*本 文 *

□水無月奇譚
1ページ/1ページ

師走になったばかりのある日。
当時六歳だった俺は、冬の弱く柔らかな日差しを浴びながら、一人途方に暮れていた。


風邪を拗らせた祖母の見舞いと言う名目で、母 牟宇姫と共に仙台の城に入ったのが二日前。
最初は言われるまま大人しく振る舞っていたが、あちらこちらに挨拶ばかりさせられ、いい加減うんざりしていた俺は、家臣の隙をついて脱走を謀ったのだ。
しかし、少し調子に乗り過ぎてしまったのだろう。
気が付くと広大な城の中、自分がどこいにいるのか、全く見当がつかなくなっていた。
いわゆる、"迷子"と言うやつになってしまったのだ。


「何でこんな広いんだよ……」

迷路のような庭に八つ当たりしてみるが、そんな事でどうにかなるわけもなく、適当にその辺をうろうろしていると、少し先の方から笛の音が聞こえた。

誰が吹いているのだろうか。
見事な音色に己の立場も忘れ、茂みを掻き分けて行くと、大きな能楽堂の舞台に腰を掛けた老爺が目に入った。

ところが彼が誰かを認識した途端、俺はビックリし過ぎて漏らしそうになった。
右目を覆う黒い眼帯に、鷹のように鋭い隻眼。
笛の吹き手は、紛れもなく我が祖父 伊達政宗公だったのである。

正直を言って、俺は祖父が苦手……と言うより怖かった。
数々の戦で活躍した強い武将で、この地を発展させた偉大な人だと尊敬はしているのだが、殿様の癖に気も口調も荒いし、何より雰囲気がただ者ではない。
独眼竜の渾名に相応しく、本当に人間以外の存在ではないかと感じてしまうくらい、迫力のあるじい様なのだ。

ちなみに彼の外孫にあたる俺は、二年前と昨日、人生二度しか彼に謁見したことはないが、二度ともビクビクしてしまい、満足な受け答えすら出来なかった。

逃げよう。
そう考えたのは、狼を前にした野鼠の本能に近かったと思う。

そろりそろりと足音を立てないように、気取られないように。
だが、相手は年寄りとは言え、百戦錬磨の武人だ。
関ヶ原すら知らない子供の浅知恵など敵うわけもなく、すぐに

「おい。そこのチビ。何してんだ?」

と呼び止められた。

俺はもう顔面蒼白で固まってしまったが、声を掛けられた以上、逃げも隠れも出来ない。
とりあえず謝ろうと、腹を括った。

「も、もう、もうし...申し訳...」

「あ?牛の鳴き真似か?変なやつだ。お前、昨日城に来た 牟宇の倅だよな。名前はえーと...」

「くく、国千代と申します」

「そうだそうだ、国千代な国千代。この歳になると、忘れっぽくなっていけねぇ」

どもりまくる俺を前に、政宗公は名を連呼しながら、額をペンと叩く。

「して国千代。お前は何故此所に居る。於山の部屋はずっと向こうだぞ」

「それは......」

「Ha!さては退屈で逃げ出してきたな。そんでもって迷子になったのだろう」

「はい...申し訳ございませぬ」

「本当か?やるじゃねぇか!」

てっきり叱られると思ったが、それを聞いた政宗公は、怒るどころか腹を抱えて笑いだした。
余りに意外な反応に、俺は再び固まってしまったが、破顔した彼は懐から巾着を取り出すと、こっちに向かって手招きをしてくる。

「こっちに来い、国千代。上手に抜け出した褒美に良い物をやろう」

「あの。お祖父様...」

「んな気取った呼び方すんな。じじで良い。ほら、早く」

促されるまま側に行き、政宗公...もとい爺様の隣に座る。
両手を広げろと言われたのでそうしていると、ザラリと白い粒を手のひら一杯入れられた。

「爺様、これは?」

「金平糖と言う南蛮の砂糖菓子だ。食ってみろ」

「はい。頂戴致します」

生まれて初めて見たトゲトゲを、おっかなびっくり口に入れてみる。

「わっ!」

甘くて、独特の風味があって、なんて美味しいのだろう。
俺は思わず目を輝かせて、爺様の方を見た。

「どうだ。美味いだろう」

「はいっ、とても!こんな美味しいものを食べたのは初めてです!」

「これはなポルトガルと言う国の菓子なんだぞ」

「異国には、かように素晴らしいものがあるのですね」

「あぁ。世界には俺たちの知らないスゲェ物が沢山あるんだぜ」

「この日の本よりですか?」

「そうだ。だからこそこれからの時代は、視野を広くして行かなきゃならねぇ。良いと思うものは、偏見を持たず受け入れろ」

「国千代も、珍しいものは大好きです」

「Good!好奇心は大事にしろよ。それを無くしちゃ、人生の面白味は半減しちまうからな」

「はい!」


気が付くと、俺はあんなに怖がっていた爺様と、普通に会話していた。
爺様は、やはり殿様にしては口が悪かったけれど、その分砕けていて話しやすく、おまけに知識が豊富で、色んな事を教えてくれた。

俺はそれが楽しくて、金平糖を口に頬張りながら、爺様の話にいちいち深く感嘆していた。

と、その時。
爺様と自分の間に置いてある、真っ赤な漆塗りの笛に目が止まった。
俺を此所に呼び寄せた、見事な音色のあの笛だ。

「美しい笛ですね」

「これは潮風と言う名の笛だ」

「とても綺麗な音色でした。爺様は笛を吹くのもお上手なのですね」

「いいや。俺などこいつの本当の持ち主からすりゃ、やや子のようなものさ」

爺様は笛を手に取り、とても大事そうに握りしめる。
少し寂しげな、けれど愛情のこもったその仕草に、俺はつい興味を引かれた。

「あの...これの元の持ち主は、どんな方なのですか?」

「とても強い男だ。少々小うるせぇが、ガキの頃からいつも俺の側に居て、俺の身体の一部のような存在だったな」

「だった?」

「随分前に死んだよ」

「そうとは知らず、申し訳…」

「謝らなくて良い。やつは俺より十も上だったし、寿命だったんだ。仕方のねぇ事さ」

仕方ないと言いながら、爺様の顔には、言い様のない悲しみの色が差していた。

この笛の持ち主が、彼にとってどんなに大切な人間か、年端も行かない俺にもひしひしと伝わって来る。
謝るなとは言われたが、とんでもない失言をしてしまったとハラハラしていると、爺様の手が俺の頭をグリグリと撫でた。

「爺様……」

「んな顔すんな。実は今日はヤツの命日だったから、余計に色々思い出しちまってよ。らしくねぇな」

「じゃあ、あの笛はその方の為に?」

「年に一回くらいは思い出してやらねぇとな。アイツは意外とひがみっぽいから、俺があっちに行った時に文句言われちまう」

「……でもその方は、それほど爺様が大好きなのですね」

愛情に溢れているのにひねくれた物言いが可笑しくて、俺はいけないとおもいつつ、ついクスクスと笑ってしまった。

爺様は一瞬目を見開くと、目尻を皺くちゃにして

「そうだな。俺もアイツが大好きだぜ。アイツにまた会えるなら、死ぬこともそう悪くねぇと思える」

と言って、にこりと笑った。



それから少しして、俺は追ってきた家臣に見つかり、母に滅法叱られ、塩を振った菜っ葉のようにしょんぼりと数日暮らした。
爺様には城を後にする時に再度ご挨拶をして、土産にと金平糖を頂いた。

「また遊びに来いよ。今度はもっと 沢山用意しといてやるから」

そんな言葉が嬉しくて、俺は大きく頷くと、金平糖を大事に食べながら上機嫌で伊具に帰った。



しかし、俺と爺様との交流は、それが最初で最後になった。

数年前から時折不調を訴えていた爺様は、春先から無理を押して参勤交代に出向いていたが、夏を迎える前に体調を急変させこの世を去ってしまったのだ。
享年70歳。
この時代にしては長生きな方だったが、偉大な人を失い、仙台藩は悲しみに染まった。





数日後、しとしとと小雨が降る中、大名行列さながらの賑やかさで、物言わぬ爺様は遥々江戸から仙台の城に帰って来た。
俺は石川家の嫡男として父母と列席していたが、葬儀が進む毎に何だか妙に違和感を覚え、延々と続く読経の中、またもや脱走を謀った。


爺様はここには居ない。
あの棺に入っているのは、爺様の脱け殻だ。

そんな気がしてならなかったのだ。



走って走って、走り回って。
今考えても、どうしてそんな事をしたか分からないが、俺は爺様を探していた。

部屋と言う部屋。厠や厨、一通り行き尽くすと、今度は庭へ。
息が切れて、髪や着物がびしょびしょに濡れても、俺は何かに突き動かされるように爺様を追った。

やがて疲れ果て、もう一歩も歩けないほど足が痛くなり、自分のしている事の馬鹿さ加減を悟った時。
泣きたい気持ちでしゃがみこんだ俺の耳に、笛の音が聞こえてきたのだ。

「潮……風?」

この凛と冴え渡る音は、間違いなくあの日聞いた潮風の音色だ。

けれど、奏者は誰だろう。
爺様も十分上手だったけれど、これは到底比べ物にならない。

怖いもの見たさもあり、爺様と出会った時のように音を頼りに茂みを掻き分けて行くと、目の前に現れたのはあの能楽堂だった。
そして、檜で作られた舞台には、見知らぬ男が二人。

一人は三十路に入りかけくらいだろうか。
左頬に傷があり、体躯も立派で威圧的な容姿をしていたが、名人さながらの腕で潮風を吹き鳴らす。

もう一人は面をつけた男。
扇を持って優雅に舞い踊る彼は、動きからすると若者のようだ。

舞台にいる二人は、どこか妖しく神秘的で、まるで一枚の絵を見ているような気持ちになった。
たちまち心を奪われた俺は、呆けたように彼等を眺めていたが

「…………爺様ですか?」

何故か、勝手に口が動いてしまった。

まさか、そんな訳あるか。
慌てて口をつぐんだが、時既に遅し。
笛も踊りも、はたと止まってしまった。

「あの……」

俺が声を出したのと同時に、若い男がそっと面を取る。


鳶色の少し長い髪、切れ長の瞳に、スッと通った鼻梁。
ーーー右目の、眼帯。


爺様だった。
随分若い姿をしているが、間違いない。
あれは爺様だ。

「爺様!!」

湧き上がる感情を抑えきれず叫ぶ俺を見ると、爺様はふうわりと。

それはそれは美しい顔で、笑った。


それからすぐに踵を返し、潮風を持つ男の元に歩いていった爺様は、彼の胸に身を委ね、笑顔のまま満足そうに目を閉じる。
ずっと訝しい顔をしていた男は、爺様を腕に抱くと急に優しい顔になり、間もなく二人は霞のように消えてしまった。

夢か現か、降りしきる雨の中。俺は呆然と。
それこそ魂を抜かれてしまったように、暫しの間その場に立ち尽くしていた。






その後、葬儀は抜け出すわ、全身グシャグシャの濡れ鼠で戻って来るわ、無茶苦茶しまくった俺は、父にがっつり怒られた。
爺様に可愛がられていた母は、わんわん泣いていて、説教どころではない。

余りの落胆ぶりに少しは慰めになるかと思い、さっき見たことを教えてやったら、最初は信じてくれなかったが、少ししてから、「潮風を持っていた男は"小十郎"かもしれない」と漏らしていた。

確か伊達家の重臣で、白石の城にそう言った名前の家臣が居た。
でも、そいつは爺様の葬儀に来てたよな。
片倉の一族が初代小十郎の栄誉にあやかり、代々"小十郎"の名を受け継いでいると知らなかった俺は、謎が解けるまで数年間モヤモヤを抱える羽目になった。







あれから時は矢の如く流れ、俺は爺様の一字を頂いて"宗弘"と名を改め、爺様と同じ、十七で家督を継いだ。
今や神と崇められる爺様の足元にも及ばないが、伊達家を支えるために何とか頑張っている。
毎日あれこれと忙しくて、昔の思い出に浸る暇もない程だ。



それでもーーー

こうやって、しとしと降る灰色の梅雨空を見ていると、あの時の情景が甦る。
飛び切り綺麗な爺様の笑顔が、心の中に浮かぶのだ。


爺様は、ずっと小十郎を待っていた。
小十郎も、爺様が恋しかったのだろう。


ようやく再会できた二人は、今も何処かで潮風を吹き、軽やかに舞っているに違いない。




楽しげに、微笑み合い。
二度と離れることなく、永久に。





あれ以来、すっかり好物になった金平糖をかじりながら、年に一回くらいはそうやって、爺様に思いを馳せてみたりするのだ。











[水無月奇譚 終]





〈あとがき〉

第三者から見た小政を書きたくて、一寸前から温めていたネタでした(^_^ゞ
小十郎が逝ってから20年、ハツラツと生きながら、時にこじゅを恋しがったりしている政宗様って可愛いですよね!もちろん、爺様になっても政宗様はセクシー爺ですよ(*´∀`)♪

ちなみに小十郎は10月、政宗様は5月に亡くなってますが、それは旧暦の表記で現在の暦では12月と6月になるため、季節感もそちらに合わせました。

やることを遣り尽くして、最後に大好きな人が迎えに来てくれるなら、こんな幸せな終わりはありませんね(о´∀`о)
ここまで読んでくださり、ありがとうございました‼

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ