。」
「柳って匂いフェチだっけ。」
「どうかな。しかし珈琲の香ばしい香りやお前の甘い匂いは嫌いじゃない。」
「そう。」
「少しだけ、触れてもいいか。」
「まあ、いいけれど。」
「髪を梳くだけだ。あまり弄らないから安心しろ。」

二人きりの生徒会室が好きな理由は多分これなんだろうと、自分でも思う。この甘い香りが、俺を誘惑して止まない。みょうじの髪に手をかけては俺の櫛で髪を梳き、その度に香る甘さに酔っていく。椅子に腰掛けて再度期末報告書に目を通している彼女は俺に背を向けているが、それをいい事に俺はと言えば口元を緩ませてしまっているから情けない限りである。弦一郎がいたら間違いなく鉄拳が飛ぶことだろう。
髪を梳く手を止め、その頬に手を添えて後ろを向かせれば彼女の瞼はまたも重たげになんとか開くことを保ってはいるがしかしそれも我慢の限界に近いようだった。柳の手が気持ちよかったから、と言い訳する彼女にやはり笑いが堪え切れない。

「少し眠ろうか。俺も、眠い。」
「うん、でも、これ終わらせてからにしたい。」
「そうか、では」

自分のマグに残った最後の一口の珈琲を口に含んだ後、彼女の唇に自分のそれを押し付けて液体を口移しで飲ませてやる。離れてすぐ顎を持ち上げてごくりと飲ませてやれば、途端に少しだけ眉にシワを寄せた彼女の顔がそこにあった。しかし頬は赤く染まり、液体に濡れた唇は何処か色欲を覚える程である。

「苦いわ。」
「まだだめか。」
「うん。」
「ならばコンビニの缶コーヒーから始めるといい。…帰りに試してみるか。」
「一人で飲める自信ないよ。」
「じゃあ一緒に飲もう。駄目そうなら俺が飲む。」
「うん、ありがとう。」

みょうじの口内の苦味はすっと抜けていき、後に残る柳との口付けで帯びた熱が急に火傷のようにひりひりと唇に痺れを齎す。同じ痺れを感じた柳も無意識のうちに唇に指先を滑らせていた。キスをした、その事実を再認識して我に返って呆然とする。まだ唇は熱かった。

「……やなぎ、」
「言うな、何も。」

唇にもう一度蓋をする。まだ珈琲の香りが仄かに唇を伝って鼻腔へと立ち上る。胸までまた暖かなそれが伝わり、そしてそのうちに二人の体を火照らせていく。甘い。みょうじの唇が、髪の匂いが、貪る唾液が、どれも全て。無意識のうちに彼女の頭にに手を回し、するすると指先が髪の間に入り込んでいく。梳いたばかりの髪は難なく俺の指を飲み込み、さらさらと解けていく。
まだ瞼が重いために目付きはどこか虚ろな、頬の赤い女が目の前にいる。それは想像以上に何かを掻き立てられるもので柳蓮二は取り憑かれたように彼女を抱き上げた。やなぎ。名前を呼ばれても知らぬ振りして会議室の隣にある倉庫部屋へと歩みを進める。眠気は覚めたが、しかしそれは俺の中の何か悍ましい獣まで起こしてしまったようだ。柳は笑った。

「寝かせられそうにない。」
「……うん。」

発泡スチロールと段ボールを足で避けて埋もれているソファを露わにしてから、彼女をその上に寝かせた。










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