*本 文 *

□ひとり、ひとり、ひとつ
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弥生の吉日。
ゆるりと沈み行く夕陽に横顔を照らされながら、俺は目一杯自分を奮い立たせる。
とうとうこの日が来た……。
朱塗りの三つ組杯に酒が注がれるのを眺め、今にも震えそうな指先に力を込める。何となく顔を上げるのが気恥しくて、杯に満たされた酒を慌ただしい動きで三度飲み下すと、鶴の蒔絵を施された銚子は、小十郎の元へと向かった。
小十郎が三度杯に口をつけ、それから再び俺がまた三度飲み、こうして俺達────俺と小十郎は、晴れて夫婦となった。



「筆頭!小十郎様!おめでとうございやすっ!」

三三九度が終わると同時に、列席していた家臣たちが一斉に騒ぎ始めた。座敷に入りきれなかった奴等も、庭先からわぁっと歓声を上げる。
思った以上の祝福には驚いたものの、当然ながら嬉しかった。しかし小十郎はそうでもないのか、眉を吊り上げると、あからさまに機嫌の悪そうな怖い顔をした。

「アイツらすぐ調子に乗りやがって。おいっ!テメェら……」
「wait 小十郎。今日くらい好きにさせてやれ」
「しかし」
「あいつらなりに祝ってくれてんだろ。有り難てぇじゃねーか」
「それは………そうですが」

祝言の日くらい青筋立てるな。
上目遣いに訴え掛けると、小十郎は言葉を濁し、ふいと目を逸らした。素っ気ない態度に、俺はまたかと口を尖らせる。

一体何が気に入らないのか知らないが、小十郎は今朝から始終こんな調子だ。話し掛けても反応が鈍いし、目を合わそうとしてもわざとらしくそれを交わそうとする。
やっぱり俺がこんな格好しているからだろうか。
ほぼノリで着てしまった白無垢の袖をひらりと広げ、自分の姿に遅蒔きながら後悔を募らせる。
元々着る気はなかったが、周囲(主に喜多)からの強い勧めもあり、仮装気分で着てしまった花嫁衣装。
着付けて貰った時はそこそこ似合っているような気がしたが、直垂と引き立て烏帽子を身に着けた凛々しい小十郎と比べると、女の衣装を着た俺の姿はやはり奇異なものなのかもしれない。
だが、まさかこんなにドン引きされてしまうほど酷いものだとは知らなかった。

やっぱり止めときゃ良かったな。
小十郎の横顔をチラチラ気にしながらため息をついていると、酔って赤い顔をしたシゲが、徳利片手にこちらへとやって来た。

「梵、こじゅ兄、今日はおめでと〜!ままっ、飲んでくださいよ!」
「おぉ、Thanksな 」
「いや〜こんな日が来るなんてね。梵が白無垢かぁ。感慨深いなぁ。でも今日の梵すっごい綺麗だよ!男の白無垢なんてどうかと思ったけど、意外にイケてる」
「Ha!そんな世辞言ったって、これ以上は何も出ねぇぞ」
「そんなんじゃないってば!」
「別に気ぃ使わなくて良いぜ。おれだって半分洒落でやってんだし」
「気なんか使ってないよ!ね、こじゅ兄もそう思うだろ?」
「えぇ……。とても良くお似合いです」

シゲがへらへら笑いながら同意を求めると、小十郎は少しも表情を緩めないまま、気のない返事を返した。感情の欠如した抑揚のない声。やっぱり俺の事を少しも見ようともしない。
シゲみたく派手に褒めろとは言わないが、いい年こいた大人だろう。最低限調子くらい合わせろよ。
祝いの席だからと堪えていたが、流石に腹が立ってきた。
俺が眉間に皺を寄せ、むすっとしながら小十郎を睨み付けていると、シゲも良い加減何かを察したらしく、視線で「何かあったの?」と訪ねてくる。
しかし、夫婦になって早々雲行きが怪しいとは言えず、俺は何でもないと小さく首を横に振ると、クサクサした気持ちを飲み込むように手酌で酒を煽った。


やがて夜。
外野ばかり盛り上がる微妙な宴は終わり、俺達は閨に入る準備を整えるため、一度別室へと別れた。今夜は夫婦になって初めての夜、世に言うところの「初夜」を迎えるのである。
婚儀の一件で意気消沈気味だった俺の心臓も、この言葉の持つ特有の隠微さに、再度激しい鼓動を刻み始めた。
不機嫌の原因であろう白無垢を脱ぎ捨て閨に入れば、その場の雰囲気と流れでいつものように甘い時間を取り戻せるだろう。
澄ました顔をしていても、夜は激しい小十郎のことだ。今夜は寝かさない的な極殺モードで決めてくれるのではないか。
めくるめく妄想にポテンシャルを上げた俺は、侍女に先導されるまま風呂に行き、良い香りのする糠袋で念入りに体を磨いた。
小十郎からすればとっくに見飽きているものかもしれないが、俺にとって今宵は特別な夜。無意識のうちに自然と力が入ってしまう。

湯を上がって真新しい夜着を身に付けると、再び侍女の先導で最近新しく建てた離れへと向かった。
この離れは元々来客用に設えたものだったが、俺達の祝言が決まったことにより、二人で気兼ねなく過ごせる部屋として急ぎ改装させたのだ。

「ここまでで構わねぇ。あとは自分でやる」

部屋の入り口でそう言うと、侍女は軽く会釈をして離れを出ていった。
通常、ある一定の身分にある者の閨には誰かが側に侍るのが習わしだが、俺はそんなものに従う気はない。
人払いは完璧。朝が来るまで、俺達は世界で二人きりになるのだ。

喉を動かし、口内に溜まった唾液を飲み込む。喧しく騒ぎ立てる心音が響かぬよう胸を押さえながら襖を開けると、薄明かりの中に小十郎の背中が見えた。

「遅くなって悪かった。待たせちまったか?」
「俺もつい先程来たところです」
「そうか。今日はご苦労だったな」
「政宗様こそ、本日はお疲れさまにございました」

振り返った小十郎は膝を詰め、いつもそうしているように恭しく平伏する。
だが、どことなく空気が張り詰めた感じがするのは何故だろう。閨に似つかわしくない違和感を奇妙に感じつつ、俺は室内へと足を進め、頭を下げ続ける小十郎の前で腰を落とした。

「頭なんか下げんな。他人行儀じゃねぇか」
「そう言われましても、小十郎が家臣であることに変わりはありませぬゆえ」
「だが同時に夫婦でもある。違うか?」
「いえ……」
「だったらさっさと顔上げろって」
「……………」
「小十郎!」

強めに名前を呼ぶと、小十郎はやっと平伏するのを止めた。
しかしようやく顔を上げてくれたものの、その瞳は床を見詰めたまま、俺を捉えることはない。
祝言の時と同じ、固く強張った表情。今すぐここを逃げ出したいとでも思っているのだろうか。それとも、俺なんかと夫婦になったことを後悔しているのだろうか。
漠然と膨らむ不安。不穏な空気に堪えきれず、俺の感情は遂に破裂してしまった。

「shit!」

悔しさ紛れに枕を掴んで壁に叩き付けると、小十郎はハッとしたように俺を見た。
しかし、もう手遅れだ。

「ま、政宗様っ」
「もう良い!出ていけ!散々俺を無視しやがって。お前は俺と一緒に居たかねぇんだろ。夫婦になんざなりたかねぇんだろ」
「いえっ、そんな事は……」
「shutup!今さら取り繕ったって遅せぇんだよ」

怒りとも悲しみともつかない感情が、喉をぎゅっと締め付ける。
息苦しさの最中どうにか紡いだ声は、情けないくらいに震えていた。

こんなに取り乱してみっともない。
頭では分かっているのだが、俺はもう自分を保っていられなかった。小十郎に拒まれたと言う事実は、それくらい深く俺の心を抉っていたのだ。
そもそも祝言挙げたいと喚いていたのは俺ならば、立場が違いすぎると固辞する小十郎を無理矢理口説き落としたのも俺。
結局は、最初からただの一人相撲だったのかもしれない。
大きな絶望が、苦しい気持ちをより苦しくさせる。

「乗り気じゃねぇお前を付き合わせちまって悪かったな」
「政宗様!ですからっ」
「良いから出て行けって言ってんだろ!」

小十郎は何かを言おうとしていたが、俺は聞く耳を持たなかった。
これ以上小十郎の言葉を聞いたら、二人の積み上げた時間まで、カラガラと崩れて行ってしまう気がしたのだ。

嬉しかったのに。この日を本当に、心の底から待ち望んでいたのに。
一人はしゃいで祝言の手配をしたり、着なれぬ衣装を着てみたり。俺がどんな想いで今日を迎えたか少しも理解して貰えないなら、この婚儀はただの茶番に過ぎない。
普段なら大抵の事はcoolに受け止めようとする俺だが、この時ばかりは無理だった。
俺にとって小十郎は、右目であり心の要。それを失うと言う事は、背骨を根こそぎ奪われるようなものなのだ。

俺はもうどうしたら良いか分からなくなった。取りあえずこれ以上顔を見るのは辛いからと、拗ねた子供のように膝を抱え、そこにすっぽりと頭を埋める。
と、その時────温かくて大きなものが、突如俺の体を包んだ。
小十郎が、背後から俺を抱き締めたのだ。

「政宗様……。その、申し訳ござりませぬ」
「何だよ今更……」
「貴方をこんなにも傷つけているとは知らず、小十郎は愚か者にございます。ですが、小十郎は貴方との婚儀が嫌であのような態度を取った訳ではありませね。それだけは信じてくださりませ」
「じゃあどういう訳だ」
「それは」

小十郎は少し迷うような素振りを見せたが、良い加減俺と向き合あおうと腹を決めたらしい。
一度深く息を吸うと

「小十郎はその、何と言うか。実は嬉しさの余り浮かれてしまい、それを隠すためわざとあのような顔をしていたのです」

吐き出すように一気に語り、すぐさまへなへなと倒れ込むように俺のうなじに額をぶつけた。

「わ、ざと?……浮かれてた?」
「はい。嬉しさの余りうっかりしているとニヤけてしまいそうでしたので。どうにか顔が緩まぬよう懸命に引き締めていた。本当にそれだけなのです」
「…………はぁ?」

あの苦虫を噛み潰したような面の下で、実は浮かれていただと。
予想の斜め上を行く小十郎の告白に、俺は思わず間抜けな声を出した。
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