妃と僧侶の恋

□第三章
1ページ/1ページ






あれから、井宿は毎夜後宮を訪れるようになった。
他の者には忍ばなければならないため、密会は必ず夜中に、私の自室で行われる。

するのは当たり障りのなく他愛のない話ばかりだけれど、それがむしろ楽しくて。
日が没する度に毎日わくわくして。
こんなに心が浮かれて高鳴るのは、康淋といるときくらいだった。


紅をしっかりと塗って、鏡台の前で笑顔を作る。

彼の目に、少しでも可愛らしく映っていたらいいな。
ってなにこれ、これじゃ私が井宿のこと…

首をぶんぶんと横に振る。

ううん、井宿はただの友だち。
恋愛と友情を履き違えてはいけない。
それに、私は陛下の元へ嫁がなければならないんだ。



両親の顔を思い浮かべたところでふと思い出して、引き出しの中の文を開いた。





最近、母の体調が悪いらしい。
心配だが、こちらから文を送ることは禁止されているし、後宮から外へは出してもらえるはずがない。

お母さん、どうか元気で…


「何を見ているのだ?」
「あ、井宿。って、読んじゃダメ!」


手からすり抜けた文を慌てて取り返す。


「ごめん、文だと知らず」
「読んだ?」
「読んでない」

「お母さんの体調が悪いのだ?」
「…読んでるじゃない」


「ちょっとだけ」と額をポリポリと掻いている井宿を横目で見る。
肝心なところを読んでるじゃない…!



「体調が悪いって言っても、そこまでではないし、大丈夫だよ!」


嘘をつくも「何故分かるのだ?」と真面目な顔で見抜かれた。


「会いに行くのだ」


言うと思った。


「いいよ、別に」
「お母さんが心配ではないのだ?」
「心配に決まってるじゃない!あっ…」
「なら、行くべきなのだ」
「でも」


母の体調のことを伝えれば、きっと井宿は会いに行けと言う。
思っていたことが本当になってしまった。
会いたい。
だが、どうやって?
彼はどんな手を使ってでも会いに行かせてくれる。
あのとき、私を守ってくれたように。
それが、なんだか申し訳なかった。


「もっと甘えていいのだ。君はまだ子供なんだから」


私の心を見抜いたように、言った。


「井宿…」
「オイラが星宿様となって、里帰りの手配をしておくのだ」


なんでこの人、こんなに人ができているのだろう。
軽く言っているけど、手配をするにもとてもリスクを伴うことだろう。
感謝してもしきれない思いで「ありがとう」と伝えた。


「となれば、明日の朝出発なのだ!」
「明日の朝!?早いよ!」
「早いほうがいいのだ」
「起きれない!」
「起きるのだ」


言い合いを繰り返したが結局言いくるめられて、私は急いで準備を始める羽目になった。





***





久しぶりに後宮の外の景色を見た。
そして城下に来るのは2回目、後宮に来たとき以来だ。
町はこれ以上とないくらい栄えており、活気に溢れている。
しばらくなかった開放感に心が踊るようで、私は鼻歌をしながら町中をしゃなりしゃなりと歩いた。


「お嬢ちゃん、買っていくかい」
「肉まん…!買います!」


「そこのお姉ちゃん、ウチは首飾りや耳飾り、いっぱい売ってるよ」
「わぁ……可愛い!」


「お嬢ちゃん、こっちも!」


栄陽の人は、沢山声をかけてくれるんだなぁ。
目が回りそうになりながら、丁寧に皆に返答をしていく。





「嬢ちゃん。こっちで遊ばねぇか?」
「へ?」


肩をもたれて、同じ調子で振り向く。
すると、男2人がケタケタと笑っていた。
かと思えば、上から下まで私を舐めるように見ている。
その視線に、吐き気に近いものを感じた。





「遊ばないのだ」


聞きなれた声にハッとすると、井宿が男の手を思いきりあらぬ方向へ捻っている。
また、私の肩は彼の片腕に持たれていた。


「いででででで!」
「なにすんだ!」


「この子はオイラの女なのだ。気安く触れないでいただきたい」


腕の中から見上げる表情は眉を吊り上げており、圧倒されるような剣幕だった。

今『オイラの女』って言った…?言ったよね。
相手を追い払うためのことだとは分かっているが、嬉し恥ずかしさに思わず顔がにやついてしまう。


その間に男らは去ったようだった。





「井宿、来てくれたの?陛下の代わりはどうしたの?」
「娘娘という知り合いに頼んであるのだ。彼女も術が使える」
「そっか、よかっ…」
「よくないのだ。心配で追いかけに来たら、やはりこの様…」


肩を掴む手にぐっと力がこもる。


「皆、甜歌の着物や髪飾りの華やかさを見て、お金を持っていると分かって近寄ってくるのだ」


言われたままに自分の身なりを確認する。

あ…
そういえば。

長く後宮の中にいたため、そこまで気が回っていなかった自分を反省した。


「ごめんなさい」
「分かってくれればいいのだ」


少しだけ口角を上げた彼の顔が、とても近くにあることに気づく。
顔、近い…!


「あの…肩……」
「ん?あっ……すまない、のだ」


井宿は頬を紅潮させながら、私の肩を解放してくれた。
それを見ると私も恥ずかしさが伝染して、堪らず衣の袖で顔を隠した。

肩には未だに感覚が残っている。
とても華奢に見えるのに、意外に力強い腕で。
彼も男なのだということを感じさせられた。


「では行くのだ〜!」といつもの調子で歩いて行く背中を見つめる。





ねぇ、どうしてそんなに優しくするの?助けてくれるの?

井宿は私を助けてばかりだけど、私は井宿に何もしてあげた覚えはないのに。



まさか、私のこと…?





考えかけて、やめた。

自惚れるな、私。



『君はまだ子供なんだから』

そうよ、大人の井宿が、世間知らずで子供な私を好きになるはずないじゃない。



好きになっちゃ、ダメだ。


「待て〜!」


気持ちを切り替えて、彼の背中を目掛けて走って行く。
全てを振り切るように。


「待たないのだ〜!」


おどけて井宿も走った。
人混みを避けながら、たまにこちらを確認するその笑顔は、とても楽しそうだ。

こんな風に走ったのはどれだけぶりだろう。
風が、心地いい。



こちらを注目する人々の視線も気にせず、私は追いかける速さを上げた。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ