短編

□『好きです』
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昼休み明け初っ端の授業ほど眠気を誘う授業は無い。そしてその睡魔に抗い続けることができる人間はほんの一握り。知里はその一握り外の人間であるが先生に目をつけられるのはごめん被りたいので必死に目をこじ開けて欠伸を噛み殺していた。

(ねむ〜…あ、写さなきゃ…)

開きっぱなしのノートへいざ書き写そうとして眠気が吹っ飛んだ。そこにあるはずの物が無いからだ。ノートや教科書等と共に持ってきたはずの筆箱が無い。まさか寝ぼけて落としたのかと不審がられない程度に辺りを見渡すがそれらしき物は一切無い。とするならば、残すは自分の教室にある自分の机の中にしかその存在は有り得ない。

(わ、忘れた!?最悪!)

このような場合は大抵周りの人に借りるのが最善かつ簡単なのだがあいにくと知里の周りには一言二言は交わしたことがあるが物を貸し借りし合うような仲の人はいなかった。移動教室の先でまさかの事態に頭を抱える知里。が彼女はすぐに閃いた。

(そうだ!ここの席の人に借りよう!)

普通ならば有り得ないが今は超がつくほどの緊急事態。背に腹は変えられない。そっと机に手を差し入れると目的の物は一番右に置いてあった。

(…ごめんなさいっ!)

深い緑色の筆箱からシャープペンシルを一本取り出し使用させてもらう。借りる物は最小限に、と思いノートに書き写すというシンプルな作業を丁寧に、それはもう丁寧に行い誤字脱字を極力しないことにより消しゴムの使用、という選択肢を無くした。おかげでこの後の授業は眠る事はなかった上に今までで一番集中できた。チャイムの音が鳴り響き知里は緊張で強張った身体から力を抜いた。

(なんとかなったぁ…あ、お礼しなくちゃ)

そう思いついたは良いが生憎と今は何も持ち合わせがない。それに緊急事態とは言え無断で借りたことを何も言わないのも…と思い知里は失礼だとは思いつつ机に文字を綴った。

『筆箱を忘れたのでシャーペンお借りしました。勝手にごめんなさい』

借りたものを丁寧に元の場所へ戻し教材一式を持ち知里はその教室を後にした。それから2日後、また同じ授業がありその教室に訪れた。今度はしっかり筆箱を持った上にお礼としてのクッキーを持って。席に着いて授業が開始して少し経った頃、先生の目を盗んで机の中にクッキーを置いてはたと気が付いた。机に何か書かれている。

『気にしなくていいよ。君の役に立ててよかった』

恐らくはこの席の人が書いたであろう文章からは顔を知らぬその人の性格の良さが窺えた。優しい文章に丁寧な字。とても優しい性格なのだろう。そう思うのと同時に知里は驚いた。まさか机の落書きで文通もどきのことが出来るとは。嬉々としてその文章を消しゴムで消して言葉を綴る。

『本当に助かりました!お礼にクッキー焼いてきたのでよかったら』

この文章に対する返事が見られるのはきっと来週の移動教室の時だ。退屈な授業の狭間に見つけた小さな楽しみに知里は嬉しそうに笑みを溢した。

『クッキーありがとう。とても美味しかった』

待ちに待ったその時間、やはり返事は返ってきていた。お礼も食べてもらえたようで美味しかったと感想までついている。知里は嬉しくて嬉しくて授業そっちのけで机に文字を書く。

『よかった!本当にありがとうございました!』

『困ったら助けるのは当たり前だ。それにお礼までもらえて役得なのは俺の方かな』

返ってきた返事に驚いた。この席の人は男性のようだ。もちろん女性が面白がって書いているだけなのかもしれないがチラリと見える私物は色合いが男性向けの物ばかり。顔も知らない男性とのやり取りはドキドキとしてとても魅力的だった。異性とそのような交流が無かった知里は彼の人に夢中になってしまった。そうしてやり取りをしているある時、こんな文章が書かれていた。

『机の中に俺が焼いたクッキーがあるから良かったら食べてくれ』

首を傾げつつそっと取り出せば可愛らしい袋に数枚のクッキーが入っていた。見ず知らずの相手から貰った物だが知里はなんの警戒心もなく授業後に口に含んだ。ふわりと広がる香ばしい香りと仄かな甘さ。今まで食べた中で一番美味しいクッキーだ。

「ん〜!美味し〜!!こんなに美味しいのよく作れるなぁ」

食べ切るのが勿体ないと思うほどのクッキーは数十秒で無くなってしまった。残念な気持ち半分、お菓子作りが得意という情報が分かり嬉しさ半分。知里は幸せそうに頬を緩めた。

『クッキーありがとうございました!すごく美味しかったです!!』

『喜んでもらえて何よりだ。また作るからそしたら食べてもらえないか?』

『もらってばかりじゃ申し訳ないので私もなにか作ります!!』

そう綴って知里はカップケーキを焼いてみた。自分で食べてみての感想は美味しかったのだがあの人はどうなのか分からない。緊張で震える手で机にケーキを置いた3日後、机には…。

『とても美味しかった。ありがとう。君はお菓子作りが上手いんだな』

そんな風に褒められてしまえば頬は緩む一方で。今日も今日とてあの人から頂いたシフォンケーキを頬張りながら知里はニヤニヤと笑ってしまう。

「知里最近機嫌いいね。なんかいいことでもあった?」

「ん?何もないよ?」

しかし聡い友人の目は誤魔化せないらしく肩に腕を回され頬を強くつつかれる。

「嘘つけ!最近めちゃくちゃ美味しそうなお菓子食べてるくせに!しかもそれ食べてる時のアンタめちゃくちゃ幸せそうなんだよ?自覚ある!?」

「嘘!ない!!」

笑い合う2人だが友人はピタリと笑うのをやめてニヤリ、と嫌な顔をした。

「……まさか、ついにアイツと?」

その瞬間知里の顔は赤くなる。友人が言うのは彼女の想い人である人のことだ。

「ちがっ、違うよ!!だって接点ないし!!」

「移動教室のとこってあの人のクラスでしょ?接点は少なからずあるよ」

「で、でもあの人の席は私が座ってるとこの一番後ろだもん!!」

そこまで把握している知里に若干引き気味の友人を置いて菓子を頬張る知里。脳裏に浮かぶのは好きな人の顔と顔も名前も知らない落書きの彼。

(もし、告白されたら…)

と考え始めてやめた。ありもしない未来を想像するのは悲しい。それに生まれてこの方異性に想いを寄せられたことのない知里はそんな想像が端から出来るわけもないのだ。やはり自分は叶わない恋をしているくらいがちょうど良い、そう納得してシフォンケーキの最後の一口を口に放り込んだ。






彼の人とやり取りをして半年ほど経った頃、ウキウキとしながら机を見た知里はコテリと首を傾げた。

『今日の放課後、話がある。ここに来て欲しい』

なんの話だろうかと思案した直後ハッとした。そういえばこのクラスはもうすぐ席替えがあるらしい。優しい落書きの彼はそれを危惧して今日会ってくれるのかもしれない。

(ど、どうしよう!!)

顔が知りたいのと知らないままのこのドキドキ感を味わっていたいのとのせめぎ合いの結果は前者が勝利した。そもそも知里は人との約束事を反故にできるような人ではないから端から会わない、という選択肢は存在し得ないのだが。迎えた放課後、高鳴る胸を押さえつつその教室に訪れる。クラスの人は誰一人としておらずシンとした空間には遠くから聞こえる吹奏楽部の音色しか聞こえなかった。一応「お邪魔します…」と小さく声を掛け落書きの彼の席へ向かってその机を見た。

『好きです。』

とだけ書かれたその文章を何度も瞬きを繰り返しながら見つめた。何度見ても同じことしか書かれておらず前に友人と話した時に想像した未来が現実になってしまったことに驚いたが知里の脳内は酷く冷静だった。

(…嬉しいけど…私には好きな人が……)

持ってきたシャープペンシルで机にお断りの文字を綴っている時、教室の入り口辺りから声をかけられた。

「あれ?君は…」

驚いて書くのをやめて振り返った。そこにいたのはクラス一、いや学年一人気者と言われている竈門炭治郎その人であった。

「か、竈門君!!」

そして何を隠そう知里の想い人とは彼のことである。突然の登場に驚くのと同時に顔が赤くなる。

「このクラスじゃないよな?どうしたんだ?」

「あ、えっと…!その…」

誰の物とも知らない机に落書きをしていたなど好きな人に知られるわけにはいかない知里は混乱する頭で考えるが特に何か思いつくわけでもなくただただ炭治郎に嫌われないよう逃げることに専念した。

「ご、ごめんなさい!!」

慌ててそう言ってドアへと駆けようとすればその前に炭治郎が動く。彼は知里とすれ違い彼女が先程までいた机を覗き込んだ。

「あ…」

がっつり見られたその落書きに知里の顔は絶望に染まる。わざわざ他クラスへ来てクラスメイトの机に落書きをして帰る意味不明な女認定されてしまったという事実に目の前が暗くなり思わず足を止めてしまった。炭治郎はその様子に気付くわけもなく暫くその落書きを眺めた後くすりと笑った。

「断るのか?」

「…あ、え?」

発せられた言葉は嘲りでもなく怒りでもなく疑問だった。くるりと知里を振り返り炭治郎はまたニコリと笑った。

「告白されたんだろ?断るのか?」

知里は質問の意図が分からず混乱してしまった。確かに落書きで告白など初めての事だろうから気になるのは分かる。しかしこの炭治郎という男はそこまで人の事情に踏み入る男だっただろうか?

「…竈門君、には関係…な、なくない?」

震える声でそう発せば炭治郎はゆるゆると首を横に振った。

「関係あるよ。だってここは俺の席だから」

衝撃的すぎる事実に言葉を失った。彼の言うことが事実なのであれば、知里は今まで炭治郎のシャープペンシルを借り炭治郎と文通もどきをし、炭治郎の焼いたお菓子を食べていたことになる。思わずいつも炭治郎がいる席を見遣ると彼も察したのかあぁ、と小さく言った。

「あそこは伊之助の席だよ。いつも汚くしているから毎朝掃除がてら私物整理をしてるんだ。自分でやれって言っても聞かなくてな…」

困ったやつだ、と笑う炭治郎。そこから視線を逸らさない知里を炭治郎はその赤みがかった瞳で愛おしそうに見つめた。

「落書きで告白するのもいいかと思ったけれど、やっぱり直接言った方が俺の性分に合っているな」

向き直った炭治郎は知里を強い視線で射抜く。まるでもう答えを知っているかのように。


「『好きです。』俺と付き合ってくれませんか?」



























授業が終わり教室に戻ってくると机に何か書かれていた。炭治郎はそれを覗き込み納得し返事を書きその律儀な性格故に最後に名前を書こうとして止まった。

(あれ、この匂い…)

良く利く鼻が嗅ぎ取ったのはほんのりのしたもの。違うクラスだが笑顔が優しい彼女のもの。いつも遠巻きで眺めて気になっていた女の子のものだった。移動教室で自分の席に座っていることに今気付いた炭治郎は考えた。これはもしかしたら…

(仲良く、なれるチャンスかもしれない…)

数秒の葛藤後、炭治郎はシャープペンシルを仕舞った。彼女が書いたであろう文章をそっと撫で彼女の笑顔とこれからの未来に想いを馳せ頬を緩ませた。




Happy birthday 竈門炭治郎
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