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□鏡夜
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あれよあれよという間に婚礼の儀の段取りは決められていて、気付いた時には立ち会いをされるという柳家、幸村家の当主二人が揃って私に合う着物や飾り物を探しに行くだとかで早速私も柳家に参ることとなった。
柳家の当主は弦一郎様の幼馴染であるから、彼は私を迎え入れるなり穏やかな笑顔を向けて下さったのは緊張していた私にはとてもありがたいことだった。
幸村家の若頭である精市様も既にお見えになっていて、早速この花の方が風情があるとかその花にはこの着物の方がいいとか、弦一郎ならこっちが好きだろうとかとんとん拍子で話しは進み、時折私を振り返ってはこれとこれどちらが良いかと尋ねて下さる。弦一郎様を呼ばなかったのは、婚礼のその日まで秘密にしておきたいという二人なりの気遣いだというから、お三方はとても仲のよろしいのだろう。

「婚礼の夜は俺の屋敷でもてなそう、なまえの好きな花の溢れる庭園で宴でも開こうか。」

精市様はふふっと笑って私を振り返る。こんな優しい笑みを浮かべる方が戦に出るなんて、誰が思うだろう。お着物も決して煌びやかなものではない質素なものであるところにも風情を感じられるのはこの方の唯ならぬ気の賜か。
蓮二様も何度か弦一郎様の屋敷にお見えになっているから顔やお声は知っていたけれどこうしてお話するのは初めてなもので、しかし彼は幼馴染みの婚約者たる私にも親しげに名前を呼んで下さる。朝から始まった着物選びは夕方にやっと一段落し、その頃にはすっかり私は二人と打ち解けて夕食も共にできた。

「お前は酒を飲めないそうだな。」
「ええ、多くは飲めません。」

精市様が屋敷に戻られ、私は柳家の離に通された。縁側に落ち着いて庭を眺めていた時だ、蓮二様が離までお見えになった。

「弦一郎は、お前が早乙女家に召し上げられたと聞いた時…鬼とも修羅とも劣らぬそれはもう恐ろしい形相だったな。」
「………。」

この人は私の心の中を読んでしまわれたのか。着物を選んでいる間、精市様と蓮二様にお尋ねしたいことは山ほどあった。私の過去のこと、私の素性を知っていること、弦一郎様との婚約のこと。娶る、と言われたその日から私は弦一郎様とはあまり話ができていないから本人に聞くことはかなわなかったから。幼馴染みであり戦馬を共に翔るお二方ならなにか教えて下さるかもしれないとここに来る時も淡い期待を持っていたのにいざ目の前にするとなかなか言い出せずにいた。

「お前が弦一郎と会ったのは、弦一郎が寺参りのために祖父と遠出をしていた時のことだ。宿を借りたいと旧友であるお前の祖父の屋敷に弦一郎が参った。お前の祖父は鍛冶屋でな、弦一郎が持つ槍は確かお前のお祖父様の作だったと聞いている。故に、お前の祖父と弦一郎の祖父はかなりの親交があった。」
「私の家、鍛冶屋だったのですね。」
「ああ。…こんな逸話を聞いたことはないか。鍛冶場の女神を嫉妬しやすい、と。」
「存じ上げておりませぬ。」
「そうか。言葉面の通り、鍛冶の女神は鍛冶場に女が立ち入ることを許さないという逸話があってな。お前のお祖父様は確かにお前を溺愛していたそうだがやはり鍛冶屋に女がいてはならないということで、お前の母上のいる尼寺へ預けるつもりだった。しかし幼いお前が弦一郎を兄のように思ったのか、泊まっている間弦一郎の側を離れなかったという。」
「えっ、私が…」
「物心つかぬうちだ。ただ弦一郎はそれをいたく気に入ってしまってお前を可愛い可愛いと言うものだから、お前が嫁入りしても良い頃合で真田家に出される手筈だったのだ。お前のお祖父様は大層喜んでいたらしい。」
「……」
「しかしお前の一門はお前以外のものを残して手に掛けられてしまい、弦一郎との婚約のことも聞かされぬままお前は家を転々とすることになってしまった。…早いうちに手を打っていれば、お前を戦場に送ることもなかったのに。」

穏やかな蓮二様の表情が悲痛に歪む。傷物の私の腕が着物の裾からお見えになってしまったのだろう。その部分を隠すように裾を伸ばし、そっと掌を置く。

「なまえ、この柳蓮二の無力さをどうか許して欲しい。お前をそうそうに見つけ、助け出すことの出来なかった…悔やんでも悔やみきれない。」
「お気になさらないでくださいませ蓮二様。私は見ての通り傷こそあれど命まで取られておりませぬし、蓮二様や精市様にこれほどまで手を尽くしていただけたことを嬉しく思っております。間もなく弦一郎様と婚礼を迎えられることも、あの凌辱と血に塗れた日々から解放して下さった御方と結ばれるなどこれ以上の幸せがございましょうか。」
「…どこまでも腰の低いことだ。弦一郎はお前のそのような姿に心動かされたのだろう。」

それに、と蓮二様が言葉を続ける。

「弦一郎はお前に大層惚れ込んでいる。堅物だ鬼だ血も涙もないと手下に恐れられているあの男がだ。」
「まあ、弦一郎様は可愛らしいお方なのに。」
「そう言うのはお前と精市くらいのものだよ。赤也が聞いたら目を白黒させるだろうに。」

くつくつと蓮二様が笑われる。つられてフフッと笑みが零れた。
明日は弦一郎様がお迎えに来て下さる。会ったらまず一番に何を話そう。婚約の約束のことにしようか。あの人は何年も私を探してくれていたなんて普段の様子からじゃ想像もつかない。

「俺も精市も、式を楽しみにしているよ。お前の白無垢姿はきっと極楽浄土にいらっしゃる弦一郎のお祖父様やお前のお祖父様も喜ぶだろう。」

蓮二様の微笑みは月のようだ、と思った。静かに、包み込むように、凛としたは佇まいでありながらどこか柔らかく包まれるようなそんな気になる。
茶でもいれようか、体が冷えたろう、と蓮二様が立ち上がる。連れ立って立ち上がり、手伝えることがないか後をついていく。夜はまだ長い。蓮二様には申し訳ないがまだ私には訊かなければならないことがありそうだ。弦一郎様のことを、たくさん。









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