〜短編〜
□恋炎
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─夏の暮れ。
花火大会へと向かう通り路。
木々に止まったヒグラシの、さざ波のような美しい鳴き声に、そっと耳を傾ける。
昼間の猛暑が嘘のように、
吹き抜ける涼やかな風。
その風は
浴衣の裾を優しくなびかせ、
歩く度、髪に刺したかんざしの鈴がチリンと揺れた。
恋人と手を繋ぎ、ゆっくりと歩いて行く。
私はふと、横にいる恋人を見上げた。
去年、私の横に居た彼はもういない。
彼を思い出す度に、心が締め付けられて苦しくなって、ぽっかりと空いた穴は、未だに塞がらずにいる。
「ん?どうしたの?」
自分を見上げる視線に気付いた恋人は、優しい笑みを私に向けた。
「ううん。何でもない…」
そう呟くように応えると、俯いて、向けられた笑顔から顔を逸らした。
会場に着くと、たくさんの人で賑わっていて、
歩くのもままならないくらいだった。
人混みを掻き分けて出来るだけ近くに行こうとしたが、恋人と繋いだ手はいつの間にか解け、私が人混みをやっとの思いで抜けた時には、恋人の姿は何処にもなかった。
「…はぁ。最悪」
溜め息を吐き出して、乱れた浴衣と髪型を直すと、
私は一人歩いた。途中、手に持った巾着袋の中の携帯が何回か震えていたが、それに出ることはしなかった。
去年、花火を見た場所へと、自然と足が進んでいく。
いつの間にか日が落ちて、
歩きにくい浴衣と焼下駄で着いたのは、
花火会場から少し離れた小高い公園。
私の目当ては子供達が遊ぶ遊具「タコの山の滑り台」。周りに遮るものがないその場所は、二人だけの特等席のようで、
そこの天辺から彼とくっついて見上げた打ち上げ花火は、忘れられないくらい美しかった。
「…あっ」
ドーンと鳴り響いた音に、私は空を見上げた。
夜空に煌めいて咲く、鮮やかな花火。
その瞬間、
私は息を飲んだ。
「……嘘」
タコの山の天辺に立つ、忘れるはずのない派手な後ろ姿。
その人物は、煙草を燻らせながら、天辺の柵にもたれて夜空を見上げていた。
「……なんで、なんでそこにいるのよ」
私は震える声で、その後ろ姿に声をかける。
その人物は、振り向いて私に淡い笑みを向けた。
「お前こそ、なんでここに来たんや?」
「わ、私は、別に…」
戸惑っている私に、彼は煙草を足で踏み消すと、ヒヒッと笑った。
滑り台を滑って降りてきたと思ったら、そのまま勢いよく私を抱き締めた。
「…ずっと、忘れられへんかった」
「…………」
「お前の事を思って、俺から手離したのに…やっぱりアカンみたいや」
「…だ、だって……私…は」
「男居るんやろ?知っとる…。別れろとは言わへん。お前の事、好きでいさせてくれへんか」
その言葉に、私は堪えていた涙が溢れた。
涙が止めどなく頬を濡らす。
彼は、体を離すと、私の頬を黒い手袋でそっと撫でた。
「……綺麗や。お前にはやっぱり撫子の花がよう似合っとる…捨てんと着てくれたんやな…」
撫子の花が描かれた白色の浴衣。
彼が私にと、プレゼントしてくれた大切な物。
「……捨てれるわけないじゃない…ズルいよ。好きでいさせてなんて…私も貴方を忘れられないの。忘れようと思って付き合ってみたけど、やっぱり駄目なの。ねぇ、どうしたら───」
言葉を言い終わる前に、彼は私の口を唇で塞いだ。
熱く、絡めとるような口付けに、私の体は一気にのぼせるようだった。
ゆっくりと唇を離す。吐く息が熱い。彼の片目が私の瞳を捕らえて離さない。
「……好きや。愛してる─」
「……私も愛してる」
愛の言葉を囁き合う。
夜空を鮮やかに彩っては儚く散っていく花火を前に、再び唇を重ねると、綿菓子よりも甘い口付けに私は蕩けた。