短編小説

□センチメンタル・クレオパトラ
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駄々っ広く感じる仕事場と照明は照らす必要のない隅々までを明るく保っていて、余計寂しく見えた。


今日の残業は一人のようだ。
明日使う予定の予算案を修正箇所を見つけ50人分直さなければならない。

このあと待ち構える面倒な作業にまた一つため息がもれた。

「もう…ほんとに今日はついてない。」


「そうなの?俺は最高についてる日だよ。」

一人だと思って言った言葉に返事があれば誰でも驚く。

「部長」

「手伝おーか」

ん、と手を差し出され素直に書類を一部渡す。
空いている私の隣の席へ腰かけた。

「修正箇所っていまのところ最初に指摘された一つだけですか?」


「見つけた時点で言ったから分かんない」

「……そうですか」

返答に違和感を感じつつも電卓を叩き始める。



「……今日ついてない日なんだって?」


書類から目を外さず話しかけられる。

「まぁ…そうですね」

「なんかあったの」

「そういう訳じゃないんですけど…早く帰りたい気分だっただけで」

私は嘘をついた。


「そうか」

深く聞こうとはせず淡々とチェックをしている。


「……あの」

「うん?」


「私の友達の話、なんですが」

「うん」

「多少人より恵まれている所が多い子で。でもそれは彼女も彼女なりに一生懸命やった結果なんですよ」

「うん」

「でも……でもその子、ずっと付き合ってた彼氏に振られちゃって」



───君は完璧すぎるんだよ

何を考えているかもよく分からない

俺を頼ってくれるような子の方が一緒に生活していて楽しいんだ



ズキズキとまだできて間もない傷口が痛む。

……三年も付き合って今更そんなこと。

そもそも浮気したのは貴方なのに。


出てくるはずの言葉は何故か一つも出てこなくて。
唖然としなにも考えられない私に貴方は言い捨てたの。



───ほら。別れるって言っても哀しそうな顔さえしてくれないんだ。


やっぱり君は理解できない、そう言って立ち去った。

……哀しい顔?

平気な顔していたかしら。

もしそう見えたんだとしたら、それは貴方が哀しむ暇さえ与えてくれなかったからよ。



「……彼女が努力してきたことは、全部ムダだったのかなぁ…?」




毎日マッサージは念入りに。

どんなに疲れた日でも化粧落としは欠かさないで。

勉強は誰よりも。

周りのフォローもできる限りして。


───全部が全部、人に嫌われるためのものだったの?

潤んだ瞳から涙がこぼれ落ちないよう、必死にこらえる。

しかし間髪入らず否定の言葉が返ってきた。



「無駄なわけないだろ」

「そんなもん嫉妬で楽に流れたアホな男だ。お前がもったいない」


怒ったように目の前の先輩は言う。


「……私の友達の話です」

「じゃ、その友達に言っとけ。お前の努力を見てるやつは見てる。」

そういうやつを見つけろ、って。


「……はは、なんですかそれ」


「……少なくともお前が気づかないだけで一人はいるぞ」


「え」

気になることを言った部長を振り向いてもどこ吹く風という体で長い脚を組み、書類に目を通している。


───つかみどころがないなぁ…


「お、あと二つ間違い見つけたぞ」

「……そんなにありましたか」

一つでも正直へこんだのにまだ二つもあったなんて。


「……もしかしたら他にもあるかもしれませんね。もう一度チェックします」



「あー、それはないよ。これで全部」

「なんでそう思うんですか。……さっきから変ですよ部長」

「………だから、君がいると調子狂うんだよ」

どこか拗ねたような口調は年上なのに子どものように聞こえた。

いつも涼しげな目元は苛立ったように細められている。


修正箇所にホワイトをとんとんと出しながら独り言のように呟いた。


「もう30過ぎたいい大人なのに、気になる子素直に食事に誘えなくて下らない細工するし?青臭いやつがその子に近付こうとしてるの大人げなくガン飛ばして追い払ったりするし……」


わかる?と肘をついてため息をつかれるがなんの話か全く分からない。


正直に答えるとあぁ〜もう、と男にしては少し長めの髪をくしゃくしゃとかき混ぜ、額をデスクにのせてうーうーと言っていた。

何故か耳が赤くなっている。

声がおさまったと思ったらくるっとこちらを向き

「要するにさ…」

ふてくされたように続ける。




「食事に誘ってるわけ」














鈍い私でもさすがに気がついた。

とりあえず文句を言う。

「……こういう小細工は私の仕事人としてのプライドに傷がつきます」


「うん、ごめん……」


本気でしょぼくれている部長に先ほどとは別の愛しさを感じる。

──あぁ、今日、そんなに悪い日じゃないかもね。





「だから、」

ニコッと笑いかける。



「今日は奢ってくださいね」








(……どこ食いに行きたい)

(近くにおいしいイタリアンのお店ができたらしいんですけど。)

(おい!高いところじゃねーか!)


(それくらいの仕事量はありました〜)












今のままの私でも


きっと幸せになれる、気がします。








おしまい







 
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