紅白の獣
□病魔
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またいつもの日常が始まる。少し色を変えて…
めぐってきた朝に挨拶して、いつものように階段を下りかけたところで高音が聞こえた。
「あれ、お湯沸いてるよ…母さん?」
急いで下りた階段の下にあった光景は、まだ少し眠かった蔵馬を完全に覚醒させるのに十分だった。
「!母さん!どうした?!」
台所でいつものように蔵馬を出迎える優しげな笑顔がない。代わりに、コンロの上でやかんの笛がけたたましく吠え、支えのないからだがフローリングの床に横たわっていた。
駆け寄ってしゃがみ込み脈をとれば、弱弱しくではあるがまだ打っている。少しほっとした蔵馬だったが、火を消して手元にあった通学カバンの中から銀色の携帯電話を取り出し、手早く119番した。
「…救急です。家の中で、40代女性が倒れています。脈は微かですが、息はあります。場所は…」
熱があるか確かめたり、楽な姿勢を取らせたりという処置をしたのち、薬草を使いできるかぎりの介抱をしていた。しばらくすると、救急車が到着し、救急隊について車に乗り込んだ。
(母さん…!)
病院について、担架のまま集中治療室に消えた母親を頭に置きつつ学校に電話をかける。
「1年A組南野秀一です…所用で本日は学校をお休みさせて頂きます…はい、大丈夫です…よろしくお願いします、では」
電話を切り、ふうと一息ついて手元の携帯電話を見た。
一応通学かばんのみはひっつかんできたのでそこまでは蔵馬としての冷静さがあったようだが、その後の記憶は全くない。相当焦っていたらしい。 まあ今日は一日母さんについていよう…。
どれだけたったのか、治療室の奥から聞こえて来た靴音に反応して立ち上がった。
「どうですか」
台詞と同時に現れた医者は多少面食らっていたが、蔵馬の瞳をまっすぐ見詰めた。
「はっきり言って危ない所でした…発見が早かったので一命は取り留めましたが、このまま入院していただくことになるかと」
「はい…ありがとうございました」
次の日、病院によってから登校すると、白鷺が男陣に囲まれていた。
「駿河さん、おはよう」
「ああ…おはよ」
「ねえ君、どこから来たの?」
「東京だよ」
「へえ、結構遠くからなんだ」
「うん」
「何かわからないことあったら聞いてね」
「そうだねー」
質問攻めというかなんというか、本を読んでいる彼女に言葉の雨が降り注いでいた。終始作り笑いで、目も合わせず淡々と答えている。蔵馬からみればかなーり無愛想だ。おとといの気丈さはどこへやら…。それでも少年たちは偽りの笑みに騙されている。
「駿河…おはよう」
「南野君か…おはよう」
初めて顔をあげた。こっちを向く。学ランの乱立から彼女の顔が垣間見えた。
「…駿河さんって南野と知り合いなの?」
「席が隣だからね…名前くらいは」
(前世の名前まで知ってるなんて誰も思わないよね)
蔵馬は小さく笑った。メモを一枚破り、シャープペンを取り出す。紙の上を芯に走らせると、2つ折りにし人間には見えない程度のスピードで白鷺の机の中へ放りこんだ。
(何?)
いまだいろいろとしゃべりかけてくる男子に適当に受け答えしながら、白鷺は本に隠してメモを開く。
そこにはきれいな字で『放課後 屋上』と書いてあった。
(なるほどね)
すでに席についている彼の周りには女子の人だかりが…。2人の席のあたりだけ密度が濃い。
始業のベルが鳴り始め、優等生の集った冥王の生徒たちは各々の席に着いた。そこで白鷺はポケットから小石を取り出し、隣の机に放り投げた。
蔵馬がそれを片手で受け取ると、
(トルマリン?…ああ、そういうこと)
口角をあげた。
「なあ南野…それ何だ?駿河さんからだろ?」
いきなり後ろの席の男子に肩をたたかれる。驚きもせず、蔵馬は答えた。
「素直じゃない彼女の答えだ」
「本当にお前は変わらないな」
「そうかなあ」
「トルマリンの石言葉、『以心伝心』。わかってるってことだろ?後ろの男子がお前に注意を向けていたからわざとややこしいやりかたでやったんだよな」
「そうだよー」
「外国語はあまり知らないのか」
「ここに入るためだけに勉強したようなものだから、試験の範囲外はさっぱりだな」
「普通はそうだけどね」
苦笑しつつの会話。屋上で心地よい風に吹かれながら、2人の口は止まらない。
「そういえばお前、東京から来たって言ってたけど。あれも嘘か」
「当たり前だよー。あんなのほんとに適当なんだから」
「だろうな」
「…ところで蔵ちゃん、あなた昨日どこに行ってたの」
いきなり核心を突く問いに蔵馬は少々あきれたが、素直に答える気はなかった。心配はかけたくなかった。
「ちょっと用があってね…遅刻するにもタイミングなくなって。社長出勤もなんだしさ」
冗談交じりに笑えば、彼女は少しいぶかしんだがすぐ元の表情に戻った。
「へえ…しかしここの男の子たちは相当だね…あのくらいでここまで寄ってくるとは思わなかったよ」
「勉強ばっかで遊んでないからうぶなんだろ」
「蔵ちゃんこそどうなのよ?魔界と違って、こっちはいろいろ縛りが多いでしょ」
「…」
「…」
高校生らしさは微塵もないが、蔵馬にとって秀一の裏の顔をさらけだせるこんな時間は貴重だった。いつのまにやら、そんなことが習慣となっていた。
いつものように屋上でひとときを過ごしていると、白鷺は突然話していた話題をぶち切った。なにかに気づいたらしい。
「…蔵ちゃん、志保利さんのところ行ってあげたら?もういつもの時間でしょ?」
「やっぱり知ってたんだな」
「彼女にこの前また病院でお会いしてね。その時いつも来てくれるのよって喜んでいらしたから」
「そうか…」
思いだせば、2日ほど前に志保利の機嫌がとてもいい日があった。部活で帰りが少し遅くなってしまったのだが、彼女と会ったのはその日か。さすがに2回目なら驚くこともない。
「…蔵ちゃん?どうしたの?」
「…え?」
「何よ…らしくないなー。疲れてる?」
蔵馬の顔色を見つつ、そっけなくをよそおって聞く白鷺。おそらく蔵馬が何について疲れているのかはすでに見当くらいついているだろう。
「…蔵ちゃん、あなたが良ければ志保利さんをお見舞いしたいんだけど…」
「ああ。母さんも喜ぶよ」
「ここだ…入って」
「うん」
ところ変わり志保利の病室前。学校を出て、そう時間もかけずやってきたここ。二人とも奇抜な制服だからかなり目立つが…
蔵馬がカラリと戸を開ける。中に入った白鷺の後ろから声がかかった。
「遅くなってごめん…ちょっと友達と話しててね」
「そうなのね…ってその子…」
志保利が白鷺に視線をやって言った。
「はい。お久しぶりです、志保利さん」
「都ちゃんね!こんなに早くまた会えるなんて、おばさん嬉しいわ」
「私も嬉しいです」
「オレから紹介する必要はなさそうだね」
しばらく3人で会話を楽しんで、あっというまに空が熟れてきた。
「あら、もうこんな時間」
置き時計に首をかしげる志保利の隙から、蔵馬は白鷺に目配せをした。
「そろそろ帰ろうか」
「そうだね…」
そこで突然ノックの音が響き、志保利の病室に看護士が入ってきた。蔵馬が振り向く。
「秀一さん、ちょっといいですか?」
「あ、はい…、駿河、少し待ってて」
「了解」
白鷺が素直に頷いて、蔵馬は看護士について行った。
姿が見えなくなると、志保利がぽつりと漏らした。
「…秀一のこと、お願いね」
「え?」
優しいほほ笑み。白鷺は言わんとすることを理解してしまった。
「あの子がここにお友達連れてきたの、あなたが初めて…都ちゃんなら、秀一のいいパートナーになってくれそうだわ…」
「…何を言っていらっしゃるのですか?」
しらを切っても無駄のようだ。
「畑中さんところと秀一が合ってるかはわからないけど、そんなときは都ちゃんが助けてあげてね」
「志保利さん。秀一君にとって一番大切なのはお母さんですよ。ずっとそばにいてあげてください」
「そうね…まあ自分の体のことは自分が一番わかるものよ」
何か返そうと白鷺が息を吸った瞬間、蔵馬が戻ってきた気配に声が出せなくなる。
「今の話、秀一には内緒ね」
「…そうですね」
白鷺は伏し目がちに答えた。
「遅くなってごめん、じゃあ、行こう…」
しかし蔵馬の声は淡々としている。それにもとのペースを見出した白鷺は
「では、失礼します」
と蔵馬の開けていてくれた戸を後ろ手に閉めた。