小説

□甘い毒と絶望
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菅原孝支とその前世




菅原孝支は最初から気づいていたし、わかっていた。
影山飛雄の、圧倒的なバレーに対する執着心、向上心、貪欲な、性格を。
コート上の王様と揶揄され、それに見合うほどの才能を。

全部全部、気づいていた。知っていた。理解していた。

それでも、自分は、怖かった。


自分が積み上げた「信頼関係」を軽く越えるほどの実力。
それは今まで向けられていたはずの言葉が全て影山に向いているのだ。


最初は、羨むだけだった。
でも、だんだん自分のなかで得体の知れないナニカがぐるぐると渦巻くようになった。
そのナニカは次第に心の奥底に眠っていたものを刺激してしまった。
それはきっと【絶望】。
かつて、世界を恐怖に陥れた、最悪の存在。
自分の中で、絶望を待ちわびて眠っていた彼女を目覚めさせてしまったのだ。


それは、日に日に大きくなっていった。
【絶望】は毎日甘い毒を吐く。

それと平行して、皆は自分を見向きもしなくなっていったように思えた。


―――――なあ、大地。俺さ、

―――――悪い、今忙しいんだ。

彼の瞳は、『邪魔だ』と言っているように見えた。
その瞳をまた【絶望】は渇望していた。




邪魔なのなら、もう、俺なんて、いなくなってもいいってことなんだろ?
【絶望に身を任せてしまえばすべては思い通りになる。】
それなら、俺は最初で最後の、最悪で最高な消えかたを、裏切り方をしてやるよ。
【最高に絶望的な再会を待ちわびる。】

その日、自分が真っ黒な何かに溺れる夢を見た。


―――――――――――――――――

ヒラヒラと舞い上がる桜を見ながら、授業を受けていた。

部活なんて、とうの昔に行くのをやめた。そのことに皆は何も言ってこなかった。

「そんなもんだったのか、俺は。」
【絶望的に最高な日。】

小さく自傷の言葉を呟きながら、ふらふらと屋上へと上がる。

本来なら、開く筈の無い扉は、サボるために誰かが鍵を開けていたのか、すんなりと開いた。


一瞬、強い風が吹き抜ける。
その風は俺を歓迎しているかのような気がした。


フェンスの所まで、ゆっくりと近づく。
そこから見える景色は、忘れていた、彼らとの会話を思い出させた。


刹那の思考に、まだしがみついているのか、と呆れのため息しか出なかった。

「もう、いいんだ。すべて。」
【そう、全ては絶望の為に。】

上履きを脱ぎ、その下に手紙を挟んでおく。

そして、フェンスを越える。

また強い風が俺の背中を押す。
今なら、まだ戻れるのだろうか、なんて考えた瞬間、複数の足音と、声が聞こえた。


久しぶりに聞く、彼らの声。

「戻ってこい」だとか、「やめてくれ」とか、「危ない」だとか。

そんな言葉が聞こえてきた。
なんだよ、今さら、何のようだよ。

絶望に染まった自分の視界に捉えた彼らは真っ白に輝いていた。
ドロドロとした黒い感情は、素直に彼らの言葉を受け止めることをさせてくれなかった。

―――嗚呼、眩しい。

思わず顔を顰めてしまう。
そして、代わりに出た言葉は、



『俺は、もう飽きたんだ。』


ただ、それだけだった。

あとは、彼らの悲痛な叫びを聞いただけ。

そこで俺の意識は途切れているのだから。

最後に見たのは、薄桃の髪の少女がにっこりと笑いながら、俺の手を握る所だった。
ただ、それが現実の事なのかは、わからない。


【絶望に身を任せてしまえばすべては楽になるのよ?】
―――――――――――――――――

「俺は、もう飽きたんだ。」

そう言ってひらりと屋上から消えた、菅原。

彼は見たこともないほどに絶望に染まった目をしていた。

その目は、俺の知らない、菅原孝支だった。


何故、どうしてこうなった。

泣き叫ぶ後輩の声。


うるさく響く、耳鳴り。


強く吹き抜ける風。


思い出す、彼の悲痛な叫び。

最後の、顰めた顔。

そして、落下する前の微笑み。



その表情は自分の中の何かを刺激した。

ドクリ、と大きく心臓が跳ねる。

それが全てが大きく回り始めた瞬間だった。

―――――――――――――――――

スガは奇跡的に一命を取り留めたものの、意識不明のまま、目覚める気配が無いらしい。

そう風の噂で流れてきた。

何でも面接謝絶らしい。

会いに行こうとした日向たちが錯乱状態の菅原の母親に追い返されたらしい。

菅原に関する全ての情報が『らしい』と不確かな要素でしかないのが、歯がゆくて仕方ない。

グッと両手に力が入るものの、そんなのに気をかけることなどできなかった。


あの上履きのしたに遺書に近い手紙が添えられていた。

あの手紙は、今影山が持っている。

内容を見たとき、ぞわりと背筋が粟立った。

菅原の見たことの無いほどの闇と嫉妬、苦悩、恨み、弱音、そして別れの言葉。

それとは別に、誰に宛てたのかわからない手紙。

ただ一言だけの手紙。

『見つけた。』

ただそれだけ。

これが何を指すのかわからない。
これから何が起こるのかも、菅原がどうなるのかも。

―――――――――――――――――
菅原はいつの日かに目覚めたらしい。それと同時に菅原家は何処かへ越していってしまった。

どこへ行ったのか知らないかと近所の人に聞いても、忌々しそうに俺たちの顔を見るだけで、何も教えてくれなかった。

「もう来ないで。」

ピシャリと閉めきられた玄関。

そう言えば、彼の近所は人付き合いの良い人ばかりで、優しい人ばかりの集まりだと気がついた。

ほんわかとした人柄をつくりあげたのはこの環境だったのだ。

でも、そこにはもういない。
優しくて、思いやり、気配りが上手く出来る、朗らかな彼は、もういない。

自分達の行動によって、彼の人生を潰してしまったのだ。

悔やむだけでは、何も変わらないとわかっているのに、そこで立ち止まってしまう。

「スガ、ごめん。」

口に出せた言葉は、今更だしてももう遅い言葉だった。

―――――――――――――――――
ひらひらと白いカーテンが揺れる。
微かに鼻に擽る薬品の匂い。
ズキリと頭が痛むが、特に違和感はなかった。


目が覚めた菅原はふと思った。

――死ねなかった、と。

口に出してしまえば、きっと母親に怒られてしまうだろう。

近くでウトウトと微睡む少し窶れた母は、何処か小さく感じた。
それでも、自分には罪悪感などなかった。

それでも、自分を心配してくれている、と言うことが、自分の心を暖かくしてくれたような気がした。


―――しかし、それも一瞬で消え去った。

声が、聞こえたのだ。
絶望に飢えた、彼女の声が。
ここにいないのに。
もう、存在していないのに。

「怖い。」

母はその一言を聞いてはいなかった。


バタバタとあわただしく駆け回る人たち。

その人たちの顔は真っ青だった。

何故なら、俺という存在がその場から消えてしまったから。

無理矢理身体からのびるコードを取りはずし、屋上へとたどり着いた。

「…俺は、これからどうしていけばいい。俺は、」

ぽつりと呟くと、ズキズキと頭が痛む。ぐらりと一瞬意識が遠退き、ここが何処なのかわからなくなった。それがどれだけ続いたのかわからない。

「そうか、こうすれば、」

ふふ、と口から溢れた笑いは、何を示していたのだろうか。

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