* 本文(現代転生) *
□distance
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「政宗くーん!ビニールテープ持ってきて!」
「はいっ!あ、マスター針金も要るよね。どこだっけ?」
「更衣室の用具入れに入ってたかな。ちょっと探してみてよ」
「了解っす」
代々木と南新宿の間にある、ショットバー『remembrance』
少々古い雑居ビル二階にあるこの店では、マスターこと猿飛佐助による配管修理が行われていた。
「ビニールテープの上から針金巻いてと……これでいけるかな」
「大丈夫そう?」
「取り敢えずはね。政宗君、悪いけど修理屋さんに電話しといてよ」
厨房の流し台から顔を出した佐助は、ビニールテープと針金をシンクに投げ、びしょ濡れの軍手を外す。
政宗は近くにあった子機を取ると、冷蔵庫に貼ってある修理センターのマグネットを見ながら、慣れた様子で電話を掛けた。
「えぇ、代々木一丁目の……あ、どうも」
修理センターの受付は、店の名前を出すだけで「いつもお世話になってます」と、親しげに応えてくれる。
トイレの漏水に始まり、手洗い場、そして今日の流し台のパイプと、修理の依頼はここ一ヶ月で計三回。
それだけまめに修理を依頼していれば、名前を覚えられるのも仕方ない。
「そろそろ限界かなぁ……」
汗まみれの顔をタオルで拭い、佐助は改めて店内を見回す。
年代物のカウンターに、ヤニで燻された壁。塩ビの床はデザインも古臭いし、酒棚は去年1ヶ所腐って落ちた。
オールド感、年代物。 よく言えばそんな表現も出来るが、現実的な部分では不都合も多々ある。
思い起こせば5年前。居抜き物件だったこの店を借り上げた時、まだバーテンとしてもひよっこだった佐助に潤沢な資金などある訳がなく、最低限の修繕のみを施し、『remembrance』をオープンさせた。
前の店主が二十年以上経営していたと言う店舗は、その時点で充分老朽化していたのだから、あれこれガタが来るのも当然だろう。
いちいち修理にかかる金額もバカにならないし、店名義の預金はーーー
佐助は頭の中で算盤を弾きながら、決断の時を迎えようとしていた。
「よーしっ!思い切って、お店のリフォームしちゃおう!」
「マジで?」
「マジで。そんなに大掛かりな工事は出来ないけど、知り合いが居るから相談してみる。大将にも工事して良いか聞かなきゃな」
「大将って、あのハゲた厳ついオッサンだっけ?何回か店に来たことあるよね」
「ハゲって言わないの!確かに顔怖いし声もでかいけど、あの人はあぁ見えて優しいんだから」
佐助の言う"大将"とは、このビルのオーナーの武田信玄の事である。
彼は代々木周辺で不動産関係の会社を営んでおり、この辺のビルも武田の名を冠した物が多い。簡単に言うと、所謂地主様である。
「店だけじゃなくアパートの大家さんでもあるし、俺様あの人に頭が上がんないのよ」
「そうなんだ。でも優しいって言う割りに、何で浮かない顔してんの?」
「いや……大将は良い人なんだけどさ、ちょっと子狸がね……」
「こだぬき?なんだそれ」
「まあ、俺様にも色々あるんだよ……」
佐助は少し困ったような顔で笑うと、それきり言葉を濁した。
政宗は訳が分からないと首を傾げていたが、間も無くやって来た客の対応に追われ、話しは自然と流れていった。
数日後、佐助は手土産片手に大きな門の前に立っていた。リフォームの許可を貰うため、大将こと武田氏の自宅に挨拶に来ていたのだ。
本当なら電話一本で済むような話だが、武田氏は佐助を気に入っているらしく、事ある毎に顔を出せと言われる。
小さな店とは言え、都内一等地とは思えない賃料で間借りをしている恩もあるし、他にも色々良くして貰っているから、顔を出すくらいは構わない。構わないのだが、一つ問題があるとすれば………。
「ごめんくだ……」
「さぁ〜すけぇ〜っ!!」
インターフォンを押すと同時に重厚な門が開き、正面から重くて大きいものが飛び付いてくる。
これがムチムチの女の子なら喜んで受け止め、ついでにぎゅうっと抱き締めもするが、サンダル履きに上下ジャージの男子高生では、むしろテンション激下がりである。
「良く来たな!待ってたぞ!」
「ちょっ、旦那。重いよ」
「久し振りなんだ。少しは喜べ」
旦那と呼ばれたジャージ男子は、佐助にしがみついたまま屈託のない笑顔を浮かべる。
「久し振りってさ……」
連れていけと五月蝿いから、先週店が休みの日に、野球を観に連れて行っただろう。
しかし、このジャージ男子ーーー武田氏の孫で真田幸村と言うのだが、彼は基本的に余り人の話を聞かない。
言うだけ無駄かと諦めて、佐助は言葉を飲み込んだ。
「武田の大将はご在宅?」
「中に居るぞ。おっ!その袋はもしや、日暮里の羽二重団子か?」
「そうだよ。旦那の好きな餡団子と焼き団子の詰め合わせ」
「やった!では早速カヨさんに茶を入れて貰おう」
大好物の袋を見つけ、幸村の目がキラキラと輝く。早く行けと佐助の首に腕を回す素振りから、降りるつもりはないらしい。
やれやれ。
佐助は半開きの目を更に怠そうに細め、上半身に大きなオマケを付けたまま、母屋の方へと歩いて行った。
「こんにちはー。大将〜」
「おぉ佐助、待ってたぞ。……こら幸村っ!お前はまた子供のような真似をしおって」
「あ……お爺様」
武田氏は、一見武家屋敷を思わせる立派な和風建築の玄関で佐助を待っていたが、二人の姿を見た途端、きっと目尻を吊り上げた。いくら既知の仲とは言え、客人にべったりと張り付く孫に、腹を立てたようだ。
「お爺様ではないだろう。全く高校二年にもなって落ち着きのない奴だ。早く降りろっ、馬鹿者が!」
「痛ぁっ!」
何度言っても落ち着きがない。行儀も悪い。
今時の小学生だってそんな真似はしないと、幸村は盛大な拳骨を頂戴した。
遠慮なく大きな拳を降り下ろす様は、いつ見てもなかなかかの迫力である。
普段はたった一人の孫を可愛がる武田氏であるが、叱る時はこのように大変手厳しいのだ。
「迷惑掛けて済まなかったな」
「いえ、慣れてますから」
「話しは奥で聞こう。まぁ、ゆっくりしていけ」
「はい。お邪魔します」
佐助が靴を揃えていると、涙目で頭を擦る幸村と目が合う。
構って、慰めてと、訴え続ける丸い目は、まるで甘ったれの犬のようーーーいいや、やっぱり子狸に似てる。
「旦那も行こうよ」
「………………」
「ったく、ほら………」
もう、本当に手が焼ける。
武田氏が前を向いた隙を見て、仕方なくポンポンと軽く頭を撫でてやると、幸村は子供みたいな笑顔を蘇えらせた。
一般的に高校二年の男子と言えば、背伸びをしたくて妙に悪ぶってみたり、女の子に興味を持ってチャラついてみたり、色々な変化を求めたがる年頃なのだが、幸村は出会った頃から何も変わらない。
真っ直ぐで、表情が豊かで、人懐こくて。
「それが良くも悪くもあるんだけどね……」
「何か言ったか?」
「いーえ。さ、大将がお待ちだ。早く行こう」
応接間の方から、二人を呼ぶ声がする。
座り込んだ幸村に手を差し伸べると、躊躇うことなく手を握り、にこにこしながら元気に立ち上がる。
やっぱり子狸だ。
佐助はつられるように目元を緩め、ひんやりとした檜の廊下を辿る幸村に続いた。
「で、えーと。これが工事見積りと図面です。工期予定は半月程で、内容はこちらをご確認下さい」
「上下階の店舗に了解は取れたか?」
「一階の雀荘と三階のスナックに挨拶は済ませました。ただ施工会社の話だと、もしかしたら一部水道管の取り替えも必要になるかもしれないと言われまして……」
「あのビルも古いからな。水道管についてはビルメンテナンスとしてうちで持つ。その分の請求書は別途回してくれ」
「いつもすいません。助かります」
大理石のテーブルにリフォーム関係の書類を広げ、佐助は工事内容の説明を始める。
一国一城の主とは言え、間借りをしている身分はそれなりに大変なのだ。ましてや、相手は武田氏。
その強面からは想像も出来ないほど情に厚く良い人なのだが、どうしてか彼の前に立つと、かしづいて指示を仰がなくてはいけないような気持ちに駆られてしまう。
それに比べ、この子は呑気なもんだ。
武田氏の隣で、団子を頬張る幸村を見て、佐助は些か呆気に取られる。
家政婦のカヨさんが出してくれた水羊羹をペロリと平らげたと思ったら、いつの間に団子を食べ始まったんだ。
ああ、あんなに一篇に詰め込んで。
「佐助!やはり羽二重の団子は美味いな!」
「そりゃあ良かったね」
「こら幸村!勝手に土産を食う奴があるか!行儀の悪い」
「しかしお爺様。羽二重の団子は柔らかい内に頂かなくては」
「屁理屈を捏ねるな、馬鹿者!」
キッとした顔で団子を語るのも束の間、幸村はまた拳骨を食らった。
以前武田氏が幸村の成績が余り良くない事を嘆いていたが、原因はもしかしてコレなのではないだろうか。
また涙目でこちらを見る幸村を傍観しながら、佐助は良く冷えた煎茶に口を付ける。
「佐助ぇ〜」
「甘えた声出してもムリ。旦那はちっとも懲りないんだから。そう言えば、初めて会った時も旦那は大将に拳骨されて泣いてたよね」
「え?」
「覚えてない?あの辺りでさ……」
佐助はクスクス笑って、庭の隅にある大きな松の木を指差す。
「お、俺は泣いてなど居ないぞ」
「嘘。超泣いてたじゃん。俺様しっかり覚えてるよ」
そう、忘れもしない。あれも五年前。季節は春の終わりの頃だったろうか。
店舗契約の件で初めてこの家を訪れた23才の佐助が、都心とは思えない豪奢な屋敷に緊張しつつ門を潜った時、庭の方から怒鳴り声と鳴き声が一斉に聞こえてきた。
余りの声量にビックリして庭に回ると、当時12才の幸村が武田氏の盆栽をわざと蹴飛ばしたとかで、散々に叱られていたのだ。
足元には砕け散った鉢と、ぽっきり折れた高そうな黒松。
状況から見て、彼の涙の原因は明白だった。
けれど、叱られたからだけじゃない。心の底から絞り出すような鳴き声と大粒の涙が気になって、佐助は思わず幸村の元に駆け寄り、よいしょと抱き上げてしまったのだ。
『ねぇ、ねぇっ、そんな顔で泣かないでよ』
『………誰だお前』
『俺様?猿飛佐助だよ』
『さ……すけ……』
『そ。今度武田さんのビルでお店始めるんだ。よろしくね』
優しく話し掛けると、幸村は意外なほど素直に頷いて、ゴシゴシと目を擦った。
濡れた頬っぺたからは、チョコレートの甘い匂いがした。
「大将は怒鳴り散らしてるし、旦那はわんわん泣いてるし。ホントに驚いたよ」
「あの頃は幸村の両親が海外に行ったばかりで、流石のコイツも荒れていてな。毎日悪さばかりしておった」
「あの後も暫くの間、アフリカに居るママに会いにいくー!って、パンツ一枚持って家出してましたよね」
「ちょっと、お爺様。佐助も……」
「親と離れた寂しさからか、しばらく寝小便も酷かったんだぞ。カヨさんにも毎日布団を干して貰って迷惑を掛けた」
「そーなんすか?それは初耳だ」
「っもう!二人とも止めてくれっ!」
何となく始まった昔話に居たたまれなくなったのか、幸村がバンっとテーブルを叩く。
「お爺様、そんな寝小便とか……止めてください。佐助も佐助だ。いつまでも俺をガキ扱いして」
「だってガキじゃん」
「ガキじゃないっ!身長だってもう佐助と変わらんぞ」
「はいはい分かりました」
膨れっ面の幸村を適当にかわしていると、振り子式の柱時計が四度鳴り響いた。
佐助はそれを機に手早く図面を片付け、プラスチックの書類ケースにしまい込む。
「それじゃ、店があるんでそろそろ失礼ますね。大将も良かったら改装前に飲みに来てくださいよ。レミーマルタンの良い古酒をお出ししますから」
「そうだな是非伺おう。なんと言ったか、料理の上手な……」
「政宗君ですね」
「あぁ、彼の作った甘辛い牛スジの煮込みが食べたいな。ブランデーにとても合うんだ」
「お電話頂ければご用意しておきます。本日はお時間割いて頂いてありがとうございました」
帰り支度を整えた佐助は、礼儀正しく頭を下げると、そそくさと応接間を出た。
しかし、背後に感じる気配に振り返ると、口の周りに餡子を付けた幸村が不貞腐れたままついてくる。
「何か用?今日は俺様店あるから遊んであげらんないよ」
「………寝小便の事は忘れろ。分かったか?」
「プッ……まだ気にしてたの?アハハハ」
「笑うな!俺は真剣なんだぞ」
そういう所が一番ガキなんだと、どうして分からないんだろう。本人に言ってやりたいが、可笑しすぎて言葉にならない。
「もー!旦那って超面白いっ、ヒー!」
「佐助っ!」
「っ……大丈夫、大丈夫。余所で言ったりしないから」
佐助は一通り笑うと、宥めるように優しく幸村の頭を撫でた。
赤茶色の硬い髪は量が多くて密度が濃いせいか、触るとフカフカして気持ちが良い。
「本当か?」
「俺様旦那に嘘吐いたことある?」
「ない。………から、信じる」
「フフ、俺様旦那のそーゆーとこ大好き」
幸村の反応が可愛くて堪らず、佐助の手はぐしゃぐしゃと髪を撫で回す。
「恥ずかしい事言うな……馬鹿」
上目遣いで唇を尖らせながら、幸村はほんの少しだけ頬を赤く染めた。
「それじゃ、またね」
「あぁ」
結局玄関までついてきた幸村に別れを告げ、佐助は武田家の玄関を出た。
玉砂利に埋もれた飛び石を軽々渡りながら、綺麗に剪定された庭の中でも一際立派な松の木が目に入ると、ふとさっきの昔話を思い出す。
「何であの時、声掛けちゃったのかな」
子供なんて余り好きじゃなかったのに、彼の涙を見た瞬間、理屈も理由もなく手を差し伸べていた。
どうにかして泣き止んで欲しい。
出来ることなら、笑顔をーーー
今振り返っても当時の自分の行動は意味不明だが、その後も面倒臭がりながら幸村を構い続けている現状を考えると、我ながら苦笑いが洩れる。
今度また野球のチケットが手に入ったら、ドームに連れていってやるか。
佐助は橙色の西陽に横顔を照らされながら、口許に薄っすらとした笑みを浮かべ、門を閉じた。