空を自由に飛べ
□空を自由に飛べ21
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「あの、すみません」
とある夜、名前の店に眼鏡をかけた少女――清水清子が来店していた。
「ああ、いらっしゃい」
彼女が店に来たことは初めてのことだ(備品は大体発注されることが多いからだ)。なんだか意外なお客に驚くが、名前は笑顔で答える。
しかし清子はレジに立っているというのにも関わらず、商品を入れる籠も持っておらず、ましてやその両手は何も抱えていない。むしろ手持ち無沙汰に両手のつま先を弄っている。
「どうしたんだい?」
「……前に、『頼って』いいって言ってくれましたよね?」
「うん、言ったね」
彼女たち――烏野高校バレー部の三年生に言った言葉だ。苦労が絶えないであろう三年生に少しでも肩の荷を下ろしてもらいたくて言った。
「あの……」
「うん」
清子は恥ずかしそうに頬を染め、目線を左右に動かす。
恐らくこういったことに慣れていないだろうと踏んだ名前は急かすようなことはせず、黙って待つ。
ありがたいことに(経営者としてはまったくありがたくはないが)今はお客はいない。ゆっくり待つことにしよう。
「部室に、横断幕あること……知ってましたか?」
「横断幕……? ああ、男子のね。知ってるよ。ここ数年使ってないってのは訊いたことあるけど、さすがにどこにあるかは」
「あ、その、みつけたんです、横断幕」
「なんだ、そうなんだ。よかったね」
昔の部員が失くしただなんだという話を聞いたことがあった気がしたからみつかってよかった。さらに昔の先輩たちからの贈り物なんだ、失くしたとなれば大問題だろう。
「それで、直し方、教えてもらえませんか?」
その横断幕をどこで見つけたのかは名前は知らない。ロッカーの上に長年放置されていたのか、壁とロッカーの隙間に挟まっていたのか、はたまた体育館倉庫に眠っていたのか。
ただ、長年放置されていたのだから埃まみれでところどころほつれ、傷んでいるのだろう。それを彼女は――直そうとしている。しかも一人で。
普通に考えたらそういうのを専門にした業者に依頼した方が綺麗に出来上がるし、なにより完成度が高く仕上がりが早いだろう。
(それでも、自分の手で直したいんだろうなあ)
清子がどんな思いでバレー部のマネージャーになり、どんな想いで部員を応援し、サポートしているのかなんて名前にはわからない。
それでも、専門家でもない名前のもとに来、少しでも『頼り』に来た彼女の今の気持ちだけはわかる。
「そうだね、多分凄く埃まみれだろうから一度洗濯した方がいいね」
こくり。
と、清子は静かに頷いた。
「確か横断幕の色は黒だったから黒い糸で、なるべく太めの針で縫った方がいい」
「?」
「横断幕ってのは丈夫にできているからね。普通の針でやったら多分もたないだろうし最悪折れてしまう可能性もある。安全を考慮して作業した方がいい」
こくり。
メモを取るでもなく、ただきらきらと輝かせた瞳を名前から離すことなく頷く清子。
「こういうのはサプライズの方がいい。誰にも見つからず、誰にも手伝わさずにインターハイ予選前日に見せればいい。それだけでも十分士気は上がる――」
「士気……」
「女子更衣室でもいい。家でもいい――この店でもいい。きみがなにかをしていることを誰にも悟らせず、完璧に仕上がった横断幕を見せ――ただ一言、一言でいいから激励の言葉をかけてあげな」
「激励……」
「結局のところ、プレイヤーが試合をしてマネージャーは蚊帳の外、なんてことはないんだよ。プレイヤーがいるからこそマネージャーがいる――誰一人欠けていいポジションなんてないんだよ」
「でも、私、そういうの苦手で……」
「ははっ。言葉なんてなんでもいいんだよ」
「なんでも」
「そう。気持ちさえ――心さえ込もってればなんでもいい。気持ちは伝染するもんさ」
「……ありがとうございます」
「おう。また『頼り』に来な」
名前はまだ始まってもいないサプライズに、悪戯が成功したようにニヒルに笑ってみせた。