高き陽に恋焦がれ

□第肆話
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炭治郎は割れた水晶に手を伸ばしたまま止まっていた。ドクリ、ドクリと心臓が嫌な音を立てている。そのせいで冷たい汗が首を伝い胸元まで流れヒヤリとする。手が意味もなく震えそれは瞬く間に全身に広がりあまりの震えに立っていられなくなり膝から崩れ落ちるようにしゃがみ込む。

「ッハァ、ッハァ!」

荒い息を吐き出す度に脳内を流れる映像。山に囲まれた小さな家、そこに暮らす家族達。雪の白に鮮血が映えたあの日。鬼になった妹。血反吐を吐くような修行の日々。同期と共にくぐり抜けた試練。闇夜を駆ける任務。そして、この街に来て……。

「ぅあぁぁあッ!!」

ガンガンと割れるような頭の痛みに思わず叫ぶがそれがふと止んだ。その瞬間、全てを思い出した。

(…そうだ俺は、鬼殺隊だ。ここに鬼を狩りに来た!!)

カッと目を見開いて立ち上がり今置かれている状況を理解する。あの夜、『花嫁様』に血鬼術をかけられ記憶をすり替えられた。この街に生まれ、今までこの街で生きてきたという記憶を埋め込まれていた。ここにある水晶からは街人の匂いと『花嫁様』の匂いがする。

(恐らくこれを壊せば記憶が戻る。とにかく皆の記憶を戻さないと…!!)

棚に手をかけてそれを思い切り倒す。部屋にある棚全てに同じことをした。水晶は宙を舞いガシャンガシャンと割れていく。その中には同期の2人にしのぶの匂いがする水晶もあった。恐らくこれで記憶が戻っていることだろう。

(あとは…日輪刀!!)

急いで階段を駆け上がり廊下へ飛び出した。その時背後から香ってきたのは『花嫁様』の匂い。

「…ッ!!」

バッと後ろを振り返り距離を取ると水の張った桶を抱えた『花嫁様』が立っていた。驚いた顔をしていたが炭治郎の顔を見て悟ったのか静かに言った。

「……気付いて、しまわれたのですね」

思わず腰に手をやるが肝心の刀は何処にあるのか分からない。しまった、と思いつつこの場をどう凌ごうか考えていると予想外の言葉が耳に届いた。

「刀は庭の物置にあります。隊服も同様に」

思わず耳を疑い『花嫁様』を見つめてしまう。彼女は静かに目を伏せて深く一礼すると何事もなかったかのように去っていった。ポカンとした炭治郎だったが嘘の匂いがしなかったことにより真実だと判断して物置へと向かった。そこには言葉通り隊服と刀が丁寧に置かれていた。炭治郎のだけでなく恐らく行方不明の隊士達分ある。戦闘準備を済ませ共に置かれていた箱を背負ってまた屋敷に戻る。

「禰豆子!!」

匂いを追って行くと客間の布団で寝ている禰豆子を発見した。起こさないようにそっと箱に入れ屋敷を抜け出した。匂いを追って行くと目的の人物は意識を失ったしのぶを抱き抱えていた。

「冨岡さん!!」

義勇はギロリと炭治郎を睨みつけるが隊服に刀を視認すると少し肩の力を抜いた。

「…戻ったか」

「はい!鬼の血鬼術にやられてしまっていて…恐らくしのぶさんや他の隊士も……ってしのぶさん!?」

義勇の腕の中で力なく目を瞑るしのぶに義勇は視線を落として呟いた。

「話していたらいきなり倒れた」

「もしかしたら俺のせいかもしれません。鬼の屋敷で俺の匂いのする水晶を割ったら記憶が戻ったのであった水晶全部割ったんですけど…しのぶさんもそれで……」

「…そうか」

話している最中に周りに集まった記憶を取り戻した隊士達に『花嫁様』の屋敷に隊服と刀があることを伝える。義勇が指示を出しているとそこに蜜璃も現れた。

「冨岡さん!しのぶちゃんは…あ!しのぶちゃん!!」

良かったぁ!!と泣き出す蜜璃を宥めようとした炭治郎。その姿を見た彼女はさらに泣き出してあろうことか抱きついてきた。豊満な胸に顔が埋もれる。

「んぶぅッ!?」

「よかったよかった皆無事でぇ!!あとは私達に任せておいてね!!」

赤い顔をして何度もコクコクと頷くもなかなかに離してもらえずどうしようかと頭を抱えていると鼻が鬼の匂いを嗅ぎ取った。

「と、冨岡さん!鬼が…近くに!!」

「…全員武器を持ってこい。鬼は俺と甘露寺、炭治郎で相手をする。準備が出来次第戻ってこい」

返事をしその場を後にする隊員達。伊之助にしのぶを預け刀を引き抜く義勇に倣い蜜璃も炭治郎も刀を抜く。善逸の「俺がしのぶさん運ぶから寄越せよッ!!」という声を背に鬼と向き合う。暗闇から現れた『花嫁様』は紅い目でじっと炭治郎達を見た。義勇がいの一番に頚を取ろうと走り出すが『花嫁様』は紙一重でそれを躱す。

「!!」

(冨岡さんの一撃も躱すのか…!!)

柱の一撃を躱す程の身のこなし。恐らく十二鬼月の上弦であろうことが分かり義勇も刀を握る手に力が籠る。次の一撃を入れようとした時、突然響く声。

「『花嫁様』!!」

振り返るとそこには夜であるというのに沢山の街人がいた。皆涙を流して『花嫁様』を見つめている。その中の1人、年端もいかない少年が『花嫁様』に向かって駆け出した。義勇は咄嗟にその子を抱えて距離を取る。

「うわぁ〜!!離して!離してよぉ〜!!」

「ッなにを…」

「おっかあ!おっかあがいないんだよ〜!!」

義勇をポカポカと殴り泣き喚く少年。すると街人達が次々に『花嫁様』の周りに集まり泣きながら縋りついた。

「お願いします『花嫁様』。助けてください!!」

「夫が!夫がいないんです…!!」

「孫が帰って来ないんじゃ!助けてくだされ…!!」

戻ってきた隊士達もどういう状況かと頭を捻るほど、目の前の光景は異質であった。人が鬼に助けを求めている。こんな光景は見たことがなかった。何もしない『花嫁様』に頭を傾げる街人達だったがふと炭治郎達に気付きその手に持っているものを見た。

「…そうか、それで『花嫁様』を殺すつもりなんだな?」

「えっ!」

ユラリ、と立ち上がり転がる石を、持ってきた農具を手に取って街人達は鬼殺隊に詰め寄ってきた。

「な、なにを!!」

「お前らがいるせいで『花嫁様』に助けてもらえないんだ!!今まで助けてもらった分、今度は俺達が『花嫁様』を助けるんだ!!」

1人がそう叫ぶと各々が唸り声を上げてそれに応える。鬼気迫るその姿に流石の鬼殺隊も戸惑いを隠せない。

(何を…言ってるんだ!?もしかしてまだ血鬼術に…いや、匂いはしない。本気で俺達を敵だと思ってる!!)

人を守るのが鬼殺隊だ。その守るべき対象から敵意を向けられた事など今まで一度たりとて無い。困惑する中炭治郎が声を発しようとした時、透き通った声が響く。

「お止め下さい」

全員が『花嫁様』を振り返った。彼女は悲痛な面持ちで腰から上半身を折り深く頭を下げた。

「…申し訳御座いません。私がしていたことは貴方様方の記憶の操作。この街で生まれ生きてきたという記憶の改竄に他なりません。生きやすくはなったのでしょうがそれは残酷な現実の逃避にすぎないのです。私はあの刀で屠られる側の化け物ですので…貴方様方の思うような大層なものではないのです」

頭を上げて街人にニコリ、とこの場に似つかわしく無い綺麗な笑顔を浮かべ、『花嫁様』は続けた。

「大切な人達を、記憶を私の汚れた手で触れられてしまい取られてしまったのですよ。皆々様の大切な方々は、それをお許しになるのですか?」

そうだ、と炭治郎も思い出す。自身も大切な家族のことを忘れて家族は禰豆子と2人きりだと思っていた。改竄された記憶がそうだったからだ。大切な人達を忘れていたのだ。それを思い出し悔しさに唇を噛むとそれを表すかのように1つの石が『花嫁様』の頭部に当たる。それはみるみる数を増やしてさながら石の雨のように彼女の身体にぶち当たる。怒声や憎しみを込められて。

「ふざけやがって!!なにが助けてくれるだ!人の思い出を…!!」

「私の故郷はここじゃ無いのに!閉じ込めておいて!私の旦那もアンタが殺したんでしょう!?この嘘つきめ!!」

「嘘つき!!」

「嘘つきめ!!」

街人はありったけの罵詈雑言をぶつけると今度は鬼殺隊に頭を下げてきた。

「助けてください!助けてください!!」

必死に頭を下げる街人を見て、炭治郎は少し『花嫁様』を不憫に思ってしまう。確かに人の記憶を勝手に弄ることはとても許されたことではない。しかし今まで仮初であれど幸せな生活を送らせてもらっていたのにこの変わり身の速さはなんなのだろう。この街に出たであろう鬼も恐らく『花嫁様』が喰い彼らを守っていたのだろうに。そう思うと、血だらけで佇む彼女が不憫でならなかった。苦しい感情から『花嫁様』を見ると諦めたように笑っていた。炭治郎と目が合うとニコリ、と笑う。

「街人の皆様はこの場にいない方が好都合なのでは?」

それを聞いてハッとした蜜璃は隊士達に街人の避難を指示。すぐさまこの場には鬼と鬼殺隊しかいなくなった。炭治郎は問う。

「…何故鬼殺隊まで平凡に暮らさせたんだ。邪魔でしかないだろう」

「……」

無言を貫く『花嫁様』に義勇が仕掛ける。驚くほどの精度で繰り出された水の呼吸、肆ノ型・打ち潮。『花嫁様』はそれを避けるが完璧には避けきれずに左手首がボトリ、と落ちる。その瞬間シャラン、と鈴の音が響く。どうやら『花嫁様』は手首に紐を通した鈴を巻きつけていたらしくそれが『花嫁様』の鈴の音の正体らしかった。

「ッ!!」

すぐに再生する手首。蜜璃もまた攻撃を仕掛けるために走る。他の隊士達も各々の得意とする呼吸で畳みかけた。いくら不憫な場を見せられたとて鬼は鬼。始末する対象に変わりはなかった。

「恋の呼吸、壱ノ型・初恋のわななき!!」

「ッ!!ぅ、」

蜜璃の攻撃で四肢が四方八方に飛び散った。態勢を崩した『花嫁様』に義勇がとどめを刺そうと迫る。

「…くっ!」

「!」

身を捻り頚から狙いを外させその間に手足を再生。攻撃に備える隊士達だが一向に相手からの攻撃はない。

(…何故反撃しない?)

(防戦一方だわ…かと言って頚への攻撃は確実に避けてる。何を考えているのかしら?)

訝しげながらも攻撃を続ける。反撃されないために地面に飛び散る血は当然のことながら『花嫁様』のものだけ。広がる赤い池に噎せ返るほどの血の匂い。それでも彼女は反撃しなかった。避けて、避けて、避けて。

「もらったァッ!!」

「!!」

背後から迫る伊之助の攻撃を躱した際、綿帽子が落ちた。そこに現れたのは炭治郎と変わらない歳に見える少女だった。色素の薄い髪は腰まで伸び毛先の方で一つに纏めておりその瞳は血を思わせるように紅い。肌は白く闇夜によく映えた。その姿は白無垢を着るには些か早すぎる容姿に見える。そして気になることが1つ、彼女は先程から頚だけでなく胸元も庇いながら避けているように感じた。

「冨岡さん!胸を狙ってください!!」

「は?」

戸惑う義勇を他所に駆け出す炭治郎。それに続く義勇。それを見て初めて『花嫁様』の表情が変わる。
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