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□オーバードライブ
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「ぶちょおおおおお…」
「わかった!わかったから落ち着きなさいなまえ。とりあえず運営の人には伝えておくから、遅れてでも来なさい。ね?」
「うっ、ううっ、わかりましたっ…」


電話越しの部長が宥めるように絶対だからね!と告げる。その向こうで他の先輩も待ってるよ早くおいでと声を上げているのはちゃんと伝わってきた。

にしても、困った。
私が乗ろうとしていた大会会場の最寄り駅への電車は倒木で全線運休。バスは完全に人が押し寄せてパンク状態。タクシーなんて並び列だけがあって当のタクシーは足りてない状態だからつまりどれを利用しようとも絶対に間に合わないし、徒歩でなんて会場までは遠すぎて行けたものじゃない。
一度家に帰りたいがそれもバスを使わなければならないわけで、帰宅するのにも1時間くらいかかりそうだから徒歩で一度戻ろうかタクシーを捕まえようか思考を巡らせる。あ、でもタクシーっていくらかかるんだろう。どうしよう、ほんとにどうしよう。万事休すとはまさにこれだ。

「関東大会決勝なのに、もー!!」

重いラケバを背負って朝早起きしたのに!なんて仕打ちだ。普段の行いは赤也よりは悪くないのに。今日は男子テニス部のレギュラーも応援に来てくれるし私は初めてのシングルス1だというのに。この日のためにたくさんたくさん練習したのに。なんてったって憧れの柳先輩が試合を見に来てくれるっていうんで先輩達みんな私に稽古をつけてくれたのに。柳先輩の前でかっこいいところを見せられるようにって、シングルスの試合を何回もさせてもらったのに。
どんどん人が溢れてきて改札から抜け出すのもラケバが引っかかったりで一苦労だ。やっと駅の入口に出てきた時には汗が背中を濡らしていた。うう、着替えたい。

「今から全速力で漕げば、大会に間に合う可能性は78%だ。」

聞いたことのある声が頭上から降ってきて、顔を上げる。その人は自転車のサドルに横に座って腕を組んでいた。見知った立海の制服をまとっているその人の顔を見て、はっと息を飲んだ。

「柳先輩っ。」
「先程電車の遅延情報を目にした。こんなことだろうと思って自転車を持ってきたが…正解だったな。」

ああ神様、私はついに夢を見ているのでしょうか。ふわふわとした意識の中で柳先輩が手招きしてくれている。夢だ、これはきっと夢だ。柳先輩がそもそも私の最寄り駅を知ってるはずないもの。

「データ男と言われている俺がお前のデータをとっていないとでも思ったか。」
「え!」
「女子テニス部2年生ルーキーにして地区大会を全試合無敗で突破したというお前の功名は男子テニス部にも轟いている。そんなみょうじなまえというプレーヤーのデータを集めたくなるのは自然な事だろう。お前の最寄り駅、身長、得意とするプレイスタイルから好きな食べ物まで俺のノートには載っているが。」
「いつ調べたんですかそれ!」
「ふっ、いつだろうな。」

ラケバを背負ったままの私を乗せて、柳先輩のチャリが動き出す。太陽が高くなりつつあり、少し暑いけれど頬を撫でる風はまだ涼しくて背中の汗もすっと乾いていくようだ。柳先輩の背中をこんなに間近に拝んでて、しかも駅まで迎えに来て絶望的だった大会への集合時間到着がちょっとだけ見えてきたなんて。
柳先輩の顔が見えなくてよかった。多分私顔見たら幸せで鼻血出して死んでしまうから。

「みょうじ、ここから坂道に入る。道が悪いから腰に捕まっておけ。」
「え!」
「早く。揺れて振り落とされては怪我をする。」

もう一度早くと急かされて慌てて柳先輩の腰に腕を回す。わあ、ウエスト細い。背中は広いのに。そしてこうして腕を回すと自然と先輩とくっつく形になってしまって、背中に押し付けられた胸がうるさく鼓動する。どうしよう、どきどきしすぎてだめだ。
けれどいざ坂道を降り始めると本当に道が悪くて車輪がガタガタと揺れる。砂利ばっかりの道だ。シャーっという車輪が高速に回転する音と、自分の心臓の音だけが響く。
無言の空気を破ったのは柳先輩のほうで、何を思ったのか急にこれはふふっと吹き出した。

「どうしたんですか?」
「大したことではない。…いや、こうしていると傍から見れば俺達は恋人同士のように見えるのだろうな。」
「えっ、あっ、あの、すみません!」
「何を謝る。俺は、お前となら構わない。」
「へ?え、え、え、え、え、」

車体が揺れるように私の声もがたがたと震える。膝もがたがた震え始めていた。

「試合前のプレーヤーのメンタルに負荷をかけすぎるのは良くないな。このへんにしておこう。…いいな?」
「え、でも…」
「では勝ったらこの話の続きをしよう。」
「私、勝ちますよ。」
「その意気だ。…俺は、お前が勝てると信じている。お前の勝率は100%だ。」

坂道を下り終えた車体はまた舗装された滑らかな道をするすると駆けていく。柳先輩はこちらを向くことはないけれど、それでもきっとその目が笑っていることは容易に想像がつく。そう、今日は決勝だ。この人に見守られながら、私はコートに立つ。ちょっと怖い真田先輩や、ジャージをひらひらと風に遊ばせながら穏やかにこちらを見つめる幸村先輩、そしてその隣に立つ柳先輩の姿を確認してからトスを上げる。
私がこの試合に勝つ確率、100%。
いつか見に行った試合で柳先輩がそうしていたようで口調で呟けば、試合が始まるというのに何故か楽しくて、おかしくて、仕方なかった。

「柳先輩。朝の話の続き、してください。」




End.

(柳がチャリ乗るの想像できない)




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