妃と僧侶の恋

□第一章
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「康淋、また行くの?」


巫女が異界からやってきてから、康淋は後宮を離れることが増えた。
また今日、旅へ出発するという。
たしかに、康淋は朱雀七星士の1人。
仕方がないことだが、この後宮に来てから1年程隣室で暮らしてきた仲なので、少し寂しくなる。


「ええ、あと3人の七星士を探しにね。朱雀七星士の1人として、巫女を護ってくるわ。あのコは危なっかしいから」
「そっか…これからはあまり会えなくなりそうだね」


不安そうな私が見て取れたのか、康淋はちょっと!と、お茶を片手に私の背中を叩いて笑った。


「一生会えないみたいな顔、やめなさいよ。七星士全員集めて、朱雀を召喚できたら、ここにも戻れるから」
「ホント?」
「ホントよ」
「頑張ってね、康淋」
「あったりまえじゃない。ちょっとわくわくもしてるのよね〜腕試し♪」
「なぁに、それ」


力こぶを見せるように腕を曲げ、自慢げに変なポーズをとっている康淋を見ると、私も吹き出してしまった。
こんなふうに、根拠があるのかないのかは分からないが、いつでも前向きで姉のような彼女が好きだ。
一緒にいると、元気になれる。
やっぱり寂しさはあるけど、強く意気込んで楽しそうにしている姿を見ると、頑張ってほしいとも思えた。



「陛下とは、どうなの?」


当然、陛下と話す機会は多いはずだ。
陛下は今まで1度も後宮には顔を出していない。
それに対し、康淋を含めた妃らは怒りの反面、悲しみに溢れていたのだ。
今は毎日陛下と会えるのだから、さぞ嬉しいのではないか。


「そりゃあ、もうお美しいったらないわ」
「そっちの方も、頑張ってね。上手くいけば、妃の座もあるんじゃない?」
「うふふふふ。やっぱり?…って、なんでそんなに嬉しそうなのよ。甜歌だって陛下と結ばれたいでしょう?」
「う、うん」
「あら、話しすぎたわね。そろそろ準備して、行くわね」
「わかった。いってらっしゃい」



康淋が出て行くとすぐに私は卓に突っ伏した。
康淋の言葉が気がかりだったのだ。





正直、私は陛下が好きで後宮に来たわけでない。

私の家は、村内でも貧民層で、父は精一杯働いているが、賃金は少なく、困窮していた。
家族3人、明日を生きるために必死だった。

そんな中、約1年前に村に後宮の妃候補の話が出た。
村内から1人選出され、選ばれた者の家には報酬が渡される。正妻に選ばれた場合にも多額の報酬がある……それを聞き、両親の制止も押し切り、立候補した。
特別美人でもなく、顔は普通だけど、選ばれたらいいな、ぐらいの気持ちで。
だが、そのときの官吏の好みの顔立ちだったらしく、運よく選ばれたのだった。



私が此処へ来たときの報酬金で両親2人ならしばらくは暮らしていけると思うが、それだけではお金は底を尽きてしまうから、たしかに、正妻にはなりたい。
でも、康淋のように本気で陛下が好きで、寵愛が受けられず悲しんでいる他の妃らとは、全く理由が違う。
なので、時折このような状況にぶつかると、彼女らに申し訳なく思って気持ちが沈んでしまう。



こんなときは、庭を散歩でもしよう。
侍女に一言添えて、自室を出る。





***





部屋にいると分からなかったが、今日の気温は日向ぼっこをしたくなるほど暖かい。
池に差し込む朝陽は反射し、キラキラとして綺麗に見え、足元の花たちは元気に咲き誇っているようだ。
耳を澄ますと、小鳥のさえずりも聞こえる。

大きく息を吸い込んで、吐く。


ふぅ、気持ちがいい。





康淋はもう出発した頃かしら。


庭のかなり奥まで歩いたところでしゃがみこみ、花を眺めていたときだった。










「おい、そこのお前」


聞き慣れないしゃがれ声に振り向く。

男…!?
驚愕して声は出なかったが、よろけながらなんとか立ち上がる。

何故、男子禁制のこの後宮に男がいるのか。
今はそんなことを言っている場合ではなさそうだ。
男の顔はものすごく眉をひそめ、怪訝な表情をしているのだ。
恐怖を感じながら声を絞り出す。


「なんですか」
「なんでお前なんだ」


男は憎悪にも似た目をして、こちらを見る。


「お前みたいな平凡なヤツが…ウチの娘は村1番の美人だったんだ。他のヤツらも、アンタの娘が選ばれるのが確実だと言ってたのによぉ」
「……え?」


俯きながら、よろよろとこちらへ歩いてくる。
私は同時に後ずさりをせざるを得ない。

誰か、いないの!?
男を横目に人の姿を確認するが、誰もいない。
私の頭の中は錯乱状態で、思考能力は低下しているが、相手が私を憎み、恨んでいることは分かる。
殺される…!?
緊迫の状況に、額から汗が零れ落ちた。


「おかげで娘は村中の笑い者さ。それで自信を無くしちまって、外に出歩かなくなっちまって、精神の病にかかった。だから、俺は此処に入る策を長い間考えた。てめぇを殺すためにな」
「えっ、どういうことですか…」
「うるせぇ!金目当てで妃になったくせに!この貧乏人が!!」


石につまづいて、尻餅をついた瞬間、男が隠し持っていた鎌を私の脳天を目掛け、振り上げる。

もうだめだ。


「助けて!!!」










「ハッ!!」




あれ?





ぎゅっと閉じていた瞼を開く。


「怪我はないのだ?」
「は、はい…」


目の前には、狐のような顔をした青年が1人、こちらを振り向いているのと、その向こうに倒れている鎌の男が1人、泡を噴いている。

青年の手には、長い杖のようなものが握られている。
あれで、男を倒したのだろうか…?

その光景に頭がついていかないながらも、お礼を言おうと試みる。


「あ、あの、助けていただいて、ありがとう………ござ、いま、す…」


唇が、思うように動いてくれない。
この青年がいなければ、私は殺されていた。
そう改めて考えると、恐怖で唇から全身が震え出してしまったのだ。


青年は私の顔を見ると一瞬驚いたような表情をしたが、すぐにニコニコとして、私の目の前にゆっくりとしゃがんだ。


「もう大丈夫なのだ。怖かったのだ」


子供をあやすように言ったきり、何も言わず私を見守っている。
その笑顔は優しく、まるで兄のようだ。
安心した私は、段々と震えが落ち着いてきた。

何かを考える余裕が出てきて、男の言葉をゆっくりと思い返す。



――――思い出した。
そういえば、私の故郷の村の同じ歳の女の子に、涼蓮という子がいた。
その子はかなり整った顔立ちで、村中の若い男からもてはやされていた。
涼蓮の、お父さん…?確かに、あのような顔をしていた気がする。



私のせいで、涼蓮は不幸になったのだ。
いや、涼蓮の家族も、他の村人ももしかしたら、私が妃に選ばれたせいで、犠牲を被っているのかもしれない。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…


「まだ、怖いのだ?」
「あっ、いえ……違うんです」
「オイラが来る前に、何かあったのだ?」


なんだこの人は。勘が鋭い。


「オイラでよければ、話を聞くのだ」


どうしよう。
たった今出会ったばかりの赤の他人に打ち明けてよいものなのだろうか。
だが、この後宮の者には言えるはずがない。
寧ろ出会ったばかりの人だから打ち明けられることではないか。
この際、後宮の関係者でなければ誰だっていい。
この気持ちを吐き出したい。


迷った挙句決心して、全てを話すことにした。
その間、青年は、時々頷きながら静かに話を聞いていた。
私が話し終わり、少しの沈黙ができた後、口を開く。





「確かに、涼蓮という子は村の笑い者になり、精神病にかかったかもしれない。
だが、それは君のせいではない。
村人が幼稚なだけ、その子の気持ちが弱いだけなのだ。
きっと君が後宮に入ったことで、親御さんはとても救われているはずなのだ。
正妻になり、もっと楽をさせてあげたいと思うなら正妻を目指せばいい。
他の者にわざわざ言うべきではないが、理由の違いで気後れして正妻の座を遠慮する必要はどこにもない、オイラはそう思うのだ」


言葉一つ一つが、とても考えられて発せられたものだと分かる。
それであって、青年が優しく、真剣に話してくれるのを聞いていると、涙がこぼれた。

そうか、別に気を遣う必要などないのだ。
皆を欺いているという意識を捨てよう。
折角、村の中からたった一人選ばれたのだから、正妻を目指そう。
そして、父と母にもっといい暮らしをさせてあげよう………

胸の閊えが涙となってあふれ出しているような、そんな気がした。





「こんな空気の中悪いのだが、人がこちらへ向かってくる気配がするのだ」
「え、どうしましょう…」


青年が急いで、鎌の男の襟を掴む。
その失神した顔がこちらへ向くので、少し気味悪く感じて視線を落とした。
そこでちょうど視界へ入ってきたのは、青年の破れた衣服から覗ける、右膝の朱文字だった。


「オイラからも警備を厳しくするように言っておくが、君も気をつけるのだぞ」


『井』と書かれているが、何を表しているのだろう。
私がそれに目を奪われているうちに、彼らはその場から消えてしまった。

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