*本 文 *

□伊達輝宗様の憂鬱
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そろそろ、だろうか。

伊達家十六代当主、伊達輝宗は、縁側から覗く初夏の空に目を細め、パチンと碁石を置いた。

「殿、何をお考えですか?」

「うん…例の蘆名の件だがな。やはり儂が亀王丸の後見人を受けようと思う」

「では」

「少し早いが、家督を譲り隠居をするつもりだ。但し、"アレ"の成長ぶりを確認してからだが……」

「ご心配なさらずとも、若様は心身ともにご立派な若者にお育ちでございますよ。必ずや当主として伊達家を盛り立てて下さるかと存じます」

碁の相手を勤めていた鬼庭綱元は、思案する間も無く次の手を置き、次々と輝宗方の黒い石を取って行く。

「あ、そこはっ!……いや、しかしだな。今だ政道を推す声が消えない以上、念には念をいれてかからねば」

「足元を救われかねない懸念もあると 」

「そうだ。家中の内乱などもっての他だからな。あれには反対派の古参すら黙らせる力量を持って貰わないとならぬ」

「殿のお気持ちは良く分かりました。…………それでは」

輝宗の一手を更に返した綱元は

「明日にでも、お忍びで若様の館に参りましょうか。あ、あと。この勝負は私の勝ちでございますね」

と余裕の笑みを浮かべ、碁盤の殆んどを白に染めた。





翌日の早朝、農夫に扮した二人はこっそりと城を出て、"あれ"こと伊達家の嫡子、政宗の館へと向かった。

幼少の頃は親子ともに城で暮らしていたが、元服を期に政宗には専用の屋敷を与え、輝宗が選んだ数人の若き近習達と生活を共にさせている。
政宗を少し早く独立させたのは、実母である義姫との確執や、先に名前の挙がった弟との後継問題が最たる理由でもあったが、結果的にそう言った自由な環境が効を奏したのだろう。

疱瘡を患って以来、暗く引きこもりがちだった息子は、年々明るさを取り戻し、人が変わったように文武両道に励むようになってくれた。

「政宗に会ったのは、正月以来か」

「えぇ。殿はお忙しゅうございますからね」

「あの時も次から次に客が来るものだから、大して話も出来なくてな」

顎に貼った付け髭を撫でながら、輝宗はもう何年も息子とじっくり時を過ごしていない事に気付いた。

月に数回、文の遣り取りはしているが、それだけでは気持ちの奥までは探れない。
とは言え、改まって席を設ければ、政宗は途端に畏まって、本性を出さないだろう。
一体どんな男に育っているか。
そう考えると、年甲斐もなく浮き浮きしてしまう。

「政宗には景綱を付けてあるからな。あれに倣って立派な男になってくれれば良いが」

「政宗様はお小さい頃より、小十郎に憧れておりましたからな」

「ああ。文武両道にも優れているし、忠義心も篤い。全く重宝なやつよ」

才があれば身分を問わずに取り立て、重用する。
戦国の世にありながら進歩的な思考の持ち主である輝宗は、これまでも沢山の家臣を見出してきたが、景綱こと片倉小十郎は、中でも一番の見つけものであった。

小十郎は姉である喜多が政宗の乳母を勤めていた縁で伊達家に仕えたが、その出自は地元の神社の次男坊と身分も低く、強力な後ろ楯もない。
しかし、奥州一の女傑と謳われる喜多に厳しく育てられたせいか、学問はもとより兵法の知識も深く、おまけに剣の腕も敵なしと言う、埋もれさせておくには勿体ない程の逸材なのだ。

早くからその才能を見抜いていた輝宗は、小十郎を小姓として側に置き、じっくりとその人となりを観察した後、当時梵天丸と呼ばれていた政宗の傅役に任じ、身の回りの世話や教育における殆どを任せてきた。

「それにしても、あの政宗を立ち直らせるとは、ほんに大したものよ」

「えぇ。今でも小十郎、小十郎と慕っておりますよ。小十郎も政宗様をそれはそれは大事にしております」

「そうか」

やはり小十郎に任せて良かった。

輝宗は己の選択の正しさに安堵しながら、政宗の館の門を潜った。

が、しかし。
それから程なく、輝宗は妙なモノを目にする羽目になる。


政宗と小十郎は、丁度朝稽古の時間だと言うことで、輝宗と綱元は道場の小窓からその様子を伺っていたのだが、何故か息子は木刀を左右三本ずつ、計6本も持っていたのだ。

「綱元、あれは……」

「政宗様が考案された戦い方です。確か六爪とか言う刀を使われるそうですよ」

「そんなに刀持ってどうするんだ?」

返って邪魔じゃないか。
と言うか、アイツはどんな握力してるんだ。

そんな事を考えながら傍観していると、小十郎まで

「政宗様!もう少し上段に構えてくだされ。……いやいや、左中央の刀がブレておりますぞ!」

と、大真面目に指導している。

だがそのやり方が合っているのか、政宗は稽古の相手を次々倒して行った。

「……なんか強いな」

「ですね」

確かに戦場で大切なのは勝利を掴む事で、刀を何本も使ってはいけないと言う決まりがあるわけではない。

個性の範疇で受け流すべきか。
輝宗が何とか六爪を理解しかけた時である。

「HEY !次の相手はどいつだ!伊達にchicken野郎は必要ねぇぜ。チンタラしてんな!掛かって来やがれ!」

木刀を六本持った息子が、とんでもなく荒っぽい言葉を吐いた。

思わず口をあんぐりさせていると、青筋を立てた小十郎が、木刀でガンっと柱を叩きつける。

「テメェら!ビビってねぇでさっさとお相手しやがれ!早くしねぇと全員丸めて犬のエサにしちまうぞ!」

お前か!お前のせいか!
自分の前では至極丁寧な小十郎の本性(?)に、輝宗は驚きを隠せない。

「綱元!これは一体...」

「血気盛んな稽古ですねぇ」

「盛んすぎるだろう!あの言葉遣いは何だ!まるで野党ではないか」

「まあまあ。昔の梵天丸様を思えば、元気で良いではありませんか」

「それは...そうだが」

「兵の士気を高める為にも、大将の勢いは大切ですよ。蚊の鳴くような声では、戦場でも嘲笑の的になります」

綱元にそれらしく諭され、輝宗はぐうと言葉を飲み込んだ。

完全に心を閉ざし、誰とも触れあおうとせず、何かあると癇癪を起こして暴れまわる。
あの忌まわしい病により、完全に情緒不安定に陥っていた政宗が立ち直らず、そのまま大人になっていたら……。
正直跡継ぎ所の話ではないし、継がせたとしても、あっという間に国が傾くに違いない。

しかし、今の政宗はまさに正反対の若者になった。
腕白でも良い、逞しく育って欲しい。
輝宗は、暗い顔の息子を見る度、いつもそう願っていた事を思い出した。

「健康な心や体は、金では買えぬ。と言うことか」

「そうです。それにご覧下さい。あの通り言葉遣いは少々粗野ですが、家臣は皆あのように政宗様を慕っておりますでしょう」

「うむ……」

「皆は政宗様のお人柄や強さに惹かれ、この方ならばと命がけでお仕えしているのですよ」

圧倒的な強さの政宗にたじろくものの、家臣達は勇気を振り絞り木刀を掲げる。

何度吹き飛ばされても、政宗を見る彼等の目はイキイキとしていて、とても良い表情をしていた。

「皆、楽しそうだな」

「はい。政宗様は末端に至るまで家臣を大切に致しますから。ご自分の技を磨かれるのも、兵を一人も死なさぬためとか」

「なるほどな」

国を治めるに当たり、家臣はまさに財産である。 
彼等が主を信じ、懸命に働いてくれるからこそ、強い軍が出来上がるのだ。

言葉遣いが上品だろうと、中身のない武将は傀儡も同然たが、その点政宗は、しっかり家臣の気持ちを掴んでいるらしい。
予想していたのとは違う形ではあったが、息子はちゃんと成長していてくれたと考えても良いだろう。

「さぁ、次に参りましょうか」

「あぁ」

輝宗は息子可愛さに何だかんだ妥協しながら、政宗達が道場を出るのに合わせ、綱元の後ろをついて行った。








「綱元、次は何を見るのだ」

「稽古が終わりましたので、次は朝餉の時間ですね」

「朝餉か……。確か政宗は食が細い上に酷い偏食だったが、治ったのだろうか」

「折角ですから、ご自分の目でご確認ください」

食事は全ての基本。
戦場に赴けば好き嫌いなど言ってはいられないし、兵糧を納めてくれる領民にも失礼である。

梵天丸時代の酷い偏食を知る輝宗は、これもまた見ておくべきと、綱元と共に政宗の居室の前の植木に潜み、朝餉の様子を見守ることにした。

「本日の献立は、麦飯に根菜の味噌汁、葱の和え物、ワラビのお浸し、鮎の塩焼きでございます」

「どれも政宗の苦手なものばかりだな」

「まぁ、ご覧下さい」

ぼそぼそと小声で話していると、汗を流し着替えを済ませた政宗が、小十郎を伴って現れた。

席に着いた二人は手を合わせると、黙々と食事を進めて行く。
若い政宗は特に腹が減っているのか、あっという間におかわりをして、二杯目の麦飯を食べ始まった。

そこにはもう、茶碗一杯の飯を一刻以上かけて泣きながら食べていた息子の姿はない。
嫌いだった根菜も、気持ち悪いと吐き出したワラビも、骨だらけで嫌だと言っていた鮎も、美味そうに食べている。

しかし、やはり当時から一番嫌いだった葱は今でも得意ではないらしく、唯一手をつけられないまま放置されている。

「やはり全てが治った訳ではないのだな……」


輝宗が昔の息子の面影を懐かしんでいると、先に食事を終えた小十郎が進み出て、政宗の前に葱の皿をつきだした。
ここから声までは聞こえないが、どうやら残さず食べるように言っているらしい。

政宗は食べたくないとゴネているようで、ぶんぶんと首を横に振るが、小十郎は決して諦めない。

食べろ、嫌だの応酬を続ける二人はどんどん不機嫌になってきて、険悪な雰囲気が漂う。
このまま殴り合いでもするのではないか。輝宗が、つい心配になった時である。
政宗が、突如あーんと口を開けた。

小十郎はふうっとため息を吐くと箸を取り、政宗の口に葱の和え物を放り込む。

「……おい綱元、あれは何だ」

「雛鳥のようでお可愛らしゅうございますねぇ」

「可愛いって、政宗はもう十六の男子だぞ!あれではまるで幼子ではないか」

輝宗が植木の蔭でブツブツ文句を言っている間にも、政宗は口を開け、小十郎に葱を食べさせて貰っている。
さっきまでの険相は何処へやら。
その顔の嬉しそうなことと言ったら、何と表現して良いか分からない。

対する小十郎も、やれやれと呆れた顔をするものの、うっすら笑みを浮かべ、満更でもない様子である。

「何なんだあの二人は...。景綱も政宗を甘やかしおって」

「ですが、政宗様はああやって好き嫌いを克服してきたのですよ。小十郎が口に入れてくれると、頑張ろうと言う気持ちが起きるそうです」

「そうなのか?」

「はい。手段はどうあれ、食べてくだされば身にも力にもなりましょう。この際小さいことは気になさらずに」

「むぅ...」

正直成人した男子が傅役にあのような事をせがむのはどうかと思ったが、政宗は葱の和え物をきれいに食べきり、しっかりと朝餉を完食した。
米粒一つ残らぬ息子の膳に喜びを隠しきれぬ輝宗は、またもや綱元に言いくるめられてしまった。

だが。いわゆる父親の勘とでも言うのだろうか。
輝宗は仲良く過ごす政宗と小十郎を見ながら、心の中にモヤモヤとした感情が芽生えて行くのを感じた。
何かとはハッキリ言えないのだが、二人の間に普通ではない、妙な"違和感"を覚えたのだ。


自分の思い過ごしだろうか。
漠然とした疑念に囚われながら、食後の白湯を飲む政宗の顔を見ていたが、後から思えば、輝宗の勘は間違っていなかった。
"違和感"が"現実"となったのは、鷹狩りに出掛けた二人を観察していた時の事である。




朝餉を終えた政宗と小十郎は兵法の講義をした後、昼前から午後にかけ鷹狩りに行くと言うので、輝宗一行も後を追い物陰に潜んでいた。

「あの鷹は雛の時から政宗様がお世話をされたので、とても良く言うことを聞くのですよ」

本来は鷹匠に飼育と訓練をさせるのだが、戦の模擬ともされる鷹狩りに於いて、鷹は自軍の兵士に等しい。
そしてその兵を自ら育て、世話をすることで命の重みを学んで欲しいと、小十郎が雛を与えたそうだ。

綱元の説明通り、鷹は政宗と気持ちを通わせているかのように主に従い、勢子役の小十郎も巧みに獲物を追い立て、あっという間に野兎三頭とキジ一羽を仕留めた。

大収穫に上機嫌の二人は、見晴らしの良い丘を見つけると、馬を繋いでそこに腰を下ろした。
休憩を兼ね、少し早めの昼食を食べる事にしたらしい。

「我々もお昼に致しましょうか」

「そうだな」

政宗達の場所からやや高台に居た輝宗は、二人を見下ろす形で握り飯を食べていたのだが、二個目に歯を立てた瞬間、おかしな事が起こった。
さっきまで楽しそうに談笑していた息子が突然静かになったと思ったら、隣に座る小十郎の肩に、そっと頭を預けたのである。

小十郎は驚く様子もなく、慣れた手つきで政宗の腰に腕を回すと、そのまま自分の方に引き寄せた。

「つつつなっ、つなもっ!」

「はいはい。水筒はこちらでございますよ」

「そうじゃない!あれっ!あれを見てみろ!」

「………これはこれは。仲睦まじい光景ですな。フフ、微笑ましい」

「馬鹿者っ!睦まじ過ぎるだろ!」

モヤモヤの正体はコレだ。この何とも言えない、桃色の空気だ……。
だけど、寄りにも依って男。と言うか小十郎と。

そんなバカなーーー

九割九分程否定しようのない現場を見ながら、動揺した輝宗は嘘だ嘘たと呟いて、凄い早さで政宗達のすぐ傍の茂みに移動した。

もしかしたら、疲れた政宗が昼寝をしたいから肩を貸せと言い、小十郎が倒れないように支えてるだけかもしれない。
そんな苦しい仮説で自分を落ち着かせようとしていると、政宗達の会話が聞こえてきた。





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