紅白の獣
□落着
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それからしばらくして、蔵馬は学校に来なくなった。
(どうしたものかな)
隣の席を見ながら頭を悩ませてみるも、まだ再会して日の浅い彼女に、理由が分かるはずはなかった。
そんなことがとうとう一週間続いて、さすがに心配になった白鷺は蔵馬の家まで出向くことにした。
(勝手に押しかけたら怒るかな…まあその時はそのときか)
最後に顔を合わせた時の、ほんの少しやつれた表情は忘れられなかった。
皆に自分の手の内を明かさないのはいつものことであるが、隠しきれないほどの疲労だなんて半妖の彼には無縁のはずなのに。
学校が終わった後、志保利に聞いた大まかな位置を頼りに『南野』という表札を探す。ほどなくしてみつかったそこには蔵馬による簡易結界が張ってあるようで、中の様子はわからなかった。
(まずはやっぱりここから探そうか…)
しかし結界に阻まれ、ドアまでたどり着けない…どうしようかと思案しながら家の周りを歩いていると、ふいにあるものを見つけた。
(…結界が綻びてる…)
故意に壊されたのではなく、術者の気の緩みがもたらす不備だ。あの蔵馬に限って、そんなことがあるはずはないと思っていたのに…おまけに窓のカギまで開いている。
(本当に…どうしたんだろう)
悪いとは思いつつ、綻びに体を滑り込ませ、窓から家の中に入った。
すると、かすかに蔵馬の妖気が2階の東向きの部屋から漏れていた。
(あそこか…)
階段を駆け上がって、細く開いている蔵馬のいる部屋のドアを用心深くノックした。
「…蔵ちゃん…いるの?」
返事はない。
「…入るよー」
ゆっくりと動かしたドアの向こうにあったのは、衝撃的な光景だった。
「…これって…」
散乱した植物の種、そこらへんじゅうから芽を出して繁茂する魔界植物、蛍光色の液体が入った大量の瓶…それらが秀一の部屋らしきここにすべて存在していた。
「あ…」
蔵馬はそんなジャングルのような一角に座り込んでいた。
草木をかき分け、名前を呼びながら近寄って行く。
「蔵ちゃん…大丈夫?」
しかし彼は返事をしなかった。よく耳を澄ますと、聞こえた。
「はあ…はあ…」
荒い呼吸音。隠そうとはしているようだが、彼らしくもなくばればれだ。異常な様子に白鷺は驚きつつ、カッターシャツの肩に手をかける。
「どうしたの…って熱が…」
少し触れただけでわかる高熱だった。シャツもじんわりと湿っているのが感じられた。この蔵馬が熱を出すなんて…いったい何が?
「蔵ちゃん、動ける?」
返事はないが、おそらく何か言おうとしているのだろう、息がますます乱れていく。
「…はあっ…う…は…あ…」
「…ごめん、いいよ。その代わりちょっと肩貸してね」
よっと、蔵馬の右肩の下に潜り込んで背負い、そばのベッドまで運んでいった。そのまま寝かせ、布団をかける。
かくんと力を失った表情を見やり、白鷺はため息をついた。
(この様子、尋常じゃない…見たところ毒っぽくはないけど、蔵ちゃんは人間界の風邪やインフルエンザくらいにはまずかからないし、仮にかかっても自分で薬草を調合して完治できるはず。…薬草が効かない?それにこの散らかった部屋、気の乱れ…まさか蔵ちゃん…)
氷を用意するため一階の台所へ下りる。そういえば志保利さんの病院へ行くまでの道中、蔵馬が先日学校を休んだ理由を教えてくれた。うちで倒れたらしいが、あのときの彼もこんな感じだったのかとどこかに隠れている余裕な自分が言った。
「一応、お母さんには黙っておこうか…」
「…はっ」
「あ、起きた」
一瞬だった。彼は額に乗っけてあったタオルがずり落ちるのも構わず半身を起こした。
「さすが蔵ちゃん、さっきはあれだけ熱があったのにもう意識戻るなんてねー。でも一応、いきなり動くのはやめといたほうがいいと思うけど。まだちょっとふらつくでしょ」
「…く」
忠告通り、蔵馬はめまいに襲われ。
せっかく起きたのも空しくベッドへリターン・バックした。
「…母さん…」
「あ、やっぱり?大丈夫、部活の関係で、今日は学校から帰るのがおそくなるって電話しておいたから」
我ながら情けない…額に手を乗せ、蔵馬は一度大きく息を吐いた。
なぜ彼女がここにいるのかは謎だったが、自分の介抱をしてくれていたのは瞬時に理解できた。
「そうか…悪かったな、迷惑掛けたようで。今、何時だ?」
「うーんと、午後6時38分かな。ちなみにぶっ倒れてたのは1時間と5分」
耳元で聞こえるのはずっと前に聞いてきた声。人の格好はしているが、声色は変わらないままだ。
白鷺は読んでいた本のぺ−ジにしおりをはさむと、床に落ちたタオルを拾った。
「…なるほど。ずっとここにいたのか」
「いたよ?蔵ちゃん妖怪だから病院行かなくて大丈夫だろうけど、さすがに放っておくのも何だし」
「じゃあ、早く帰ったほうがいいんじゃないか?病気だったらうつるぞ」
「病気?」
と、白鷺の顔が笑みを消した。
「違うでしょ?」
「!?」
「志保利さんだよね?蔵ちゃんのその…原因」
「…いや」
珍しく驚いた顔をした蔵馬。しかし白鷺はもっと珍しい無表情を蔵馬のそれに近づけた。
「嘘ついても無駄…必死で治し方さがして、魔界の植物で薬を作ったり。心配して心配して心配して、気付けなかった自分を責めて独りで悩んで、それでも解決できなくて。…蔵ちゃん、頑張りすぎ」
「…」
「さっきから顔にでてる。…まったく、ポーカーフェイスは得意だったでしょ?」
「…ふう…」
蔵馬が根負けしたらしい…するとまたいつもの表情で引き下がった。
「あと、蔵ちゃんかなり汗かいてたからとりあえずシャツだけ換えさせてもらったよ。蔵ちゃん今は人間の体なんだから、これで本当に風邪ひいたらシャレにならないもんねえ」
「…不用意に服は脱がすものじゃないよ」
「今日は事情が事情だから、不用意じゃないよ」
「…全く…」
(だめだ、覚えてない)
熱に浮かされて、はっきり言って白鷺がいつ来たかも記憶がないこの状態では分が悪い。まあ別に、気にすることでもないか…とそんな蔵馬に彼女は不意打ちをけしかけた。
「とりあえず今日はゆっくりしてるといいよ…私は帰るでも泊るでもいいんだけど」
「…」
わかってるんだかわかってないんだか…というかそもそも人の家に上がりこんでこの2択を迫ることも珍しいはず。なぜ、ああも妖艶に笑えるのにこれなのか…と思ったがとりあえずよしとしよう。年の功だ、としのこう!魔界にいたころは同じねぐらで寝泊まりしていた仲でもある。
「お好きなように」
心中苦笑しつつ返答した。
「んじゃ泊らせて」
2分の一の確率。たぶん他意は無くの選択だろうが、蔵馬は未だにくらくらする頭を押さえた。
「…わかった、オレ下行くよ。散らかってて何だけどここで寝て」
「いいよ、なら私が一階のリビング借りる…自分の部屋のほうが楽でしょ。病人どかすのも酷だし、勝手に押しかけたんだしね」
「…すまない」
「謝らないでー」
次の日、蔵馬は早朝に目を覚ました。ある客の妖気を感じたためだ。まだ若干ずきずきと頭痛がする頭を抱え、窓をがらっと引き開ければ赤眼がこちらを覗いた。
「…貴様の女か」
「お前に説明する義理はない」
黒服を着た逆毛でちび助の妖怪である。以前そいつは飛影と名乗った。
「フン、よく言うぜ…あの女にばれないようにと気を使ってやったというのにな」
「夜中に起こせばいいだろう…今みたいに」
「頻繁に行き来していて煩わしかった」
「!」
(白鷺…気にかけてくれてたようだな)
「それはどうも」
「で、腹は決まったのか」
「ああ、手を組むことにする」
「見直したぜ…今晩10時、いつもの場所だ」
「わかった」
飛影は口角を上げ、入ってきた窓から消えた。彼がなぜ結界を超えているのかは謎だが、蔵馬の表情は硬かった。
制服に着かえて居間に 現れる。ソファには白鷺が丸くなって寝ていた。家に来た時のまま、制服だった。
ふと脇を見ると、タオルと水を張ったバケツが並べてある。タオルがぬれているところをみると、頻繁に換えに来ていたらしい。気付かなかったとは不覚だが…
おもむろに制服の上着をぬいで彼女の肩に掛け、台所へ向かう。
いつものように朝ご飯を作り始め、あの日以来初めて表情が緩んでいるのに気がついた。
「やっぱり今も昔もあいつはあいつだな」
小さくつぶやいて、片手で2つの卵を割った。
ちょうど卵とハムのサンドイッチ、ありあわせ野菜サラダなんかが2食机に並んだところで、白鷺がもぞっと起きたようだ。
「うわー、寝ちゃったみたいだね…ごめんね蔵ちゃん」
「おはよう…ちょうどいい時刻だ」
「あ、そう?」
「朝飯つくったんだけど、食べていきなよ」
「悪いからいいよー」
「もう2人分作っちゃったし。余るのもなんだからさ」
「…じゃあありがたく」
そして向かい合って椅子に座る。いただきます、と手を合わせて言ってから箸に手をかける彼女を見て、蔵馬はまた少し笑っていた。
「白鷺」
「ん、何?」
箸を持とうとした手を止め、蔵馬に注目した。
「昨日は悪かったね」
「よかった、元気になって」
白鷺はなんだそんなことかと言わんばかりに箸をとり、卵焼きを頬張った。
「…おいしいなあ」
「どーも」
「お、私今日の授業の用意してないや」
「時間割は昨日の分で今日の授業は問題ないから大丈夫」
「そうなんだー」
そうして和やかに食事を済ませ、自然な流れで2人揃って登校するのだった。
しかしそんなことをされては黙っていられない人間も存在するわけで…